インターミッション1
俺の名前は押上夏丸。ミックスの雄で、年齢は五歳。人間で言えばちょうど二十代の後半ってところだ。
……おい、お前だろ? 時士たちが言ってた、押上家の内情に妙に詳しい人間ってのは。まぁいいさ。せっかくの機会だ、少しだけ俺の目線から、あの風変わりな家族の話を聞かせてやるよ。
昔、俺が最悪な組織の施設に囚われていたところを、時士に助け出してもらった経緯は知ってるな? 命からがらこの押上家に迎え入れられたわけだが、ここはすこぶる居心地が良い。部屋は臭くないし、飯も上等なものをたらふく食わせてくれる。
ただ、時々課される『シャンプー』と『爪切り』ってやつだけは、どうにも俺のプライドが許さねぇ。毎回全力で逃げ回るんだが、桜々と空生の最強ツートップには絶対に捕まっちまうんだ。隠れようが、背景に擬態しようが、暴れ狂おうが、あの二人の前には無力。最近じゃ、無駄な抵抗は止めて大人しく従った方が疲れないんじゃないかと、大人の知恵を身につけつつある。
その捕獲劇でクタクタになった俺を、幸慈がドライヤーとブラッシングで完璧に癒してくれるんだ。あれは至高の時間だな。痒いところにピタリと手が届くプロの技には、何か特殊な能力でもかかってんじゃねぇかと疑うレベルだ。おかげで、ついつい無防備に腹を出して寝転がっちまう。
一方で、倭久と幸雅の野郎どもは、俺の本格的なトレーニングに全力で付き合ってくれる。普通の飼い猫に成り下がる気はねぇっていう俺の意志を、アイツらはちゃんと尊重してくれてるんだ。友達みたいにサバサバとした良い男たちだから、俺も素直に胸を借りて爪を研げる。たまに敵わなくて、悔しさのあまり能力で化けて驚かせては怒られるが、まぁ上手くやっているさ。トレーニングの後に三人で突っつく間食がまた美味い。桜々が俺たちの身体を配慮した最高の補給食を用意してくれるおかげで、俺の筋肉はモリモリだ。お抱えの獣医からも「普通の猫とは筋肉の質が違う」と太鼓判を押されている。
そして、時士だ。アイツは俺の命の大恩人だ。ここに置いて貰える限り、時士の力になりたいという俺の誓いは生涯変わることはない。
……何? 普段の頼りないアイツを見てると理解できないって?
あー、まぁな。金髪眼鏡で言葉遣いはバカ丁寧。普段は桜々に怒られては気持ちの悪い顔で悦んでるし、空生には日常茶飯事で無視され、倭久にはウザがられるほど絡む。一見すれば、幸雅や幸慈に宥められている情けない男に映るだろう。
だがな、時士は間違いなく、この押上家という怪物集団の『大黒柱』であり、冷徹な司令塔なんだ。長く一緒にいれば、アイツの人徳と底知れなさがよく分かる。不思議な男だよ、本当に。まぁ、俺もそんな時士という人間に魅せられちまった一匹なんだけどな。
あぁん、何だと? 俺の縄張りを見て回りたい?
