TWENTY-SIX
ふたたび目の前に現れた「彼女」の姿に完全に心を奪われ、寸前のところで反応が遅れた私を目がけ、無数の瓦礫が巨大な質量となって容赦なく襲いかかってまいりました。
「時士さんッッ!!」
遠くで私を呼ぶ桜々さんの悲鳴が聞こえます。走馬灯のようにスローモーションに映る瓦礫の塊が、いよいよ私の身を粉砕するかと思われた、次の瞬間でございました。
――ガコッ、ドガガガァアンッッ!!!
凄まじい衝撃音とともに、瓦礫は私の目の前に展開された「透明な壁」に遮られ、激しく火花を散らしながら足元へと崩れ落ちていったのでございます。呆然と立ち尽くす私に、上から降ってきたのは、あまりに場違いなほど軽快な声でした。
「危なっかしいわねぇ! 桜々の旦那さん、大丈夫!?」
見上げれば、琴杜音さんが私の周囲を覆うように、強固なシールドを張ってくれていたのでございました。
「あ、ありがとう……ございます……」
「戦いの最中にボサッと突っ立ってちゃ駄目でしょ!」
「す、すみません……」
「それにしても……相変わらず派手にやってくれるじゃないの、寿一」
一瞬、自分の名を呼ばれたのかと錯覚いたしましたが、すぐにそれが、目の前で冷酷な笑みを浮かべる男――田嶋の名前であることに気がつきました。すると田嶋は、氷が割れたような声を漏らしました。
「こっちゃん……。なぜ、君がここに……」
「私? 私はヴァルハラの『若見えファンデーション』のサンプルが欲しくて来たのよ。……ったく、大事なイベントを台無しにしてくれちゃって! サンプルが貰えなくなったじゃない、どう落とし前をつけてくれるのよ! 久しぶりに再会したと思ったら、柄にもなくまだこんな裏社会の悪役みたいなことやってるわけ?」
「柄にもなくって……。だって、あの日君が突然、僕の前から消えたから……」
「……まさか、何も聞いていないの?」
「誰から……」
「あんたの、クソ真面目なお父様からよ! 私の実家が片親だからって結婚を絶対に認めず、手切れ金を握らせて私をGKから無理やり追い出したのよ! 出入り禁止にまでされて、それでもあんたを信じて昔のアパートでずっと待っていたのに……迎えにも来なかった。黙って私を捨てたのは、あんたの方じゃないのっ!!」
「そ、そんな……。僕は父様から、君に新しい能力者の男ができたから諦めろと……。やっぱり能力者なんかと付き合うから裏切られるんだと言われて……だからっ……」
「親の嘘を鵜呑みにして、私の言葉を一度も聞こうとしなかったってわけね。……ふん、よく分かったわ!」
「ち、違うんだ、こっちゃん! あの時はっ……」
「お母さんっっ!!」
その言い訳を遮るように、会場へ鋭い声が響きました。避難したはずの舞乃空ちゃんが、母を心配して引き返してきたのでございます。
「駄目よ、舞乃空! 来ては駄目、逃げなさいっ!!」
琴杜音さんの悲痛な叫びと同時に、無慈悲にも舞乃空ちゃんを目がけて四方から瓦礫が牙を剥きました。
「キャァアアアーッ!」
彼女は一般人です。抗う術などあろうはずもない姿に血の気が引きましたが――、
――ガンッ、ガンッ、ガガガガァンッッ!!!
琴杜音さんは躊躇なく私のシールドを解除し、間一髪のところで全ての防壁を娘の周囲へと集中させたのでございました。
「舞乃空、そこから動いちゃ駄目よっ! 舞乃空っ、舞乃空っ、返事をしてっ!!」
しかし、舞乃空ちゃんはあまりの衝撃に気を失ってしまったのか、床に倒れたまま微動だにいたしません。その愛娘の姿が、琴杜音さんの逆鱗に触れました。彼女は獣のような眼差しで、あの漆黒の髪の女性を睨みつけました。
「よくも……私の娘に、よくもやってくれたわね……っ!!」
田嶋が慌てたように、声を荒らげます。
「八鳳っ! 命令なく動くなと言っているだろうっ!!」
男は、その漆黒の女性をそう呼びました。「ヤホ」――その名が耳に届いた瞬間、今度は私を目がけて凄まじい突風が吹き荒れました。二度目の不覚は取りません。私は即座に反応し、飛来する瓦礫を最低限の動きで躱しながら、なんとか体勢を立て直しました。
「あーあ、ざんねーん! そのままお空の彼方まで飛んでいけば面白かったのにぃ」
隠密に囁くような声の主へ視線を向けると、そこには、今度は明るいブラウンの髪をした女性が立っておりました。寸分違わぬ容姿を持つ二人の女性が並び立つその光景に、私の脳裏にある確信がよぎり、激しい怒りが頂点へと達しました。
