群れる黒(3)
爪の音が、路地に響いた。
宵ヶ丘の街灯の下で、私は――セレススピアは、槍の穂先で魔災獣の突進を受け止めていた。
姿形はハイエナに近い。
けれど背中から突き出た棘は、獣というより鉄杭のようだ。
動くたびに黒煙を散らし、目は光のない濁った穴のように見える。
「——ドロップ!、そっち行ったわよ!」
わざと体をひねって、魔災獣の軌道を横へずらす。
黒い影が、後衛であるドロップの方へ標的を変えて跳ねた。
「ひゃっ……こ、こっち来ないでくださいっ……!
《アクア・ウェイブ》っ!」
シルバードロップ――ドロップが慌てて弓を構え、
足元から半円状の水の衝撃波を弾き出す。
透明な波が地面を叩き、魔災獣の足を払った。
体勢が崩れる。その一瞬。
「今」
私は槍を突き出し、手首に力を込める。
穂先から、ぱち、と電気が走った。
「《スパーク・スティング》!」
青白い電撃が魔災獣の脚に絡みつき、筋肉を痺れさせる。
動きが止まった——。
「いっっけーっ!!」
そこへ、金髪の影が飛び込んだ。
サンブレイド――ブレイドが軽い足取りで踏み込み、双剣を振り抜く。
光を引く斬撃が、魔災獣の胴を十字に裂いた。
黒煙と光の粒が一緒に舞い上がり、獣の姿は崩れて消えていく。
「っは〜〜……やったぁ……!」
「……ふぅ。三人なら、この程度ね」
「こ、今回も、なんとかなって……よかった、です……」
ドロップが胸を押さえて息を整え、
ブレイドはその隣で双剣を肩に担いで笑っている。
そのとき——耳元の通信が鳴った。
『宵ヶ丘第二区域、小規模個体一体、殲滅確認。ブレイドさん、セレススピアさん、シルバードロップさん、お疲れさま……ですが』
志乃原さんの声色が、そこで少し変わる。
『追加反応を確認しました。宵ヶ丘第二ブロック周辺にて、魔災獣反応三件。うち一件、高出力です』
「さん……? 今ので終わりじゃなかったんですか?」
ブレイドが眉をひそめる。
『本部の予測値を超えています。分裂・増殖パターンも観測されておらず……この区域で、同時三体の群れ行動は、最近の記録にはありません……』
志乃原さんの声に、わずかな焦りが滲んだ。
『本来であれば、上位ランクの増援を他区域から先行投入すべき案件ですが……現在、第一区域と第四区域も対応中で、即時派遣が難しい状況です』
「つまり、まだ三体残ってるってことね」
私は短く息を吐き、槍を持ち直す。
「わかりました。では、位置情報を——」
「ま、待って……!」
ドロップの声が震えた。
魔力の揺れに敏感なのは、いつも彼女だ。
「前方……正面から……つ、強い魔力反応、来てます……!」
私たちは一斉に前を見る。
——空気が、ひび割れた。
月光の下、目の前の空間に細い線が走る。
ガラスを爪で引っかいたような音とともに、その線がぱきんと広がり、
小さな裂け目になった。
そこに、影が身体を滑り込ませるようにして現れる。
「……っ、大きい……」
さっき倒した個体より一回りは大きい。
背中の棘は長く太く、踏みしめるたびにアスファルトがきしむ。
牙が濡れたように光り、黒煙が熱を持った息みたいに漏れ出していた。
「セレスさん……よ、横にも……」
ドロップが青ざめた顔で周囲を見回す。
「右側……左側にも、二体……ま、魔力、感じます……!」
三方向。
包囲された。
『反応を確認……大型一体、中型二体。出現パターン、中央データベースに該当なし……』
通信の向こうで、何人かが小声でやり取りしている気配がする。
『……セレススピアさん、現在位置近傍の即応戦力は、あなたたち三名のみです。他区域からの増援要請は出しましたが——』
「つまり、増援はすぐには来ないってことですね」
言葉を遮るように告げると、わずかな沈黙が返ってきた。
『……申し訳ありません。到着までには、ある程度時間がかかります。無理な交戦は——』
「了解。じゃあ、それまで持たせるわ」
私はそう答えて、二人に顔を向ける。
「ブレイドは右。ドロップは左を牽制して。正面の大型は、私が止める」
