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インターミッション3

 よぉ! この前ぶりだな。

 ん? 首に袋をぶら下げて何処に行くのかって? 俺は今から倭久と墓参りなんだよ。この前話した、あのミー母さんのな。あの地獄みたいな施設環境の中で、ミー母さんは俺を救って、いつも傷を癒してくれていた。なのに、俺はまともにお礼すら言えないまま別れちまったからさ……。

 

 せめて墓参りだけでもと思って、桜々に御供物を用意してもらって、倭久にお願いして連れて行ってもらう予定なんだ。倭久はジムの掃除を終えてから行くって言うから、今こうしてジムの前で待ってるわけ。……あ、噂をすれば倭久が来たな。ほら、見つからないように、お前はそこへ隠れておけよ?

 

「悪いな、倭久!」

 

「おお……大丈夫だぞー……」

 

「……どうした? なんかあったのか?」

 

「えっ、なんで?」

 

「なんか、妙に元気なさそうなツラしてるからよ。また時士に絞られたのか?」

 

「いやー……ちょっとね。……実は、初の夫婦喧嘩をしてしまいまして……」

 

「夫婦喧嘩!? 珍しいな! して、原因は何だ!?」

 

「お前、なんでそんなイキイキと嬉しそうに聞くんだよ……」

 

「あ、わりぃ、わりぃ! お前らが喧嘩なんて珍しくてよ。で、何があったんだ?」

 

「それがさ……よく分からないんだ。どうして空生がそう思ったのか……」

 

「はぁ!? 原因も分からずに喧嘩したのかよ」

 

「いや、そうじゃなくて……俺、空生に『浮気されてる』と思われてるらしいんだ」

 

「おぉ!? お前が? 浮気!? ……ほぅ、やるじゃねぇかッッ!」

 

「してねーしッッ!!」

 

「じゃあ、空生はまたなんでそんな突拍子もないことを言い出したんだよ」

 

「寝言でさ……女性の名前を繰り返し呼んでいたって言うんだ……」

 

「あぁん!? それだけで浮気疑惑かよ」

 

「とりあえず言われたのはそれだけで……。冷たくそう言われて、そこから一切口をきいてもらえなくなったんだよ……」

 

「なーにやってんだよ、ったく! 隠すならもっと上手く――」

 

「何も隠してねーし、浮気なんて天地に誓ってしてねーってッッ!」

 

「じゃあ、寝言でなんて名前を呼んだんだよ?」

 

「それが、教えてくれないんだよぉ!『そんな名前、二度と口に出したくないッ!』って最後はめちゃくちゃ怒っちゃってさ……。俺、嫌われちゃったのかなぁ……」

 

「あー……名前が分かんなきゃ、対策の立てようもねぇなぁ……」

 

「身に覚えがないのに、なんでこうなっちゃったんだろう。ねぇ夏丸、俺はどうしたらいい? やましいことなんて本当に何もないのに。こういう時、世間の人はどうやって仲直りの話を切り出すんだ?」

 

「知るかよッ! 真っ向勝負で『誤解だ』って切り出すしかねぇだろ!」

 

「それが、完全に避けられてて口をきく隙もないんだよぅ……」

 

「相当、怒らせたってことか……。参ったな、アイツが本気で怒ったら、最強のスルースキルが発動するからな……」

 

「ウッ……ウッ……ソラァ……」

 

「だぁーッ! しみったれた顔して泣くな! 情けねぇッッ」

 

「だってぇ……」

 

「とりあえず、コウに相談してみたらどうなんだ?」

 

「……そうするしかないかなぁ。でも、なるべく弟の力を借りて解決はしたくなくてさ……」

 

「なら、俺の力も借りようとすんなよッ!」

 

「夏丸は別だよ。なんか妙に大人っぽいというか、おっさん臭さがあるというか、頼りになるし……」

 

「ふざけんな! 俺はまだ三歳だッッ!!」

 

「でもさ、人間の年齢に換算すると三十歳手前くらいだろ? 俺より年上じゃん」

 

「やかましいわ! 大嫌いな人間の心理なんざ、俺が知るわけねーだろ。ましてや、人間の女の心理なんてのは完全にお手上げだ」

 

「夏丸は誰か、良い『ひと』はいないわけ?」

 

「そんなもんはいらん!」

 

