TWENTY-FOUR
本日は快晴なり。天を仰げば抜けるような青空が広がり、まさにヴァルハラの新商品お披露目イベントにふさわしい朝でございました。
私たちは、イベント開始の一時間前には現地へ到着するよう、早めに自宅を出発いたしました。空生の『瞬間移動』を用いれば一瞬で行ける距離ではございますが……あの日以来、彼女の顔色は冴えず、今日も酷く青白いままでした。桜々さんも私も「まだ気持ちの整理がついていないのだから無理をしては駄目だ」と強く引き止めたのですが、彼女は頑なに行くと言って聞きません。結局、彼女の体力を考慮して倭久に車を出してもらい、全員で乗り込んだのでございました。
道中、助手席に座る空生の痛々しい背中を心配そうに見つめていた幸雅が、静かに声をかけました。
「ソラ姉……本当に大丈夫か?」
「……うん。ごめんね、心配かけて。会場に着いたら、ちゃんと気持ちを立て直すから。今は少しだけ、大目に見て……」
「朝飯もろくに食ってなかっただろ。無理だけはすんなよ」
「うん、分かってる。……ごめん、着くまでちょっと寝かせて」
空生はそう言って、シートのリクライニングを深く倒しました。いつもの毅然とした姉とは違う姿に、幸雅は募る不安を隠せない様子で私を振り返ります。
「なぁ、父さん……。やっぱり、ソラ姉は家に置いてきた方がよかったんじゃないか? いつものソラ姉じゃないよ」
「何度も説得したのですがね……。家に残されても、気になって余計に身が持たないと言うのです。よほど皇さんのことが心配なのでしょう。空生にとって、あの人は実の姉のような存在ですからね」
「……うん、分かるけどさ」
すると、ハンドルを握る倭久が、バックミラー越しに柔らかく微笑みました。
「ソラも自分の限界は分かってますよ。もう子供ではありませんし、心配ですが、ここは彼女の覚悟を信じて任せましょう」
「……そう、だね」
幸雅もようやく小さく頷き、車内には再び静寂が戻ったのでございました。
◆◆◆◆◆
ヴァルハラへ向かう道すがら、泥のように眠ったのが功を奏したのでしょう。到着した頃には空生の顔色にも幾分か赤みが戻り、その瞳には凛とした気合いが漲っておりました。
一安心しながら車を降りた、その刹那でございます。
「あれっ!? 押上君!?」
「えっ……マノ!?」
幸雅が素っ頓狂な声をあげました。そこにいたのは、彼の同級生である舞乃空ちゃんでした。
「どうしてここに? 今日のイベントって、確か新商品の化粧品とかのお披露目のはずだけど……」
「あ、いや……それは、その……」
珍しく歯切れ悪く口ごもる息子に、すかさず桜々さんが助け舟を出しました。
「私がお買い物に付き合ってもらったのよ。こんにちは、舞乃空ちゃん」
「あっ、コウ君のお母さん! 先日は本当にありがとうございました」
「こちらこそ、わざわざ丁寧にお礼に来てくれてありがとうね。その後、体調はもう大丈夫? 急に倒れたりしていない?」
「はい! おかげさまで元気いっぱいです。――あ、お母さーん! この方、前にお世話になった押上君のお母さんだよ!」
舞乃空ちゃんが後ろに向かって声をかけると、一人の女性が颯爽と歩み寄ってきました。そして、桜々さんとその女性がお互いの顔を見合わせた、次の瞬間でございました。
「やっぱり、桜々だぁーーっ!! お久しぶり!」
「ええっ!? 琴杜音っっ!?」
二人は示し合わせたかのように叫び、人目をはばからず強く抱きしめ合ったのでございます。その劇的な光景に、幸雅は目を丸くしました。
「母さん、マノのお母さんと知り合いなの!?」
「そうなのよ! 小学校時代の幼馴染みなの。六年生の時に琴杜音が転校しちゃって、それっきりだったんだけど……」
「押上って苗字を聞いて、もしかしてと思ってたのよ! 懐かしいわねぇ。また一緒に木登りでもして、怒られちゃう?」
「プッ! あれは琴杜音のせいでしょ? 木から落ちて、校長先生が大切にしてた盆栽棚を割っちゃったんだから!」
「そうだったっけ? アッハッハ!」
二人は一瞬で少女時代に戻ったかのように笑い合っていました。