「やはり……! お前たちは、我が母のクローンを……っ!!」
怒りで全身がガタガタと震えるのが分かりました。しかし、田嶋はその姿を嘲笑うように、低く笑い声をあげたのです。
「フハハハハッ! クローンだと!? なるほど、そう解釈したか。本当に気づかぬものだな、間抜けな男よ」
「何が可笑しい……っ!」
「我が組織には、死者からクローンを生み出すような大層な技術などないのだよ、押上時士」
「なっ……!?」
「ククッ……では、一つヒントをくれてやろう。その八鳳の能力は『念力』。そして、こちらの七鳳は『風』だ」
「ッ……!?」
「まぁ、じっくりと冥土の土産に考えるがいい。――七鳳、八鳳! あのシールドの女と倒れた小娘は生け捕りにしろ。実験体としての価値がある。他はすべて蹴散らせっ! 私は宮東麦乃介を狙う!」
「「あいあいさー」」
二人の女性――七鳳と八鳳は、感情の消えた目で同時に動き出しました。七鳳は空生と倭久へと狙いを定め、八鳳は私と桜々さんの行く手を阻むように念力を展開します。
「この前は随分と好き勝手に言ってくれたねぇ、小娘! 今日は思いっきり可愛がってあげるよ。楽に逝けると思うなよっ!」
七鳳の放つ容赦のない風の刃が、空生たちを襲いました。倭久が必死に加勢に回るものの、縦横無尽に吹き荒れる風の前に、反撃の糸口さえ掴めずにいます。私と桜々さんもまた、八鳳の強大な念力の壁に阻まれ、近づくことすら叶いません。
誰もが防戦一方となり、拉致のあかないその泥沼の状況をぶち破ったのは、地響きのような咆哮でございました。
「――グォオオオーーーーッッ!!!」
それは、巨大化の能力を解放した夏丸でございました。
体長は五メートルを優に超え、漆黒の毛並みは妖しく光り、その瞳は血のように赤く燃え盛っています。そしてその背後では、三つに分かれた太い尻尾が猛烈に空を打っておりました。まさに、我が家の愛猫が「激昂の極み」に達した姿でございます。
なぜ彼がこれほどまでに理性を失うほど怒り狂っているのか――ふと夏丸の足元に目をやった私は、息が止まりそうになりました。激しい戦闘の余波に巻き込まれたのか、幸慈が頭から血を流し、床にへたり込んでいたのです。
「ユキっ!!」
「時士、こっちは大丈夫だ!」
夏丸が巨体に似合わぬ俊敏さで幸慈の前に立ちはだかり、低い声で吠えました。
「飛ばされてきた瓦礫の破片が少し当たっただけだ。ユキと舞乃空は、おれ様が命に代えても守る! お前たちは、あの頭のぶっ飛んだ連中に集中しろっ!!」
「助かります、夏丸……!」
心強い味方に背中を預けた、まさにその時でございました。
「空生ぉーーーーっっ!!」
会場の端から、倭久の引き裂かれるような悲痛な叫びが轟いたのです。
声のする方へ弾かれたように首を向けると、そこには、右肩を無残な鉄パイプで串刺しにされ、おびただしい血を流しながら崩れ落ちる空生の姿がございました。
「ソラっっ!!」
「おっと、お前たちの相手はこの私だよ! どこを見ているんだいっ!」
狂気的な笑みを浮かべた八鳳の念力が容赦なく私と桜々さんの行く手を遮り、どうしても空生の元へ走ることができません。
戦況は苛烈を極めました。倭久も満身創痍の体で空生を必死にかばいながら戦っていましたが、七鳳の放った凄まじい突風に吹き飛ばされ、二人まとめてコンクリートの壁へと容赦なく強烈に叩きつけられました。
完全に意識を失った二人へと、七鳳がゆっくりと歩み寄ります。彼女は冷酷な笑みを浮かべたまま、空生の長い髪を容赦なく掴んで引きずり起こすと、もう片方の手を彼女の胸元へと突き出しました。
「ねぇ、知ってる? 『風』ってね、人の身体を簡単に貫通させることができるんだよ? ――時士、よぉく見ておきな。お前への積年の恨み、この娘の身体を使って、じっくりとなぶり殺して再現してあげるからさぁ!!」
女の指先が、不吉な輝きを放ちました。
――ピューーーーンッ!!!
「あ、あぁあああーーーーっっっ!!」
空生の短い悲鳴が響き渡り、彼女の左胸に無残な風穴が貫通いたしました。背中から鮮血が激しく噴き出し、彼女は糸の切れた人形のように床へと頽れました。
「「ソラァアアーーーーッッ!!!」」
私と桜々さんの絶叫が重なりました。狂わんばかりに駆け寄ろうとしましたが、八鳳の力が私たちの行く手を阻み、どうしても進めなかったのでございます。
万事休すかと思われたその時、ヤツらの死角から黒い巨大が躍り出ました。
――バチコォーーーーンッッ!!!