「なんでだよー! 好きな人がいるってのは幸せなことだぞ?」

 

「……今の説得力ゼロのお前の状況からは、何一つ心に響かねぇわ」

 

「ひどォッ!」

 

「おら、おしゃべりは終わりだ。行くぞ!」

 

 道中、永遠と続く空生との仲直り作戦の愚痴を聞かされ、落ち込む倭久を叱咤激励しながら、俺たちはようやくミー母さんの墓に辿り着いた。

 そこは『おかゆの家』の近くにある緑地公園の一角で、猫集会の場所よりもさらに奥に入った、見晴らしの良い特等席だった。手作り感満載の、土が盛られただけの小さなお墓。けれど、その周りには綺麗な野花が色とりどりに咲き誇っていた。

 

 御供えとして、俺は桜々に小さな瓶に詰めてもらったミルクと、少量のカリカリを墓前にそっと置いた。

 手を合わせ、静かに祈りを捧げた後、俺はふと疑問を口にした。

 

「……なぁ。ミー母さんはあの騒動のあと、施設から逃げ出して外の世界へ出ただろ。その後は、どうやって暮らしていたんだろうな」

 

「ここら辺で子育てをしてたって、前に言ってたなぁ」

 

「子育て!? ミー母さん、あの中にいた時、お腹に子供がいたのか……?」

 

「おお。確か妊娠が分かったくらいの時期に、あの騒動に巻き込まれたんだって。でも、ミー母さんは『ちょうど良かった』って言ってたよ。あの施設の中では、絶対に子供を産みたくもないし、育てたくもないって思ってたらしいからさ……」

 

「そう、だったのか……」

 

「それに、ミー母さんには旦那さんもいたし、いつも娘さんが寄り添っていたからな。何とかやっていけたらしいぞ」

 

「はッ、旦那!? 娘ッ!?」

 

「うん。多分、そこら辺にまだ――」

 

 倭久の言葉が終わるより早く、カサリと茂みが揺れた。

 現れたのは、艶やかな漆黒の毛並みに、綺麗な金色とグリーンのオッドアイを持った、凛とした佇まいの黒猫だった。

 

「倭久、また来てくれたの?」


「ルナッ!」

 

 ルナと呼ばれたその『ひと』を見た瞬間、俺の身体にビリビリと電流が走った。目を離せないほどの美しい毛艶。そして何より、あのミー母さんの優しい声にそっくりな、透き通った素敵な声。一瞬、世界の時間が止まったかのように思えた。

 固まったまま動けない俺を見て、彼女は目を細めてにっこりと微笑んだ。

 

「あら、チビ助ね! 久しぶりじゃない」

 

「チビ……助……?」

 

「フフッ、小さかったから忘れちゃったかしら」

 

 すかさず倭久が間に入った。

 

「ルナ。この子は今、『夏丸』って言うんだ。彼を救ってくれた押上さんの家で付けてもらった名前なんだよ」

 

「まぁ! 素敵な名前じゃない。良かったわね、チビ助……あ、じゃなかった、夏丸!」

 

「えっ……。お前、俺の小さい頃を知ってるのか?」

 

「ええ、もちろん。唯一、ロイさんにそっくりな息子さんだったもの。よく覚えているわよ」

 

「ロイ?」

 

「やっぱり、まだ小さすぎたから覚えていないのね……。貴方のお父様の名前よ」

 

 ルナは静かにお墓の隣に腰を下ろし、どこか誇らしげに目を細めた。

 

「あそこの施設で、一番賢くて偉い方だったのよ。施設の人たちも一目置いていた、素晴らしい方。彼のおかげで、私たちは施設の中でもそれなりに自由に動けていたんだから」

 

「自由に動ける? ……あんな地獄みたいな場所でか?」

 

「ええ。貴方は幼かったから知らないかもしれないけれど、特殊な能力を持った猫たちの待遇は、まだ恵まれていたの。他の動物たちは実験で次々に命を落としたり、能力が付かなかった子は劣悪な環境に放り込まれていたけれど……あそこはそういう場所だもの。でもロイさんは、人間の言葉を喋るだけじゃなく、雷を自在に操る強力な能力を持たれていたわ。私たちの救世主のようなお方だったのよ」

 

