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照らすヒカリになれたなら(3)





 魔法災害対策庁・宵ヶ丘市支部。災害対応実行本部。

 

 複数の反応監視盤と現場同期ログが並ぶ室内で、志乃原は端末へ視線を落としたまま、小さく息を吐いた。


 今夜は第二区だけでも小規模反応が続いている。


 住宅街寄りで出た第三級未満の群体反応。

 河川敷での誤検知疑い。

 別班から回された事後報告の確認。


 どれも単体なら重くないが、同時に重なると処理の手は足りなくなる。



 その中で、第二区二班――セレススピア、シルバードロップ、サンブレイドの担当している反応も、本来なら軽い案件のはずだった。

 

 初動記録では、小型二体。脅威度も低い。

 二手に分かれて対処しても問題ない範囲。

 対応終了報告は、とっくに上がってきていていい。

 

 ……けれど、まだ報告は来ていない。

 

 志乃原は、監視盤の端に表示された区域ログへもう一度目を走らせた。

 第二区、山麓側林道入口付近。完了報告なし。現場映像――取得不能。

 

 少なくとも、本部側から見える範囲では、依然として軽い案件のままだ。


 

「……珍しいですね」

 

 独り言に近い声で呟く。

 

 セレススピアは慎重だ。シルバードロップは遅くても報告を忘れるタイプではない。サンブレイドが先走ることはあっても、そのたびに二人が引き戻してきた。

 

 だからこそ、余計に引っかかる。

 軽い反応にしては、長い。


  

 その違和感がはっきりしたのは、通信端末が震えた直後だった。

 呼出表示は、第二区二班の現場回線。


 

「――はい、志乃原です」

 

 すぐに応答する。

 

 返ってきたのは、想定していたセレススピアの整理された声ではなかった。

 

『……っ、し、志乃原さん……! あ、ぅ……っ、あの……っ』

 嗚咽で潰れた声。

 シルバードロップだ、と一拍遅れて分かる。


 志乃原の背筋がすっと伸びた。

 

「シルバードロップ、落ち着いてください。こちらで受信しています。まず、班員は全員無事ですか」

 

『わ、わたしと、セレスさんは……っ、だ、大丈夫、です……っ。で、でも……っ、ぅ……!』

 

 その先に、状況の悪さがそのまま滲んでいる。

 志乃原はすぐに別画面へ切り替え、現場回線に紐づいた位置情報を拡大した。

 

 表示されたのは、町外れ。山の麓、林道へ入った先。

 さっきまでの軽い案件という認識が、頭の中で静かに音を立てて崩れる。

 

「セレススピアは近くにいるのですね」

 

『い、います……! ずっと、ずっと壊そうとしてて……っ、何回も……っ』

 

 壊す。

 その単語で、志乃原の指が一瞬止まる。

 

「何を壊そうとしているのですか」

 

 返答の前に、通信の向こうで、硬いものへ何かを打ちつけるような音が響いた。

 金属と硬質な壁がぶつかるような、甲高い衝突音。しかも、一度じゃない。

 

 繰り返し。焦ったみたいに、何度も。

 

 その音だけで、セレススピアが何をしているのか想像がつく。

 

『み、見えない、ドーム状の……っ、壁、が……! 中に、ブレイドさんと、くさりさんが……っ、いて……!』

 

 志乃原は、息を吸う。

 そこでようやく、シルバードロップの泣き声の意味がひとつに繋がった。

 

「……内部に二名が閉じ込められているのですね」

 

『は、はい……っ、それと、別に……っ、強い反応が……あります……っ。わ、わたし、近くまで来てやっと……っ、今まで感じたことないくらい、強くて……っ』

 

 志乃原の視線が、監視盤へ戻る。

 

 やはり本部側には、その強い反応は載っていない。

 その閉鎖空間そのものが、少なくとも何らかの形で魔力波長を遮断している。

 

 だから監視にも映らず、現場で、しかもシルバードロップの精度があって初めて把握できたのだとすれば――かなり厄介だ。

 

「シルバードロップ、よく聞いてください。今から応援を回します。位置はすでに取得しています」

 

 志乃原は別端末を開き、近隣班と待機中の支部要員へ緊急通知を飛ばす。

 宵ヶ丘市支部内だけでは足りない可能性もある為、必要なら隣接区域にも回すように要請する。


  

