TWENTY-SEVEN
「違うッ、違う、違うんだぁあああーーーっっっ!!!」
八鳳が狂わんばかりの絶叫をあげるや否や、周囲の瓦礫が磁石に引き寄せられるように激しくぶつかり合い、まるで巨大な竜巻となって天を衝きました。あらゆる物質が凶器となって飛び交う、まさに地獄絵図でございます。
機転を利かせた夏丸は、すぐさまその巨大な背に空生と倭久、幸慈、そして琴杜音さんと舞乃空ちゃんを乗せ、命からがらその場を離脱していきました。
残された桜々さんは、暴風に抗いながら必死に声を張り上げます。
「やめなさい、八鳳さんっ!! お願いだから能力を解いてっ!!」
しかし、呆然と涙を流しながら暴走する八鳳の耳には、その切実な叫びも届いてはいないようでした。
荒れ狂う嵐の中心を見つめながら、私は静かに、しかし決意を込めて呟きました。
「……止めなければ、全員がこの力に巻き込まれてしまいますねぇ」
「時士さん、ダメよっ!! 今近づいたらあなたまで……っ!」
「妹の不始末は、兄である私の責任でございます。何としても、私が彼女を止めなければなりません」
「でも……っっ!」
なおも私を止めようとする桜々さんの身体を、私は言葉を遮るように強く引き寄せ、その細い肩を愛おしく抱きしめました。
「時士、さん……」
「桜々。私はあなたを、ずっと愛しています。……子供たちのことを、どうかよろしく頼みますね」
それだけを告げると、私は彼女の温もりから素早く身を引き、一歩を踏み出しました。
「行かないで……っ!!」
背後から響く桜々さんの悲痛な声を打ち千切るように、私はただ前だけを見て走りました。後ろ髪を引かれる断腸の思いを押し殺し、私は狂ったように会場を破壊し続ける我が妹――八鳳の元へと突き進んで行ったのでございます。
◆◆◆◆◆
無数の瓦礫の破片が肌を切り裂く中、私は辛うじて八鳳の至近へと辿り着きました。
「八鳳っ! やめるんだ、八鳳っっ!!」
やはり、私の声は完全に遮断されているようでした。さらに近づこうにも、彼女の周囲を旋回する瓦礫の密度が凄まじく、私が一瞬足をとられた、その時でございます。
「トッキィーーーン!」
「ムギっ! そちらは無事なのですかっ!?」
嵐の合間からヌッと現れたのはムギでした。
「あたくしがキツいのを叩き込んで、コウがそこの男をしっかり捕縛してくれたわよん! まぁ、あの田嶋って男も戦闘能力はピカイチだけど、このあたくしの敵じゃないわ。あの二人の能力にあたくしたちも散々手こずらされたんだから……」
「そう、だったのですか……」
「トッキー。妹の暴走を止められるのはね、力じゃないわ。あなたの深くて優しい愛で、あの娘のすべてを受け止めてあげなさいな」
「ですが、正気を失った彼女に、一体どうすれば……」
「昔話でもしてやったらどう?」
「昔話……ですか?」
「あの子たちはね、父親の愛も母親の温もりも知らずに、ただ二人だけで必死に手を取り合って生きてきたはずよ。あなたたち家族が、どれほど二人の誕生を心待ちにしていたか……それを教えてあげなさい」
「……分かりました。やってみます」
私は麦乃介さんの言葉に深く頷くと、意を決してふたたび八鳳の方へと歩みを進めました。飛来する瓦礫を恐れることなく、ただ真っ直ぐに。頭や腕、背中へと容赦なく破片が命中し、じわじわと血が滲んでいくのが分かりましたが、不思議と痛みは全く感じませんでした。
もう二度と会えないと諦めていた、私の大切な、たった二人の妹。
意識を拒絶し、孤独な闇へとトリップしてしまっている八鳳に向かって、私は穏やかに語りかけました。
「八鳳、聞こえているかい? お前たちがまだ、母さんのお腹の中にいた頃の、遠い昔話をさせておくれ……」
反応はありません。それでも、私は語り続けました。
「お前たちが母さんのお腹に宿ったとき、母さんはひどい悪阻で毎日寝込んでいました。幼かった私は『悪阻』という言葉も知らず、ただただ心配でね……。小さな手で皿を洗い、洗濯物を干し、母さんの枕元へレモン炭酸水を運んでは、お腹の命が無事に育つことだけを祈っていたのです。
お前たちが双子だと知ったのは、もう七ヶ月を過ぎた頃でした。母さんは細身でしたから、それほどお腹は目立っていなくてね。……けれど父さんはいつも、愛おしそうにそのお腹に触れて、優しく話しかけていたんだよ」
「……父……さん……」
その単語に、八鳳の肩が微かに跳ねました。嵐の威力が、ほんの少しだけ弱まります。
「ええ、私たちの父親です。父さんはいつも、お腹の中にいるお前たちに向かってね、『私たちの元へ生まれてきてくれて、本当にありがとう。元気に育つんだよ』と、何度も何度も愛おしそうに手を当てていたんだ。お前たちの成長を、父さんも、母さんも、そして私も……家族全員が、これ以上ないほど心待ちにしていたんだよ……」
「元気に……育つことを……待って、いた……?」
「その通りです。その後、グルーサムの襲撃に遭い、私をかばって二人は命を落としてしまいましたが……私は、父と母が命をかけて繋いでくれたこの命を、大切に生きたいと思っています。……ねぇ、八鳳。もう一度、この兄と共に生きてはくれませんか。私は……お前に会えて、本当に、本当に嬉しいんだよ……」
「兄……さん……っ」
涙ながらに訴えた私の言葉が、ついに彼女の心の奥底へと届きました。飛び交っていた瓦礫がその場にバタバタと落下し、完全に嵐が止んだ――と思った、その刹那でございました。
「……ダメ、解けないのっ! この胸の怒りと憎しみの解き方が、私には分からない……っ! 私はどうしたらいいの!? 許せない、どうしても許せないのよ! 私たちを騙し、実の兄さんと殺し合わせようとした、あのGKの連中がぁあああーーーっっっ!!」
「待て、八鳳っ! 早まるなっっ!! そこにはコウがッ!!」
私の制止も虚しく、激昂した八鳳は捕縛されている田嶋を目がけて突進いたしました。周囲の瓦礫が巨大な弾丸と化し、田嶋、そしてその横にいた幸雅に向かって容赦なく撃ち出されたのです。
――ガンッ、ガガガガガァアンッッ!!!