「りょーかいっ! 右の子、あたしが相手する!」 「こ、こんなの聞いてませんよぉ……で、でも、がんばります……!」
それぞれが持ち場へ散った。
次の瞬間、大型の背中の棘が、ぎらりと一斉に光る。
低く身を沈め、前足が地面を抉った。
「来る——!」
咆哮とともに、地面が波打つ。
黒い瘴気を纏った魔力由来の衝撃波が、一直線に押し寄せてきた。
「っ……!」
私は槍の石突きを地面に突き立て、全身で衝撃に耐える。
ドロップは慌てて前方に水の膜を張り、
ブレイドは瞬時に足を踏み切ると、宙へ跳んだ。
衝撃の壁を、くるり、と軽い宙返りでかわす。
近くのガードレールに片足で着地し、その反動を使って路地へ戻る——が、
足元まで揺れに飲み込まれ、着地の衝撃に膝をついた。
「いたたたっ……なにあれ、反則じゃない?」
「文句言ってる余裕、ある?」
恐らく体勢を崩して隙を作る為の行動だろう。
衝撃が収まるより早く、左右から中型二体が飛び出してくる。
「右は、あたしが行くっ!」
ブレイドが転がる勢いのまま立ち上がり、右側の魔災獣に突っ込む。
牙と双剣が何度も交差し、火花が散った。
緩んだ口元とは裏腹に、その動きは獣と並ぶ速さで駆け、跳ねる。
「ブレイドさん、あんまり前に出すぎないで……っ!」
「でも! また挟み撃ちされちゃうってば!」
左側では、ドロップが連続で水の衝撃波を放ち、
なんとか距離だけは保っていた。
「《アクア・ウェイブ》!、……《アクア・ウェイブ》っ!
……こ、来ないでくださいぃ……!」
けれど、その焦りがそのまま魔法の乱れになっている。
波の形はどんどん荒くなり、威力も目に見えて落ちていった。
正面の大型は、さっきの衝撃波で距離を詰め損ねたらしい。
こちらを見据えたまま、ゆっくりと歩を進めてくる。
「あなたは、ここから先に行かせない」
私は槍を構え直し、狙いを定めた。
「《スパーク・スティング》!」
電撃が前脚を打ち、筋肉を痺れさせる。
大型の動きが、ほんの一瞬だけ止まった。
——でも、本当に一瞬だけ。
背中の棘を軋ませながら、さらに一歩、重く地面を踏みしめてくる。
「これは……かなりタフね…」
『セレススピアさん、現在位置を——』
「交戦中。大型一体、中型二体。三方向同時は、正直きびしいです」
息をまとめて吐きながら、できるだけ冷静な声で伝える。
『……増援部隊は移動中ですが、到着には——』
そこで、またあの音がした。
大型の腹部が、不自然に膨らむ。
背中の棘がさらに光を増し、喉の奥で低い唸りが渦を巻き始めた。
「——さっきのより、強いのが来るわよ……!」
広範囲に、さっき以上の衝撃が走る前兆。
距離も、角度も悪い。この布陣では、きれいに避けきれない。
「この距離じゃ……防ぎ切れないかも……!」
私は思わず奥歯を噛みしめた。
ドロップの水の障壁では、おそらく受け止めきれない。
ブレイドにだって、あの範囲を一気に飛び越えるほどの余裕は、もうない。
どうにかするしかない。けれど、手札が足りない——。
そのときだった。
ぎぃぃん——。
金属の悲鳴みたいな音が、上から落ちてきた。
「……え?」
視線を上げるより早く、
数本の鎖が空から降ってきて、
大型魔災獣の周囲の地面に突き立った。
杭のように、円を描くように。
次の瞬間、鎖が一斉に縮み、
巨大な身体を、横から締めつける。
大型が、濁った声で咆哮をあげた。
さっきまで溜め込んでいた衝撃の気配が、途中でねじ切られて霧散していく。
「鎖……ってことは——」
「やっぱりだ! 鎖の子だ!!」
右で魔災獣と斬り結びながら、ブレイドが嬉しそうに叫ぶ。
私はもう一度、上を見た。
夜空の少し低いところに、黒いドレスの少女が浮かんでいた。
裾は焦げたようにところどころ破れ、そこから伸びる無数の鎖が、
まるで彼女の影そのもののように揺れている。
顔は伏せられていて、目元はよく見えない。
ただ、静かにこちらと魔災獣を見下ろして——
「……まにあった」
小さな声が、そっと降りてきた。