「セレススピアにも伝達してください。閉鎖空間への無理な接触は停止。高出力行使は抑制し、変身維持を優先。突破後に対応可能な余力を残してください」

 

 言いながら、自分でもその指示がどこまで届くのか分からなかった。

 

 通信の向こうで、また衝突音が響く。

 

 シルバードロップの嗚咽に混じって、セレススピアの荒い呼吸まで聞こえた気がした。

 

『で、でも……っ、このままだと……っ、あの二人が……っ』

 

「承知しています」

 

 少しだけ強く言う。

 泣いている相手を止めるためというより、自分自身の焦りを押し戻すためだった。

 

「承知しています。ですので、探知を継続してください。変化があれば即時伝達を」

 

 短い沈黙。

 その一秒が、やけに長く感じる。

 

『……ま、まだ……2人は、います……っ』

 

 その返答に、志乃原はほんの少しだけ息をつく。 

 まだ、いる。

 なら間に合う可能性は、まだ切れていない。

 

『……っ、セレスさん……!』

 

 通信の向こうで、シルバードロップの声が震える。

 その直後、さっきまでよりさらに近く、さらに鋭く、衝突音が響いた。



 

――――――


 

 衝突音が、また響いた。

 乾いた夜気の中で、耳障りなくらい鋭く鳴る。

 

 セレススピアは歯を食いしばったまま、槍を引き戻す。

 

 目の前には何も無いように見えるが、正確にはある。 

 シルバードロップの探知が示している以上、そこに“何か”があるのは間違いない。

 けれど、視界に映るのは、夜の山肌と木々の影だけだった。

 

 少し離れた位置から見れば、ただの開けた斜面にしか見えない。街の灯りまで、木々の隙間に自然に溶け込んでいる。

 最初にここへ辿り着いた時ですら、セレススピアは一瞬、自分達が場所を間違えたのかと思った。

 

 それでも、シルバードロップは間違いなく言ったのだ。

 この中に、サンブレイドとくさりがいる、と。

 それとは別に、強い反応もある、と。

 

 その言葉だけを信じて、セレススピアは目の前の“見えない何か”へ何度も槍を打ち込んでいた。

 

 もう何度目かも分からない。

 突き立てるたび、硬いものに弾かれる手応えだけが返ってくる。ガラスでも金属でもない、妙に鈍いのに、まるで傷つく気配のない感触。

 

「……っ、また……!」

 

 吐き捨てるように言って、一歩引く。

 槍へ雷をまとわせる。群青色の火花が穂先から散り、乾いた空気がぴりついた。 

 足元の魔力紋が、薄く、けれど鋭く展開する。

 

「――《サンダー・ランス》!」

 

 最大まで圧縮した雷槍が、目の前の空間へ突き刺さる。

 

 轟音。

 夜気が震え、周囲の枝葉がびりびりと鳴った。

 その一瞬だけ、見えない壁の輪郭が青白く浮き上がる。

 

 けれど、ほんの一瞬でそれも消えた。

 壊れない。

 ひびひとつ入らない。

 

「なんで……なんでよ……!」

 

 声が荒れる。

 自分でも分かっていた。冷静さを欠いた撃ち方だ。魔力消費も大きい。普段の自分なら、同じ威力を続けて打ち込むような真似はしない。

 けれど、止まれなかった。


 

 たとえ見えなくても、この向こうにサンブレイドがいる。くさりがいる。 

 その事実だけで十分だった。

 

 自分がここで手を止めた数秒のあいだにも、取り返しのつかないことが起きるかもしれない。 

 そう思うたび、槍を強く握り直す。

 

 もう一度、槍を構える。

 魔力紋を再度展開し、見えない壁に向き直す。


  

「セレスさん……っ」

 

 少し後ろで、シルバードロップの震える声がする。

 

 セレススピアは視線だけをそちらへ寄越した。

 シルバードロップは片手で通信機を押さえ、もう片方の手で胸元をぎゅっと掴んでいた。細い肩が小刻みに上下している。涙で呼吸が乱れ、探知に集中しようとしても上手く息が整っていないのが見て取れた。

 

『セレススピア。状況を再報告してください』

 

 通信機越しに、志乃原の声が響く。

 落ち着いた、少しだけ硬い声。いつも通りの音量と抑揚なのに、その整い方が今はひどく遠く感じた。

 

