プラネター・プレデター(2)
《門》から、まず現れたのは腕だった。
異様に細いのに、節々だけが鎧みたいに硬質で、触れれば金属質な音を立てそうな輪郭をしている。
一瞬遅れて、その腕が探るように伸びた。
ブレイドは反射的に後ろへ跳ぶ。
細い腕が、そのすぐ前を薙ぎ――そのまま、まだ雫に絡め取られていたイタチ型の魔災獣を掴み上げた。
「……なに、あれ」
ブレイドの声が、かすれる。
いつもの調子はどこにもない。
門の内側から、ぬらりと頭部が顔を出す。
人にも虫にも見えない歪な上半身。その奥から、長い口吻が音もなく伸びてきて、イタチ型の魔災獣へと突き刺さった。
ぐち、と湿った音。
さっきまで抵抗していた身体が、そこであっけなく弛緩する。
視界の端では、潰したはずのイモムシと同じものが、まだ何匹も這い出してきていた。
見えていた夜景も、木々の影も、逃げ道も。
どれも最初から用意されていたものだと、遅れて理解が追いつく。
光る雫で獲物を引き寄せ、そのあいだに周囲を粘液か何かで囲い、内側からは普通の景色に見せかける。
あれは街の夜景なんかじゃない。光と影で作られた偽物――まるで、プラネタリウムでできた檻だ。
目の前の存在は、今まで見てきた魔災獣とは明らかに違っていた。
延長線上にいる個体というより、最初から別の生き物として完成されているように見えた。
腕は二本。細いのに、節々は甲殻に覆われていて、硬さだけが先に目に入る。
それなのに、動きはやけに軽かった。重そうな見た目と、音もなく滑るような動作が、ひどく噛み合っていない。
痩せた上半身には虫めいた殻が貼りつき、頭部には複眼じみた粒の集まり。ぎらついてもいないのに、視線だけがこちらに絡みついてくる。
どうして魔災獣が魔災獣を喰ったのか。
餌だったのか、ただ横取りしただけなのか。
考えかけて、途中で止める。
今、気にするべきなのはそこじゃない。
イモムシたちは相変わらずこちらへ来ない。見えない膜の上を這い回り、青白い粘液で景色を塗り直しているだけだ。
怪物は、すぐには動かなかった。
複眼の束みたいな頭を、わずかに傾けてこちらを見ている。
警戒というより、値踏み。
急ぐ必要がないのだと、その態度だけで分かる。
「……ブレイド。動きを止めるから、後ろから仕留めて」
乾いた喉で、小さく言う。
「……うん」
返事も低い。
もう軽口はない。
ブレイドは双剣を握り直し、自分も同時に鎖を出した。
鉄が鳴る。
まず一本、怪物の右腕へ巻きつける。すぐにもう一本、肩から胴へ回すようにして動きを縛りにいく。
――拘束できるとは思っていない。
完全に止める必要はなく、ほんの一瞬でも意識をこちらに向けさせられればいい。
怪物の腕が、ゆっくりこちらへ向いた。
巻きついた鎖を、鎧めいた細い腕が掴む。
その動きには焦りも警戒もなく、ただ身体に絡んだものを払いのけようとしているだけに見えた。
引かれる。
そう判断した瞬間、鎖へ意識を向ける。
ばき、と乾いた音。
悲鳴みたいに砕けた鎖が、そのまま紫煙になって消えた。
「……ッ」
胸の奥に、熱が走る。
細い火箸を内側に突っ込まれたような感覚。鎖を断ち切るたびに来る、無理な消耗だ。
それでも、引きずられるよりはましだった。
消した直後に、次の一本を打ち込む。
別の腕。脚。横から回して、巻きつけて、掴まれる前に砕く。
以前、魔災獣に引きずられそうになった経験から、一人で練習していた戦法だ。
まともに綱引きをしない代わりに、動きを細かく切っていく。
その隙を、ブレイドが逃さない。
地を蹴る音はほとんどない。気づけばもう背後に回り込んでいた。
「はあぁぁっ!!」
双剣が交差するように振り抜かれる。
狙いは首元。
鋭い一撃だった。
甲高い音。
斬れたというより、削れるように火花が散る。
外殻に浅い傷が入るだけで、怪物は止まらない。
「っ、硬……!」
そのまま二撃、三撃と重ねる。背中、脇腹、脚の付け根――どれも正確だが、決定打にはならない。
腕が横薙ぎに振られる。
ブレイドが低く沈んで避ける。
さらにもう一本。後ろ向きのまま払う。
双剣で流しながら、無理やり距離を取る。
ブレイドへの追撃を防ぐ為、鎖を追加で伸ばす。
肩、脚、別の腕、それぞれに巻きつけて、掴まれる前に消す。
また胸の奥が焼ける。
鎖を出すたびに、体の芯が少しずつ削れていく感覚があった。
怪物は追撃してこない。
こちらの攻撃を試させているみたいに、わずかに腕を動かすだけで受け流している。
余裕がある。
少なくとも今は、まだ本気じゃない。
それだけは、嫌でも分かる。
ブレイドが息を乱しながら距離を取った。
頬に汗が浮かんでいる。それでも双剣は下ろさない。
「……ぜんっぜん効いてなさそうだね……」
声に、いつもの軽さは残っていなかった。
怪物が一歩だけ前へ出る。
それだけで空気が詰まる。
ブレイドが歯を食いしばり、距離を保ったまま両手を前へ出した。
双剣の先に光が集まる。細い、白に近い輝き。
「物理がダメなら……!」
わずかに身を沈める。
怪物は、避けようともしない。
「――《マナ・レーザー》!」
一直線の光が走った。
山の暗さを裂き、怪物の胸部を貫く。焼けた落ち葉の匂いと白い煙が広がる。
ブレイドが息を止める。
ブレイドの《マナ・レーザー》は魔力消耗が激しい。
けれど、当たりさえすれば大きい。
自分も、一瞬だけ期待した。
煙が晴れる。
そこにいた怪物は、ほんのわずかに姿勢をずらしただけだった。
胸部の装甲は焦げ、削れている。効いていないわけではない。
けれど、浅い。
「……うそ、でしょ」
呆然とした声が漏れる。
怪物の口吻が、ゆっくり持ち上がる。
笑ったように見えたのは、たぶん気のせいじゃない。