凄まじい轟音とともに火花が散りました。間一髪のところで夏丸の背から飛び降りた琴杜音さんが、二人の前に立ち塞がり、最大出力の防壁でその一撃を受け止めていたのでございます。
「あっぶなーーーいっっ!! おい、俺を巻き込むんじゃねーよ! 狙うなら田嶋だけにしてくれッ!」
必死に文句を言う幸雅を無視し、琴杜音さんは盾を構えたまま八鳳へ叫びました。
「違うのよ、八鳳さんっ! この人、寿一は敵じゃないわっ!!」
「何が違うというのだっ! 七鳳と私を偽りの記憶で騙し、母を……っ!」
「八重さん――あなたたちのお母様を命がけで救ったのは、紛れもなく、そこにいる田嶋寿一なのよっ!!」
「な、何を馬鹿なことを……っ!」
「本当よ! 瀕死だったあなたたちのお母様の面倒を看たのも……生まれたばかりのあなたたち双子を、自分の妹のようにつきっきりでお世話していたのも、すべてこの寿一なのよっ!! 本当の黒幕は、この人の『父親』なのっ!!」
その言葉に、すかさず桜々さんが驚愕の声をあげました。
「ちょっと琴杜音、なんであなたがそんな内部の極秘情報を知っているのよ!? あなたはGKを追い出されたって……」
「……追い出される前、私は寿一の『亡くなった奥様』の直属の部下として、幹部を動かしていたからよ」
「幹部……っ」
「だから、この双子の存在も最初から知っていたわ。能力者でありながら、田嶋の血筋とは無関係な子供たちだということもね。その後、GKが裏で行っていた非道な実験を知って、私は田嶋の父親に激しい抗議を申し入れた。同じ能力者たちが都合よく踏み躙られ、貶められるのが、どうしても我慢ならなかったからっ!」
初めて明かされる衝撃の事実に、捕縛されていた田嶋が愕然と目を見開きました。
「こっちゃん……。君が消えたのは、そういう理由だったのか……」
「だから、あなたのお父様は、寿一から私を引き離すためにあんな嘘を仕組んだのよっ!! あなたのお母様も私も、あの狂った老人には抗えなかった……。その後、お腹に舞乃空がいると分かっても、あなたに伝える術すら奪われて……っ!」
「……えっ? こっちゃん、それって……じゃあ……」
「……そうよ。あの、夏丸くんの背中に乗って気を失っている娘が……あなたの血を分けた娘、舞乃空よ」
「……あの子が、僕の……」
田嶋は魂を抜かれたような顔で、夏丸の背上で眠る舞乃空ちゃんをただ見つめることしかできませんでした。
琴杜音さんは首を振り、ふたたび八鳳に向き直りました。
「八鳳さん、あなたの憤る気持ちは痛いほど分かるわ。落ち着いて真実を聞いてほしい……。でも、お願いっ、まずは空生ちゃんの止血をさせて頂戴! あなたの『姪』の命を助けたいのよっ!!」
その言葉で、桜々さんはハッと我に返りました。
「ソラっ、ソラは無事なのっ!?」
「出血が多すぎるわ、今はなんとか持ち堪えているけれど……極めて危険な状態よ! 急いで病院に運ばないと……っ!」
その時、夏丸の足元から、幸慈の引き裂かれるような悲痛な叫びが響き渡りました。
「ソラちゃぁあああーーーっっっ!!!」
見れば、空生の口から、どっと大量の鮮血が吐き出されたのでございます。
「桜々、まずいわっ!! 肺に血が回っているかもしれないっ! 夏丸くん、急いで空生ちゃんをここに降ろしてっ!」
夏丸が素早く空生を床へと降ろすと、琴杜音さんはテキパキと的確な指示を飛ばしました。
「患部を直接圧迫するわ! タオルか何か、布になるものを急いで持ってきてっ!!」
近くにいたヴァルハラの職員たちは奔走しました。彼女は溢れ出る血を手で押さえながら、さらに叫びます。
「桜々! あなたはこっちの右胸の傷を押さえててっっ!!」
「分かったわっ!!」
「お母さん、僕も一緒に押さえるっ!!」
幸慈もまた、涙で顔をグシャグシャにしながら、ヴァルハラ職員から差し出されたタオルを患部へと強く押し当てました。しかし、止めどなく溢れ出る真紅の血は、衣服もタオルも一瞬で染め上げていきます。幸慈は声を枯らして叫びました。