「そう……だったのか。俺は、自分はただの捨て猫だから、あんな酷い実験をされているのだとばかり思ってた……」

 

「……みんな同じように実験されたわ。私は人間の言葉と、少し体が浮くくらいの半能力しか持てなかったけれど、母には人間の言葉と、傷を治癒する半能力があったの」

 

「半能力……?」

 

「威力が半減した能力、と言ったらいいのかしら。正統な人間の能力者であれば一瞬で治せる傷も、私たちは実験で無理やり持たされた力だから、強い発現には至らなかったのよ。ただ、人間の言葉を解する能力だけは、その付加機能として私たち猫には必ず現れていたみたい。だからね、母の治癒の力は一度じゃ効かなくて……傷だらけだった夏丸のところへ、母が何度も何度も、身体を舐めに行っていたの。そこも、覚えていない?」

 

「お……覚えてる! そこは、はっきりと覚えてるよ!」

 

「そうなの!? 嬉しいわ……」

 ルナは愛おしそうに目を細めた。

 

「母はね、『ロイさんの息子を死なせるわけにはいかない』って、あの頃、とにかく必死になって貴方を治しに行っていたのよ」

 

「俺のために……」

 

「ええ。……夏丸のお母様も、兄弟たちも、その前にみんな実験の負荷で亡くなってしまっていたから……」

 

「えっ……」

 

「母が必死に治療を続けていたけれど、やっぱり半能力じゃ限界があって、全員は救えなくて……」

 

「俺だけが……生き残ったのか」

 

「でも、夏丸だってあの時は瀕死の状態だったのよ」

 

 二人の話をじっと聞いていた倭久が、神妙な面持ちで頷いた。

「なるほどな……。その限界のタイミングで、時士さんに助け出されたってわけか」

 

「そうなの! 本当に安心したわ。母も『あの人間(時士)になら任せても大丈夫だとロイさんが言っている。私たちも今すぐここを脱出しましょう』って言って、あの騒動のドサクサに紛れて逃げ出したの」

 

「親父が、時士に……?」

 

「ええ。……きっと、貴方の命を託したのだと思うわ」

 

「……」

 

 俺は押し寄せる事実に胸を突かれ、黙り込んでしまった。

 

「夏丸? どうかした?」

 

「……なぁ。親父はそんなに偉くて強い猫だったなら、なんで母さんや俺の兄弟たちが実験される前に、人間たちを叩きのめして止めようとしなかったんだよ。それだけの力があったんだろ?」

 

「ロイさんは、ちゃんと反乱を計画していたのよ。これ以上の犠牲を出さないために、仲間のことを考えて、緻密な計画を立てていたわ。なのに……」

 

「なのに?」

 

「裏切った者がいたの。事を起こす直前に、人間に密告した者がいたのよ……。それでロイさんは事前に捕らえられて、身動きが取れなくなってしまっていた。その直後に、貴方たちの実験が強行されたの。だから、ロイさんにはどうすることもできなかったのよ……」

 

「そう……だったのか。じゃあ、時士が乗り込んできた時、親父はどうして一緒に逃げなかったんだ? 時士の手を借りれば、一緒に逃げられたはずだろ……」

 

「……ごめんなさい。そこまでは、私にも分からないわ」

 

「……そうか」

 

 落胆する俺の肩に、倭久がそっと手を置いた。

 

「何か、どうしても行けない事情があったんじゃないか?」

 

「えっ……」

 

「一緒に逃げれば助かったはずなのに、それを捨ててまであそこに残りたかった、あるいは残らなきゃいけない理由。……今度、時士さんに直接聞いてみたらどうだ? 今のお前なら、腹を据えてちゃんと聞けるはずだよ」


倭久の言葉が、すとんと胸に落ちた。――そうだ、今の俺なら、もう逃げずに聞けるはずだ。

 俺は小さく息を吐き出し、頭を振って重い空気を払うと、隣に佇むルナを見上げた。

 

「……あぁ、そうだな。今度ちゃんと聞いてみる。……ところでルナ、さっきの話だけど、あの騒動の時のミー母さんは身重の身体だったんだろ? 外の世界での暮らしは、大丈夫だったのか?」

 

「ええ。その時はまだ私の父も健在だったし、母は強かったから、縛られることのない外の世界で幸せに暮らしていたわ。でも……」

 

