照らすヒカリになれたなら(2)
「ここで倒すか、せめて――時間を稼ぐしかない」
残された選択肢は、それだけだった。
ブレイドは何も言わず、双剣を握り直す。
その気配を横目で追いながら、自分は足の傷に細い鎖を巻きつけ、強く締めた。
雑な止血だった。
痛みは増したが、血が少しでも止まればそれでいい。
こちらが動かないのを見て、怪物がすっと踏み出す。
今までのように、こちらを試す動きではなかった。
壊すためだけの腕が、迷いなく薙ぎ払われる。
まともに触れてはいけない。
さっき浅く掠めただけで、自分の脚は裂けた。あの二本は腕というより、肘から刃が生えているようなものだ。
ブレイドが横へ回り込む。
速い。
足元の枝も石も、最初からそこにないみたいに踏み越えていく。
低く沈み、跳び、着地する前にはもう次の動きに移っていた。
やっぱり、この子は強い。
こんな状況でも、ブレイドは迷わず前へ出られる。
怪物の一撃を半身でかわし、ブレイドはそのまま懐へ潜った。
双剣の刃ではなく、柄の硬い部分を脚の関節へ叩き込む。
鈍い音がした。
効いた、とまでは言えない。
けれど怪物の脚が、ほんのわずかにずれる。
そこへ、自分も鎖を合わせた。
巻きつけて砕くのはもう駄目だ。
消耗が大きすぎる。
短く引き絞った鎖をしならせ、鉄の鞭のように腕へ叩きつける。
硬い音とともに、怪物の軌道がわずかにぶれた。
その隙に、ブレイドがもう一度踏み込む。
狙いは頭部の横。複眼めいた粒の集まり、そのすぐ脇。
怪物は避けた。
ほんの少しだけ頭を引く、最小限の動きだった。
しかし、確かに他の部位とは反応が違った。
怪物の腕が、わずかに遅れて出る。
ブレイドはそれを見て跳ぶが、避けた先へもう片方が届く。
読まれている。
空中で身を捩るブレイドへ、刃が伸びる。
咄嗟に鎖を飛ばし、細い鎖をブレイドの腹へ回して横へ引っ張った。
「ぐ、えっ」
女の子からしてはいけない声が聞こえた気がしたが、今はそれどころじゃない。
刃は紙一重で空を切り、ブレイドは転がるように着地する。
すぐに起き上がったが、礼を言う余裕も、返事をする余裕もなかった。
急に鎖へ力を込めたせいで、視界が一瞬ぶれる。
胸の奥が焼ける感覚とは違う。
頭の芯がぐらついて、浮いている位置が曖昧になる。
高度が、少し落ちた。
嫌な感じがした。
今ので、おそらく気づかれた。
前で斬り込むブレイドも厄介だが、横から攻撃の噛み合わせを壊している自分の方が、今は邪魔なのだと。
怪物の複眼が、ゆっくりこちらを向く。
「……くさりちゃん、気を付けて」
「……うん」
短いやり取りの直後、怪物が踏み込んできた。
片方で道を塞ぎ、もう片方で裂きにくる。
逃げても、次の逃げ場へ追い込まれる。
こちらに選ばせているようで、実際には最初から逃げ道を絞られていた。
ブレイドが柄で受け流す。
火花が散る。
そのまま低く潜って関節を殴り、自分が鎖で腕を逸らす。
ほんの少し動きが遅れた隙に、ブレイドが抜ける。
自分達の立ち回りは噛み合ってはいる。
けれど、それだけだった。
当たる軌道を狙えば避けられる。
無理に当てても、浅い。
向こうは、こちらの合わせ方まで読み始めている。
ブレイドの肩口を一撃が掠め、淡い粒が散った。
それでも彼女は止まらず、頭部の横へ柄を叩き込む。
鈍い音。
怪物の意識が、はっきりとブレイドへ向いた。
その瞬間を逃さず、自分は鎖を重ねる。
腕へ。肩口へ。しならせて打ち、逸らし、もう一度。
けれど鎖を振るうたび、浮遊の維持が甘くなっていく。
視界の縁が暗くなり、高度がまた少し落ちた。
「くさりちゃん、下がっ――」
ブレイドの声が途中で切れた。
怪物の腕が、今度はこちらへ最短で伸びてくる。
身体は動いた。
けれど、高度を上げるのがわずかに鈍い。
まずい。
そう思った時には、もう遅かった。
浮いている感覚そのものが急に薄くなる。
鎖の先がぶれ、視界が揺れた。
力を使いすぎた。
そう気づいた瞬間、怪物は待っていたみたいに腕を振るった。
腹を裂かれる。
そう思った。
けれど、来たのは切っ先ではなかった。
刃ではなく、外殻の硬い部分が腹へめり込む。
「……っ、ぁ」
息が消える。
身体ごと横へ吹き飛ばされ、岩肌へ叩きつけられた。
背中と肩が鈍く軋み、止血代わりの鎖が脚へ食い込んで、遅れて痛みが跳ね上がる。
立てない。
