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16/20

FOURTEEN

リビングのソファで膝を突き合わせることとなり、重苦しい沈黙の中、最初に口火を切ったのは桜々さんでございました。

 

「なんで黙っていたの……?」

 

「……検査をして、気付いた時にはもう手の施しようがなかったんじゃ。桜々には、苦労ばっかりかけてきたからな。最後くらいは静かに逝こうと思ってたんじゃが……」

 

「そんなの、無理に決まってるじゃない! 転移があるなら、ずっと痛かったんでしょう? ……我慢してたの?」

 

「んにゃ、まだ大した痛みはねぇよ」

 

「嘘ばっかり。今だって痛いんでしょ? すぐに痛み止めを飲んで……横になれるようにお布団を用意してくるから……」

 

 そう言って真之さんに背を向け、準備のために部屋へと向かう桜々さん。その瞳に涙が溜まっているのを、私は見逃しませんでした。すかさず私は、真之さんに向き直りました。

 

「笑い事じゃないですよ、真之さん。どうしてすぐに言ってくれなかったんですか。俺たちは、そんなに頼りないですか……」

 

「そうじゃねぇよ。……お前という任せられる男がいる。だからこそ、桜々には余計な悲しい思いをさせたくなかったんじゃ。母親を早くに亡くしたあの子に、またあんな思いをさせるのが辛かった……。だから、言えなかったんだ」

 

「……真之さん……。……えっ? 今、さらっと仰いましたけど……俺に任せられるって、どういう……?」

 

「あーあー! とうとう言っちまった、クソッ!」

 

「ク、クソって……それって、俺を認めてくれたってことですか!?」

 

「癪だがなッ!」

 

「あ、ありがとうございますッ!」

 

「結婚して、お前たちがこの『YADOCALI』を継いでいってくれるなら、もう何も思い残すことはねぇ。頼むぞ、時士……」

 

「け、結婚!? はい! 必ず、桜々さんを幸せに――」

 

「ちげーよ! お前『も』幸せになるんだ」

 

 真之さんは私の言葉を遮り、父親の目で私を真っ直ぐに見つめました。

 

「天涯孤独になっちまったお前に、普通の家庭の温かさを与えてやることはできんかったが、これからはお前と桜々がそれを作り上げていくんじゃ。もう一人じゃない、家族になるんだ。だから、二人とも幸せにならなきゃいけねぇ。……それに桜々は知っての通り、掃除や片付けが壊滅的に苦手だからな。得意な時士が助けてやってくれ。その代わり、桜々にはこのまま美味い食事を作ってもらって、二人で分担しながらボチボチやっていきゃいいさ」

 

「……はい。っ……でも、俺は、押上家に引き取っていただいて、たくさんの大切なことを学びました。天涯孤独になっても、ひとりぼっちじゃなかった。常にお二人が寄り添ってくださって、俺は今までもずっと幸せでした。本当に、ありがとうございました……」

 

「……そうか。お前がこの家に来て、元気になってくれたから、俺も嬉しかったよ。娘しかいなかったからな……」

 

「それに、真之さん!」

 

「お、おぅ? なんだよ」

 

「これからも真之さんにはいてもらわなきゃ困ります! 病気はすぐに進行するわけじゃありません、まだ時間はあります。痛みと向き合いながら、少しでも長く、三人で一緒に幸せに過ごしていきましょう。ね、お父さん!」

 

「……コイツ……。ハナタレの泣き虫坊主だった癖に……生意気に、なりおって……っ」

 

 そうして私は初めて、真之さんの大粒の涙を見たのでございました。それは嬉し泣きであり、同時に、どうしようもない運命に対する悔し涙のようにも思えました。


 

 それからの展開は、まさに仰天の連続でございました。なんと私たちは、交際という手順をすべてすっ飛ばし、一気に結婚へと突き進むことになったのです。

 

「交際なんぞせんでも、互いのことはもう分かっとるじゃろうが! 儂に心残りができたんじゃ! 死ぬ前に、桜々の花嫁姿を見させろッ!」

 

 という、今までとは真逆の強引な親バカモードに突入されたためでございました。驚きはしたもののその提案が嬉しく、私は以前から決めていた「押上家の婿養子に入る」という意思を伝えました。真之さんは驚き、竜神の名が途絶えてしまうと狼狽えましたが、


「名が消えても、両親から受け継いだ血が消えるわけではありません」


 と懇々と説得すると、再び嬉し涙を流して受け入れてくれたのでございました。

 