ったく、物好きな野郎だ。面倒くせぇが、ちょうどこれから任務がある。足手まといになるなら置いていくからな。今日は『YADOCALI』の周辺パトロールだけじゃなく、隣町に行って羽柴小葉の会社の警戒もしなきゃならねぇんだ。マジで邪魔すんなよ。
まずは『YADOCALI』の裏手からだ。無駄な足音を立てずについてきな。
……ん? 塀の向こうをウロウロしている不審な影があるな。時士から予知で聞いていた特徴と完全に一致する。……って、おいおい、なんだコイツ。見た目が『セバスチャン』にそっくりじゃねぇか。
あ、セバスチャンってのはな、近所で鎖に繋がれてる犬のことで、俺の一番のお気に入りだ。塀の上から俺がちょっかいを出すと、届きもしないのに必死でジャンプして吠え散らかす、威勢だけはいい小心者。俺が塀から降りてテリトリーに入った瞬間、「ギャッヒィン!」と情けない声を上げて犬小屋へ逃げ帰るんだ。その小屋からケツだけ突き出してプルプル震えてる後ろ姿が、たまらなく愛嬌があってよ。いつかアイツと並んで、日向ぼっこでもしながらゆっくり話してみたいもんだと密かに思ってる。
おっと、今は任務中だった。目の前の『セバスチャン二号』のお姑様は、何やら物騒な独り言をブツブツと零している。
「反抗的になって離婚だなんて、おかげであたくしの負担が増えたじゃないッ! 戻ってきたら許してあげるって言ってるのに、何処の馬の骨とも分からない子はこれだから困るのよ! 今日こそ捕まえて、引きずり回してでも連れ戻してやるわ!」
――あー、胸糞悪い。我が家のセバスチャンとは月とスッポン、ただの邪悪な塊だな。桜々が言っていた『嫁いびり』ってやつの典型だな。
おい、隣で「ボコボコにしろ」なんて物騒な顔すんな。俺は紳士だからな、攻撃されない限りはエレガントに、平和的に解決するタイプなんだよ。こういう手合いは、ヒーヒー言わせて精神的に追い詰める方がよっぽど面白い。まぁ、特等席で見てな。ククッ。
「ニャあ〜ん……(ゴロゴロゴロ)」
「まあ、毛艶の良い可愛らしい子ね。こちらにいらっしゃいな」
「ニャあ〜ん」
「お返事するなんて賢いわねぇ。おやつになるような物、あったかしら……」
「野良猫に、安易に餌付けすんじゃねぇよ」
「へっ……? 今、どこから男の声が……」
「ニャあ〜ん」
「き、気のせいよね。あ、あったわ、カバンに飴ちゃんが!」
「碌なもん持ってねぇな、オバハン」
「ひゃっ!? 誰よッ! 空耳……? 今日は妙な日だわ……」
「ニャあ〜ん」
「あ、はいはい、飴ちゃんあげましょうねぇ」
「要らねぇっつってんだろォがッ!!」
「ヒィッッ!!」
俺は一瞬で喉の鳴らし器を切り替え、ドスの利いた低い声を至近距離で叩き込んでやった。お姑様は恐怖で文字通り蛇に睨まれた蛙のようになっている。
「猫に飴なんか与えようとするんじゃねぇ。お前らが身勝手に撒いたおやつのせいで、糖尿病や肝不全で病んだ仲間たちがどれだけいるか知らねぇわけじゃねぇだろ。その怨み……この俺が、きっちり晴らしてやるよぉ……」
「ば、ば、化け猫ォォオーーーッッ!!」
「正解。仲間の怨念を背負った化け猫さぁ……ま……」
「ヒィィィィエェーーーッッ!!」
腰を抜かしていた割には、オリンピック選手も驚くような爆速のダッシュで逃げ帰っていった。ちぇっ、せっかく俺が即興で仕立てた怪談話を、最後まで聞いていきゃあいいものを。
な? 見ただろ。一発も殴らず、平和的に追い払ってやった。……いや、だから平和的だろ、怪我人はゼロなんだから。これに懲りて、あのババアも二度と猫に変なもんを食わせようとはしねぇだろうし、小葉の会社に近づく気力も失せたはずだ。任務完了、帰るぞ。
アジトに戻って時士に事の顛末を報告したら、アイツ、飲んでた味噌汁を豪快に吹き出してやがった。まぁ、任務としては大成功だ。報酬の『ニャロン』もしっかりせしめたからな。
ニャロンってのは、外はカリカリ、中はクリーミーな高級猫用おやつだ。一袋たったの十三グラムで三百五十円もするらしい。桜々曰く、帆立の貝柱とササミ、それに栄養価の高い特別な成分が配合されている、まさに猫界の贅沢品。任務に見合う働きをしたご褒美として、桜々はいつも惜しみなくこれを俺に持たせてくれる。そういう一本筋の通った優しさが、たまらなく嬉しいんだよな。
だから、俺は押上家が大好きなんだ。
ここに引き取られた当初は尖っていた俺も、今じゃこの上ない幸せを噛み締めている。だからこそ、この家族の力になれるなら、俺の命なんていつでも張ってやる。外敵が多くて退屈しない家だが、何があっても、俺がこの大切な家族を守り抜いてみせるさ。
……おっと、もう帰る時間か。
少しは俺たちのことが分かったなら、お前をここまで歩かせた甲斐もあったってもんだ。良い人間ばかりだろ?
じゃあな。次も気が向いたら、また面白い話を教えてやるよ。夜道は気をつけて帰れよ。シーヤ!