「お願い……止まって……止まってよぉおおおっ!! ソラちゃん……ダメだっ! ダメだよ、目を開けてよっ!! ソラちゃんっっ!!」
ゆっくりと瞼を閉じていく空生を前に、幸慈は激しく泣き崩れました。倭久もまた、夏丸の背から力なく降りてきて、その絶望的な光景を前にただ涙を流すことしかできません。
私自身の脳裏にも、かつて父と母が目の前で息絶えたあの凄惨な記憶がフラッシュバックし、過呼吸と激しい吐き気が私を襲いました。目頭が熱く燃え、胸が張り裂けんばかりの絶望に包まれた――まさに、その瞬間でございました。
「……んっ……グッ、はぁ……大丈夫、よ……」
地獄の底のような静寂を破り、空生がはっきりと、そう言葉を発したのです。
「ソラっ!? 分かるの!? 大丈夫って……一体何が大丈夫なのよっ!? ソラっ!? 一体どういうこと……っ!?」
「……ふぅ。……なんか、急に出血が止まって、傷口が綺麗に塞がっちゃったみたい……」
「「「はいっっ!?」」」
桜々さんも、琴杜音さんも、そして私も、同時に声をひっくり返して驚愕いたしました。
「一体、何が起きたの……? 空生ちゃん、あなた……実は『治癒』の能力者だったの?」
混乱する琴杜音さんからの問いかけに、私はすかさず応じようとしました。
「いえ、空生の能力は『瞬間移動』で……」
そこまで言いかけて、私の脳裏にあるひとつの仮説が電撃のように過りました。私はバッと、タオルの上で呆然としている我が息子の方を振り返ったのです。
「ユキ……っ! もしかして、今のはお前がやったのですか!?」
「えっ!? 僕っ!??」
「喋ることもできなかった空生の傷が瞬時に塞がったとなれば、そうとしか考えられません……!」
「ええっ!? だって、だって、能力者同士にはお互いの能力は効かないって、お父さんたちが……っ!」
「……『物質』に能力を移行させて使えば、例外的に効果を発揮するのよ」
沈黙を守っていた八鳳が、鈴を転がすような声で静かに解説を加えました。
「だからこそ、私も兄さんに、七鳳は空生ちゃんに攻撃(念力と風)を直接通すことができたの。大気や瓦礫という『物質』を媒介にしてね。……意味が分かるかしら?」
「ううん……ちょっと、難しいよ……」
「つまりね、能力者である生体に対して、直接的に能力を叩き込むことはできないの。例えば……怖い例えを言うなら、私が相手の身体に直接触れて、体内の内臓を念力で直接ぐちゃぐちゃに引き裂く、なんて芸当はシステム上、不可能なのよ」
「うぇえ……」
生々しい例えに、幸慈が顔を青くして身震いしました。
「けれど、能力者の身体の『外』にある物質に一度能力を移行させれば、それは相手にも通用する。私が念力を『瓦礫』に上乗せして兄さんを襲ったようにね」
私はすかさず問いかけました。
「それは……そんな詳細な検証結果を、お前はどこで知ったのですか」
「GKよ。組織の上層部はその事実を完全に把握していたわ」
「なるほど……! ということは、幸慈のヒーリング能力は、何を媒介としたのか……。――『タオル』ですかっ!!」
「おそらくね」
八鳳は小さく頷きました。
「幸慈くんの持つ能力が『治癒』であるならば、彼は無意識のうちに……いえ、違うわね。空生ちゃんを『絶対に死なせたくない』という彼の強烈な願いと能力がシンクロし、握りしめていたタオルへと能力が移行した。そして、そのタオルを媒介にして、空生ちゃんの致命傷を完全に癒したのよ……」
「ユキっっ!! ユキィイイーーーっっ!!」
私はたまらず幸慈を強く抱きしめ上げ、溢れる喜びと深い感謝の涙を流しました。
「ありがとう……本当にありがとう、ユキっ! 空生を救ってくれて、本当によく頑張りましたねっっ!!」
先ほどまでの絶望が嘘のように、桜々さんと倭久は今度は嬉し泣きで大号泣し、近くに待機していたヴァルハラの職員たちも安堵のために深く胸を撫で下ろしていました。地獄の戦場の中で、私と幸慈だけが、子供のように無邪気にはしゃぎながら、奇跡の生還を喜び合っていたのでございました。