 そこからは嵐のような忙しさでした。急ぎ足で日程を決め、三人と牧師さん、そしてカメラマンさんだけのごくこじんまりとした式を挙げました。この時の桜々さんは、本当に息を呑むほど超絶綺麗でございました。リビングに飾られている写真は、その時にカメラマンさんが準備や待ち時間の自然体な私たちをたくさん切り取ってくれたものです。中でも、教会内のステンドグラスをバックにした一枚は、差し込む自然光の中で三人の笑顔が弾ける、最高の一枚となりました。

 

 新婚旅行は私の提案で、真之さんも一緒に、身体に良いと言われる近場の『万々温泉』へ赴きました。幸い真之さんの痛みも酷くなく、水入らずの時間を心から楽しんでいただけたように思います。

 

 そして奇跡は続くもので、結婚式から一ヶ月後には、なんと空生を授かることができたのです。その時の真之さんと私の喜びようといったら、言葉では表せないほどのフィーバーぶりでございました。

 

 初孫の存在に活力を得たのか、真之さんの容体は一時的に持ち直したように見えました。……が、今度は少々口煩くなり、「安静にしろ」「重い物は持つな」「身体を冷やすな」としつこく付きまとう真之さんに、桜々さんはすっかり辟易し、ウンザリした顔で私に訴えてきたものです。私が「心配してくれる家族がいるのは幸せなことですよ」となだめると、桜々さんもなんとか納得して苦笑いを浮かべておりました。

 

 まあその後も、真之さんは「体力維持の散歩だ」と称しては、ベビーベッドやベビーカー、子供服にお包みなどを、これでもかと買い込んできて部屋を溢れ返らせ、最終的に桜々さんの特大の雷が落ちたのは言うまでもありません。

「なぜ父さんの暴走を止めなかったの!」と私も連帯責任でお叱りを受けましたが、あの剛腕の能力者の暴走を止められる人間など、この世に一人しかいないと思うのですがね……。それも今にして思えば、かけがえのない幸せのひとコマでございます。

 

 そうこうしているうちに桜々さんのお腹は順調に大きくなっていきましたが、それと反比例するように、愛おしそうに娘を見つめる真之さんの容体は、少しずつ悪化の一途を辿っていきました。歩く姿すら痛々しい日もありましたが、それでも自力で何とかしようとする男のプライドを、私たちは黙って見守るしかありませんでした。

 

 そして、十月十日を待たずして、少し早めの兆しが訪れました。

 その日は、空の青さが目に染みるほど眩しい朝でございました。三十時間にも及ぶ凄絶な陣痛を乗り越え、元気よく柔らかな産声をあげて、その子は誕生してくれたのです。母子共に無事であることに、真之さんと私は心の底から安堵いたしました。

 

 入室が許され分娩室へ入った私は、まず何よりも先に、真之さんの腕に生まれたばかりの我が子を抱いてもらいました。愛おしそうに、その小さな顔をじっくりと眺めながら、真之さんは呟きました。

 

「母さんと、桜々の顔じゃなぁ……。綺麗な漆黒の髪は、幼い頃の時士によく似とるわい。桜々……ご苦労様じゃったな。お疲れさん……」

 

 そう言いながら、静かに涙を流された真之さんの姿を、私は生涯忘れないでしょう。


 名前は、事前に真之さんにお願いして、たくさん考えていただいておりました。しかし真之さんは、看護師さんが開けてくれた窓の外、広がる美しい青空を眺めながら、ぽつりと仰ったのです。

 

「この子の名は……空生じゃ。今日の空模様のように、爽やかで明るく、光り輝く道をまっすぐに生きていけるように、な……」

 

 そんな願いを込めて、真之さんがその場で名付けてくれたのでございました。

 桜々さんも私もその場ですぐにその名を気に入り、次の日の朝早く、私は出生届を提出するために役所へと向かいました。

 ……あの時、無理を言ってでも、真之さんを一緒に連れていってあげれば良かった。それだけが、今でも悔やまれてならないのです。

 

 真之さんが一筆書いてくれた用紙を提出するだけだからと、身体を労って寝ている間にこっそり出掛けたのですが、私が留守にしている間に、真之さんは痛む身体を押して起き上がり、自分でタクシーを呼んで、一人で桜々さんのお母様のお墓へと向かってしまったのです。

 

 役所から戻り、布団が空っぽになっているのを見た私は、血の気が引く思いで慌てて探しに出かけました。出産の疲れが癒えていない桜々さんに心配をかけるわけにはいかないと、一人で近所を必死に探し回りましたが、無情にも雨が降り出し、埒が明かないと判断して警察へ捜索願を出しました。