「電話の声だけじゃ全然気づかなかったわ。舞乃空ちゃんを見た時から、どこかで会ったような気がしていたのよ! ご結婚されて苗字が変わっていたから、結びつかなくて」
「アハハ、違うのよ。母が離婚してね、これは母の旧姓なの」
「そうなの……。お母様はお元気?」
「それが……去年、病気でね。頑張ったんだけど、逝っちゃったわ」
「そうだったの……寂しくなったわね」
「桜々の方は?」
「うちは両親とも早くに亡くしてね。今はここにいる旦那さんと、子供たち三人。上から空生、幸雅、幸慈に……あ、長女の空生はもう結婚していてね、この子が旦那さんの倭久。みんなで同居しているの。愛猫の夏丸も合わせて、毎日ワチャワチャと賑やかにやっているわ」
「わあ、楽しそう! 私は舞乃空と二人きりなのよ。……実はね、未婚でこの子を産んだの。私の実家が片親だったから、相手のご両親に結婚を許してもらえなくて……。お別れした後に、妊娠が分かったのよね」
「そう……。本当に、一人でよく頑張ったわね……」
「うん。でも今はすごく幸せよ。この子が私の生きがいそのものだから。だからこそ、舞乃空を助けてくれて本当に感謝しているの。あの日は急患が入っちゃってお礼にも伺えず、失礼しちゃってごめんなさい」
「気にしないで! それより、急患って……。琴杜音、お医者様になったの?」
「ええ、一応ね。まだまだ半人前だけど、なんとかやっているわ」
「じゃあ、昔の夢を本当に叶えたのね! 凄いわ、格好いい!」
桜々さんが我がことのように目を輝かせます。
「ところで、今日はどうしてここに?」
「ああ、昔の職場のツテで、ここの製薬会社の会員になっていたから招待状が届いてね」
「あら、私たちと一緒ね。昔の職場って?」
「『GK』っていう診療研究所よ」
その二文字が身内以外の口から飛び出した瞬間、押上家一同の空気がピシリと凍りつきました。桜々さんも一瞬だけ息を呑みましたが、すぐに笑顔を取り繕います。
「あ……そう、なんだ……」
「ん? どうかした?」
「ううん! 普通の病院に勤めているのかと思ったから」
「最初は病院だったんだけど、向こうからスカウトされてね。だけど、どうにも研究方針が肌に合わなくて……喧嘩別れみたいに飛び出しちゃったの。だから今は、バリバリの大学病院勤務よ。もう随分前の話だから、GKとは一切交流もないわ」
「そう……。あ、じゃあ琴杜音、また今度ゆっくりお茶でもしましょう? 私たち、これから少し外せない用事があって……」
「いいわね! 休みが取れそうな時にまた連絡するわ」
そうして桜々さんは旧友との再会を約束し、私たちは別れました。しかし、歩き出してからの桜々さんの表情は、ひどく沈んで物憂げなものでございました。気になった私は、子供たちに悟られぬよう、そっと耳元で囁きました。
「どうかしましたか? 何か気になることでも……」
「うん……。彼女、琴杜音はね……かつて『シールド』を操る能力者だったのよ」
「ええっ!?」
「能力者の親から生まれたんだから、舞乃空ちゃんも能力者のはずだと思ったの。でも、トッキーの『救済察知』の波長は彼女に届いたし、ユキの『ヒーリング』による治療も受けられた……。能力者同士なら、お互いの能力は干渉し合って効かないはずでしょう? だから舞乃空ちゃんは一般人で間違いない。どういうことかしら……」
「なるほど……『ミクストレイス(混血)』の可能性が高いですね」
「あ……そうか。お父さんになる方が、一般の方だったのね」
「ええ。能力者と一般人の間に生まれた子供が、能力を発現する確率は極めて低いと記録されています。だからこそ、舞乃空ちゃんは一般人として健やかに育ったのでしょう。彼女が未婚で産むことになった理由も、あるいはその血筋が関係していたのかもしれません……」
「小学生の時に別れたきりだったから、そんな壮絶な人生を送っていたなんて、ちっとも知らなかったわ……」
「無理もありませんよ。今日こうして結ばれた縁があるのです。すべてが解決した後に、またこれから、ゆっくりとお互いの時間を埋めていけば良いのですよ」
「そうね……。今は余計な感傷に浸っている場合じゃないわ。先を急ぎましょう、一般のお客様も集まり始めているもの」