地響きのような音を立てて放たれた夏丸の強烈無比な猫パンチが、七鳳の顔面を完璧にとらえたのです。その圧倒的な破壊力の前に、七鳳は一撃で壁まで吹き飛び、そのまま白目を剥いて動かなくなりました。
夏丸はすぐさま空生と倭久の身体を大きな前足で優しく引き寄せ、背後にいる幸慈の元へと回収し、自らの巨体で彼らを包み込むようにして守りの陣を敷いたのでございました。
「ソラちゃんっっ!!」
幸いにも軽傷だった幸慈が、すぐさま空生と倭久の元へと駆け寄り、必死にその小さな体で防御態勢を整えたのです。
「ユキっ! 空生と倭久を、夏丸と共に全力で守るのです!」
「はいっっ!」
その隣で、琴杜音さんもまた、青ざめた顔で自身の全能力を解放しました。
「私もここで最大出力のシールドを展開するわ! ごめんなさい……舞乃空のことに気を取られて、防壁を張るのが遅れちゃって……っ!」
「ありがとうございます! 子供たちを、どうかよろしくお願いいたします!」
私がそう叫ぶ傍らで、桜々さんはただ歯を食いしばりながら、溢れる涙を止めることができずにいました。最愛の娘が傷つけられた怒りと悲しみに、声すら出ないようでした。
子供たちの安全が確保された今、私たちは退路を断ち、落ち着いて八鳳へと向き直りました。
相棒である七鳳を昏倒させられた八鳳は、その端正な顔をこれ以上ないほど怒りに歪ませてこちらを睨みつけております。
「七鳳を……よくも、よくもやってくれたわね……っ!!」
「こんな無益な戦いをして、お前は満足なのか! 私への恨みだと言ったが、私ではなく何の罪もない空生を傷つけ、まだこれ以上、無駄な血を流し続けるつもりか!」
「無益だと!? お前が始めたことだろうがっ! 私たちの命よりも大切な『母』が犠牲になったんだ。その責任を貴様が取るのは、お互い様だろうがぁっ!」
「私が、一体何をしたというのだ……っ!」
「とぼけるなっ! 私たちの母を……お前がその手で亡き者にしたんだろうがっ!? ならば、同じ苦しみを味あわせてやるのが道理だろう!」
「何のことだ……私はそんなこと……」
「忘れたとは言わせないっ! 『竜神八重』の名を、貴様が忘れるはずがないだろうっっ!!」
「ッッ一一一!?」
その名がヤツの口から発せられた瞬間、私の全身の血が逆流いたしました。
「母は……瀕死の重傷を負いながらも、命を削って私たち双子を産み落としてくれた。でも、その直後に力尽きて死んだ……。お前が母を傷つけ、死に追いやったんだ! 思い出したか、竜神時士っ!!」
「時士さん……っ!」
私の隣で、桜々さんまでもがその名前に激しく動揺しておりました。
竜神八重。それは、他ならぬ私の実の母の名前でございます。
母が、あの襲撃の後に……生きて、この双子を産んでいた? ということは、目の前にいるこの忌むべき敵たちは、私がこの世に生を受けていないと思い込んでいた、私の……実の妹たちだというのか。
「嗚呼……ぁああああーーーーっっっ!!!」
かつて、父と身重の母は、幼き私をかばって命を落とした。自分が家族を犠牲にして生き延びてしまったという、生涯消えることのないあまりに重いトラウマが、ふたたび私の胸に容赦なくのしかかってまいりました。
どうしようもない苛立ち、激しい怒り、引き裂かれるような悲しみと苦しさ。それらが一時に押し寄せ、この世にいないはずの妹たちとこのような形で再会してしまった驚愕に、私の脳内は完全に狂い、混沌の渦へと叩き落とされました。様々な感情が言葉にならない悲鳴となり、私はただ、引き裂かれるような大声をあげることしかできなかったのでございます。
狂乱する私に代わって、桜々さんが涙を拭い、一歩前に踏み出しました。
「八鳳さん……! それは悲しい誤解よ! 時士さんは誰も傷つけてなんかいないわっ!」
「言い訳など耳を貸さぬ! 時士が母に致命傷を負わせたのは明白な事実だ! 貴様らがここから生きて帰れると――」
「だからと言って、実の兄妹で血を流し合うなんて、そんなの間違っているわっっ!!」
「……兄、妹……?」
八鳳の動きが、ピタリと止まりました。
「竜神八重さんはね、時士さんのお母様でもあるのよっ! それを、実の妹であるあなたが傷つけるなんて……っ!」
「……は? 何を、言っている……? こいつは、押上……」
「私と結婚して、婿養子として押上家に入ってくれたの! 時士さんの元の名は『竜神時士』。竜神家の一人息子よっ!!」
「なっ!? 嘘だ、そんな嘘に騙されるか! こいつが母を殺したヤツだと……!」
「それも歪められた偽りの事実よ! 時士さんは本当に、八重さんが命をかけて守り抜いた最愛の息子なのよっ!」
「……う、嘘……だ……。嘘だ、嘘だ、嘘だぁあああーーーーっっっ!!!」
八鳳にとって、それは天地がひっくり返るほどの衝撃であったのでしょう。信じて疑わなかった自らの「正義」と「復讐」の根底を桜々さんによって完全に叩き割られ、そのあまりの混乱と精神的打撃によって、彼女の強大すぎる念力の制御は、見る見るうちに破綻し、暴走を始めてしまったのでございました。