それでも、逃げなければいけないことだけは分かる。
腕で地面を掻くようにして身を起こし、無理やり浮こうとした。
だが、ほんの少し持ち上がっても、すぐに沈む。
脚はもう使えない。
立ち上がることもできない。
せめて、と力を振り絞り、鎖を一本だけ出す。
震える先端を怪物へ打ち出したが、相手は腕を軽く振っただけだった。
鎖が断たれる。
重い鉄が裂ける音がした。
今まで何度も鎖で攻撃していた。
それなのに、こいつは一度もそうしなかった。
……できなかったんじゃない。
しなかっただけだ。
怪物が近づいてくる。
急ぐ必要などないと見せつけるように、ゆっくりと。
複眼の束は、地に伏した自分だけを見ていた。
眼前の獲物を見て、笑っているように見えた。
腕が振り上がる。
避けられない。
次の瞬間、目の前へ光が割り込んだ。
甲高い音が、耳の奥で弾ける。
ブレイドだった。
双剣を交差させ、振り下ろされた一撃を真正面から受け止めている。
「――ッ、ぐ……っ!」
潰れた声が漏れる。
今までのブレイドなら、こんな受け方はしなかったはずだ。
速さで翻弄し、斬って、離れる。それしか通じない相手だと、とっくに分かっている。
それでも今は、退かない。
ここで引けば、自分が殺されるから。
怪物の腕と双剣が軋み、火花が散る。
ブレイドの膝が沈んだ。
「……っ、ぁああ……っ!」
ほとんど悲鳴だった。
本来なら、力比べになるはずがない。
それでもブレイドは、どうにか持ちこたえていた。
その間に、這ってでも離れようとする。
けれど腕に力が入らず、浮遊も戻らない。身体が地面から剥がれない。
怪物の複眼が、ちらりとこちらを向く。
立てないことまで、見られている。
次の瞬間、怪物の意識がブレイドへ戻る。
押し合いの力が、ふっと軽くなった。
受け止めていた圧が消える。
力を抜かれたのだと気づくより早く、別の角度から衝撃が来た。
双剣が弾かれる。
硬い音を立てて、ブレイドの手から離れた。
「あ――」
ブレイドが反応するより先に、もう一方の腕が横へ振るわれる。
今度も切っ先ではなかった。
硬い外殻の側が、彼女の側頭部を打ち抜く。
嫌な音がした。
ブレイドの身体が軽々と吹き飛び、力の抜けたまま地面へ叩きつけられる。
「ブレイド……!」
立とうとする。
脚が動かない。
腕で這う。
少ししか進めない。
浅い呼吸と共に、ブレイドが地面に手をついた。
側頭部のあたりから、淡い粒がこぼれている。
さっきまでの被弾とは違う、嫌な崩れ方だった。
焦点が合っていない。
身体の軸も定まっていない。
それでも、ぐらつきながら肘をつき、立ち上がろうとしていた。
「……なんで……」
なんで、自分なんかを。
ブレイドはふらついたまま、こちらを見た。
痛みと眩暈でまともに立ててもいないのに、それでも笑おうとしている。
「……あたし、なんだってするって、言ったでしょ……」
公園で見た、光莉の笑顔が脳裏をよぎる。
軽い調子で言った、あの言葉。
あの時は、勢いで言っているだけだと思っていた。
でも、違った。
彼女は、本気だった。
「や、めて……」
自分でも驚くくらい、小さい声だった。
怪物はその間も、ゆっくりとブレイドへ近づいていく。
逃げられない相手をどう壊すか、選んでいるみたいだった。
「ブレイド、にげて……!」
叫ぶ。
ブレイドは立ち上がれない。
膝をついたまま、無理やり身体を起こしているだけだ。
自分はブレイドへ這い寄ろうとした。
冷たい手枷が邪魔をする。それでも、少しでも近づけば何かできる気がして、両腕に力を込める。
その瞬間、怪物の脚が自分の右手を踏みつけた。
潰される感触。
一拍遅れて、骨が内側で砕ける感触が弾けた。
「――ッ、ぁあ……!」
息にならない声が漏れ、指先が勝手に痙攣する。
痛みで視界が白くなった。
怪物はそのまま、動けなくなった私を地面に縫い留めるように踏み続ける。
そして、ようやくブレイドへ向き直った。
腕が伸びる。
ブレイドの身体が地面へ押さえつけられる。
もう一方が、ゆっくりと持ち上がった。
今度は、硬い外殻の側ではない。
刃のある方だった。
サンブレイドの変身衣装の上に、淡い粒が滲み始める。
それが壊れる前の光と、なぜか分かった。
「や、めろ……」
怪物の腕が、ためらいもなく振り下ろされる。
光が弾ける。
淡い粒が、夜の中に散った。