「ええ。ムギの元へ急ぎましょう」
◆◆◆◆◆
私たちは急ぎ足で施設長室へと向かいました。
決戦を前にして、緊張の糸が張り詰める押上家一同――でございましたが、一歩室内に足を踏み入れた瞬間、その重苦しさを一撃で脱力させる、あの緊張感のない声が響き渡ったのです。
「待ってたわぁーーん!! 桜々、超お久しぶりぶりねっ! 元気にしてたぁ? ってあらやだ、ちょっとやつれたんじゃないのぉ!?」
「そ、そうかしら? ちょっと寝不足なだけよ。ムギちゃんは相変わらず元気そうで安心したわ」
「ありがとん! あたくしは元気満点、むしろ有り余りすぎて暴れたいくらいよ……んふっ」
美しい顔に不敵な笑みを浮かべ、麦乃介は指の関節をバキバキと凄まじい音で鳴らしました。
「ふふっ、相変わらずね。綺麗なお顔が台無しよ」
「やだぁん! 今の凄みは見なかったことにしてぇん!」
ひとしきりじゃれ合った後、麦乃介は私たちに向き直り、その表情をキリリと引き締めました。
「押上家の皆さん、今日はわざわざ加勢に来てくれて本当にありがとう。――ってなわけでっ! 早速ヤツらの目を欺くために、みんなで着替えてもらいましょうかね! 皇ィィーーっ!!」
「はいっ! すべて用意しておりますっっ!!」
「あら流石ね! じゃあ、みんなそれぞれ着替えに行ってちょうだい!」
こうして私たちは、有無を言わさず変装を余儀なくされたのでございました。
幸雅と倭久は、黒スーツに身を包んだオールバック姿のいかついSP風。空生は皇さんと同じヴァルハラの制服に、おかっぱ頭のウィッグ。そして私と桜々、幸慈の三人は『VIP招待客』という設定でございます。桜々さんはモダンな大正ロマン風のドレスに顔を隠すクロッシェ帽。私は仕立ての良い高級スーツにロッビア帽を被らされ、幸慈はレトロな学生帽に学ランという、どこか古典的ながらも洗練された富裕層の装いとなりました。
そして、我が家の愛猫、夏丸はといえば……プッ!
ヴァルハラのシンボルである薔薇を立体的にあしらったフードを被らされ、特徴的な毛並みを隠すために緑色のピッチリとした服を着せられていたのでございます。体全体で一輪の薔薇を表現させられ、完全にイベントのマスコットアニマルと化しておりました。本猫は憮然とした顔で固まっておりますが、これが妙に似合っておりまして……ククッ。
「良かったな、ここにルナがいなくて……プッ」
隣で倭久が必死に笑いを堪えながら囁きます。
「……倭久。てめぇ、後で絶対に引っ掻いてやるからなッッ……!」
夏丸が低い声で呪詛を吐いておりました。
そんな様子を見て、作り手である麦乃介は満足そうに胸を張りました。
「ふぅー! あたくしの渾身のスタイリングを見事に着こなすなんて、押上家、流石だわぁっ! ――それじゃあ、作戦を伝えるわよ。トッキー、桜々、ユキちゃん、そして夏丸は会場内を巡回して雑魚の一掃をお願い。皇、ソラちゃん、倭久は、我が組織に潜り込んだネズミ二名と幹部どもの捕縛および自白の強制。コウとあたくしは、すべての元凶であるトップ、田嶋寿一を直接捕縛するわ。ヤツらを強制的に動かす緊急指令コードは『2736』よ。よっろしくぅっ!!」
「「「「「「「はいっっ!!」」」」」」」
一斉に鬨の声が上がる中、一人だけ不満げに頬を膨らませた幸慈が声を張り上げました。
「ムギさんっ! いつまでも僕を『ユキちゃん』って呼ばないでください!」
「あっ、ごっめーーん! ユキ、よろしくねっ!」
「ん! 承知っっ!」
「やだぁーーん! かーわーいーいーーーっっ!!」
「可愛いって言わないでってば、ムギさん! もうっ!」
不貞腐れる幸慈に全力で平謝りしながら、これでもかと頭を撫で回して可愛がる麦乃介。
振り返れば幸雅も、こうして麦乃介から時に厳しく、時に溢れんばかりの愛情を注がれ、師弟のような深い絆を結んで育ってきたのでございます。だからこそ、幸雅が「ムギさんの側にいたい」と願うのは、至極当然の成り行きなのでしょう。
この温かく、幸福な日常を再びこのヴァルハラに取り戻すために――私たちは各々の胸に静かな闘志を燃やし、それぞれの持ち場へと散開したのでございました。