 セレススピアは一瞬だけ言葉に詰まる。

 何をどう言えばいいのか分からない。


 中で何が起きているのかも分からない。

 ただ、自分が何もできていないという事実だけが、嫌になるほどはっきりしていた。

 

「……対象は、依然健在です」

 

 声が少し掠れる。

 

「不可視の閉鎖空間を形成。通常打撃、雷撃ともに有効打なし。内部の視認、内部音の確認ともに不可能。現時点で、こちらからの直接救出は……困難です」

 

 言いながら、自分でその言葉に吐き気がした。


『了解しました。応援要員はすでに展開中です。現場二名は距離を保ってください。閉鎖空間への無理な接触は避けること』

 

 シルバードロップが、泣き声混じりに息を呑む。

 

「で、でも……っ、このままだと……っ、あの二人が……っ、ぅ……!」

 

『シルバードロップ。探知を継続してください』

 

 少しだけ強くなった声に、シルバードロップが肩を震わせた。

 

『セレススピア、高出力行使を連続で実施していますね。魔力欠乏を起こせば変身維持に支障が出ます。直ちに出力を落としてください。突破後の対応余力を残すこと』

 

 セレススピアは息を飲む。

 図星だった。

 

 自分でも、もう分かっている。

 このまま続ければ、いずれ変身維持が揺らぐ。最悪、この場で解除されてもおかしくない。

 

 それでも、槍を下ろせなかった。

 

「……嫌です」

 

 思わず遮っていた。

 シルバードロップがはっと顔を上げる。

 目の前の何もない壁を睨んだまま、低く続けた。

 

「ここで止めたら、本当に何もできなくなる。そうしてるあいだに、中で……」

 

 言葉の先が詰まる。

 

 死ぬかもしれない。

 

 その言葉だけは、口にしたくなかった。


 

「……守るって、言ったのに」

 

 口をついて出た瞬間、自分で息が止まる。

 シルバードロップが、はっとしたようにこちらを見る。

 志乃原は、通信の向こうで一拍だけ沈黙した。

 

 セレススピアは唇を噛む。

 しまった、と思う。

 

 言うべきことではなかった。

 それでも、引っ込められない。

 

 守ってあげる。

 そう言ったのは、自分だ。

 あの時のくさりの顔も、声も、ちゃんと覚えている。

 なのに今は、目の前にいても何もできない。

 

 槍を握る手に力が入る。

 

 もう一度、突き立てる。

 硬い衝突音。

 

 ……やっぱり届かない。

 

 

 シルバードロップが、通信機を握りしめたまましゃくりあげる。

 

「……っ、セレスさん……っ、ぅ、っ……」

 

 その声で、ようやく我に返る。

 

 泣きたいのは、自分だけじゃない。

 シルバードロップはずっと、分かってしまっている。

 中に二人がいることも、強い反応が近くにあることも。

 何も見えないのに、最悪だけは感知できてしまう立場だ。

 

 セレススピアは短く息を吐いた。

 

「……ごめん」

 

 それがシルバードロップへ向けた言葉だったのか、自分へ向けた言葉だったのか分からない。

 

 通信機の向こうで、志乃原の声が静かに返る。

 

『……感情を抑え込む必要はありません。ですが、現状で最優先なのは変身維持と探知継続です。変化があれば、即時伝達してください』

 

 厳しいというより、押し戻すための声だった。

 シルバードロップが、ぐしゃぐしゃのまま頷く。

 

「……っ、は、はい……」

 

 嫌な予感がして、セレススピアは反射的に見えない閉鎖空間へ視線を戻した。

 ほぼ同時に、目の前の景色がほんの一瞬だけ揺らぐ。木々の影がぶれ、遠くの灯りが水面みたいに歪んで、けれど次の瞬間には何事もなかったみたいに整ってしまう。

 

 シルバードロップが息を呑む。

 セレススピアは槍を握り直した。

 

「……二人は?」

 

 問いかける声が、少しだけ掠れる。

 シルバードロップは唇を震わせながら、どうにか答えた。

 

「……ま、まだ……います……っ」

 

 その返答に安心する暇はなかった。

 

 まだ中にいる。

 なのに届かない。

 

 応援が来るまで待つしかない。

 その事実だけが、夜気よりも冷たく二人のあいだに落ちていた。


 

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