「でも?」

 

「……うん。結局ね、私の兄弟たちは無事に生まれたんだけど、父の居ない隙を狙われてカラスに襲われたり、車に轢かれたりしちゃって……。初めて外の世界に出た私たちは、外にある危険を何も知らなかったから……」

 

「そうだったのか……」

 

「でもね、その後にまた生まれてきてくれた子もいたの! 無事に育ったのは一匹だけだったけれど、母に似た、真っ白な毛並みの元気いっぱいの男の子がいたのよ」

 

「「白猫……?」」

 

 俺と倭久の声が綺麗にハモった。ルナは悲しげに瞳を伏せる。

 

「でも、母は出産後しばらくして、重い病気に罹ってしまって……。徐々に具合が悪くなる母の代わりに私がその子の面倒を見ていたんだけど、ほんの一瞬、目を離した隙にどこかへ居なくなっちゃって……。探して、探して、必死に探したけれど、結局見つからないまま……」

 

 俺は、ルナの父親の存在が気になり、尋ねた。

 

「……お前の親父さんは? その子が居なくなった時、一緒じゃなかったのか?」

 

「父は……その白い子が生まれる前に、私たちをカラスから庇って、車に……」

 

 その事実を知らなかった倭久が、驚いて声を上げた。

 

「そうだったのか……! てっきり、俺が会いに行ってる時はいつも出掛けてるものとばかり……。ごめん、知らなくて。居なくなった子供がいたなんて話も、聞いていなかったから……」

 

「ううん、いいのよ。私から倭久に『探してほしい』ってお願いしようとしたんだけど、母がね、『倭久には倭久のすべき役目があるんだから、これ以上の負担をかけちゃいけない』って、頑なに止められて……」

 

「ミーヤさん……」

 

「母が病気で亡くなってしまったのも、そういう不幸が重なって、心労が限界だったんだと思うの……」

 

「ルナ……」

 

 しんみりとした空気が漂う。俺は、この愛おしい黒猫を少しでも元気づけたくて、わざと大きな声を張り上げた。

 

「――よし! じゃあ、その生き別れの兄弟探し、俺が手伝ってやるよ、ルナ姉さん!」

 

「プッ! やだ、チビ助……じゃなかった夏丸。ルナでいいわよ、ルナで! それにしても、そんな頼り甲斐のある言葉が言えるようになるまで立派に育ったのね。本当に安心したわ。倭久から少し話は聞いていたけれど、私、貴方のこともずっと心配だったから……」

 

「お、俺のことも……!?」

 

 カァーッと、顔から耳の先まで何かが熱くなるのを感じた。これが人間の言う「照れ」ってやつなのかどうか、俺にはよく分からなかったが、とりあえず誤魔化すためにぶっきらぼうに言葉を返した。

 

「お、俺は元気にやってるから大丈夫だッ! まぁ、色々と突飛で大変な家ではあるが、良い人間ばかりだからさ」

 

「そうなの?」

 

「あぁ。今度、ルナも『YADOCALI』に遊びに来いよ。俺のニャロン、食べさせてやるからさ」

 

「ニャロン?」

 

「知らないか? 最高に美味い至高のオヤツなんだ。ルナにも絶対に食わせてやりたい」

 

「フフッ……ありがとう。楽しみにしているわね」

 

「おう! じゃあ……俺らはもう行くわ」

 

「ええ、またね」

 

 そうして、俺たちは緑地公園をあとにした。

 自宅が近づくにつれ、足取りが目に見えて重くなり、再び空生との喧嘩について考え込んでいる倭久。……そして、そんな倭久と同じように、俺もまた別のことを深く考え込んでいた。

 

 白猫の、男の子……。

 あの公演の近くで、心当たりはいるにはいるが……いや、まさかな。

 今度、タイミングを合わせて、あいつをあの場所に連れていってみるか。

 それにしても……本当に綺麗な黒猫だったなぁ……。

 様々な思考が頭を巡る中、俺たちは無言のまま帰宅の途についたのだった。

 

 ――あ、お前もう帰るのか?

 悪いな、ちょっと考え事をしてて、あんまり構ってやれなくてさ。俺もこれから、時士にキッチリ聞かなきゃいけない大切なことができたからさ。

 じゃあな、またな! シーヤ!

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