 

 雨の中を狂ったように名前を呼びながら探し回っていると、数時間後、警察から「見つかったかもしれない」と連絡が入ったのです。

 指定された病院へ駆けつけた私を待っていたのは、雨に濡れ、冷たくなって横たわる真之さんの姿でした。


 私はただ、呆然と立ち尽くすことしかできませんでした。頭を鈍器で繰り返し殴られているような眩暈と衝撃の中、別室へと促されました。冷たい無機質な部屋で、警察官は手元の書類を淡々とめくりながら、事務的な口調で説明を始めました。

 

「検視の結果、外傷は認められません。お墓参りを終えられた直後に、急性心筋梗塞を発症されたものと思われます」

 

 言葉は、まるでどこか遠くの出来事のように耳を通り過ぎていきました。お墓に寄り添うようにして、真之さんは誰に看取られることもなく、一人静かに、その命の灯火を消されたのでございました。

 

 出産の直後である桜々さんに伝えるべきか、激しく葛藤しましたが、隠し通せるわけもありません。私は意を決して病室へ連絡し、桜々さんを呼び出しました。車椅子を用意してもらっていましたが、彼女はしっかりと自らの足で立ち、どこまでも凛とした冷静な佇まいで、真之さんと対面いたしました。

 動揺を見せることなく、静かに真之さんの傍らに寄ると、

 

「たくさん……雨に打たれて寒かったでしょうに。最後は、やっぱり母様の側が良かったのね……」

 

 そう言いながら、雨に濡れた父親の髪を、いつまでも、いつまでもハンカチで優しく拭いてあげていたのです。その姿に、私は堪えきれずに涙を流し、ただ泣き崩れておりました。すると、桜々さんが静かに私を振り返ったのです。

 

「時士さん、自分を責めないでくださいね。父さんね……さっき、私に会いに来てくれたの」

 

「えっ……」

 

「お医者様が亡くなられたとおっしゃった、少し前のことよ。お父さんが突然、病室にふらっと現れたの。……最初はね、優しい夢でも見たのかと思ったわ」

 

「真之さんが……ですか?」

 

「ええ。『勝手に出掛けて悪かった、気にするな』って、いつもの調子で笑うのよ。それからね……『これからは心強い時士がお前の側にいてくれる。だから悲しんで泣くな。儂はポクッと逝けたから苦しゅうなかった。空生を頼んだぞ』って……」

 桜々さんは、溢れそうになる涙を堪えるように、ぎゅっと唇を噛み締めました。

 

「最後にね、『じゃあ、母さんが迎えに来てくれたから、もう行くわな』って……そう言うだけ言って、満面の笑顔で消えて逝っちゃったのよ……」

 

「ハハッ……真之さん、らしいですね……」

 

「そうなのよッ! 随分と好き放題に言ってくれちゃって、最後にッ、あんな、満面の笑顔を見せるなんて……っ、うっ……ううっ……!」

 

 強がって文句を言いながら、ついに限界を迎えて泣き崩れた桜々さんを、私は強く抱き寄せました。二人で、病院の片隅でしばらく涙を流し続けました。最期の最期まで、魂の姿になってまで残される私たちを慮ってくれた偉大な父親に、感謝の念が涙となって溢れて止まりませんでした。

 

 体調の戻らない桜々さんにこれ以上の無理はさせられないと、真之さんをしばらく安置所に預かっていただき、その間に葬儀の手続きや諸々の申請をすべて私一人で済ませました。そして、桜々さんと空生が退院するのを待って、真之さんを荼毘に伏したのでした。


 その日の空は、これ以上ないほど穏やかに澄み渡る、どこまでも深い青空でございました。

 

「お父さんが、上から見守ってくれているのね……」

 

 隣で同じ空を見上げる桜々さんの横顔に、私はそっと手を重ねました。その腕の中では、生まれたばかりの空生が、まるで祖父の温もりに包まれているかのように安らかな寝息を立てております。

 見上げる天の彼方から、あの豪快で不器用な笑い声が聞こえてくるような気がして、胸の奥がじんわりと熱くなるのを感じました。

 

 涙を乾かすような優しく爽やかな風が吹く、そんな明るく穏やかな空の元。私たちは、確かに繋がった見えない絆をしっかりと抱きしめながら、新たな生活への一歩を静かに踏み出したのでございました。

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