プラネター・プレデター(1)
「……で、あれ?」
サンブレイドが、いかにも気の抜けた声を出す。
街外れの林道の入口。街灯の明かりが薄く届くその境目に、魔災獣が二匹いた。
一匹は、ずんぐりと丸い体つきと灰褐色の毛並み。腹が地面に擦れそうなくらい低い位置を、のそのそと動いている。耳も輪郭も丸く、ふわふわした太いしっぽまでついていた。
もう一匹は、それよりやや小さい。細長い胴を低く沈めて、枝や標識の影を縫うようにしなやかに走っている。筆先みたいな細いしっぽが、動くたびに揺れた。
「タヌキと……カワウソかな? とにかく可愛いね!」
ブレイドが、まったく緊張感のない声で言う。
「カワウソ……? オコジョとかじゃないかしら」
セレススピアが眉をひそめた。
「カワウソもオコジョもイタチ科ですね……。ちょっと攻撃しづらい見た目です……」
シルバードロップが、おずおずと補足する。
見た目の愛らしさのせいで、ほんの一瞬だけ空気が緩む。
けれど、ブレイドはすぐに双剣を構えた。
「でも、まあ、とにかくちゃっちゃと倒しちゃお!」
言い終わるより早く飛び出す。
タヌキ型は驚いたみたいにその場で固まっている。丸い目だけがぎょろりと動いて、遅れてからようやく身じろぎした。
対して、細長いイタチ型の魔災獣はびくりと身を震わせ、影を裂くように逃げ出した。
「あっ、こら! 待てーー!」
反射的に、ブレイドがその後を追う。
「あのバカは……」
セレスが短く吐き捨ててから、こちらを見る。
「くさり、一応ついてってあげてくれる?」
「……わかった」
「こっちは私とドロップで片付ける。すぐ追いつくから」
「く、くさりさん……気をつけてくださいね……!」
ドロップの声を背に、自分は先に駆けていったサンブレイドの背中を追った。
***
イタチ型の魔災獣は、街から離れる方へ逃げていった。
人通りのない路地を抜け、使われていない搬入路を横切り、気づけば林道に入っている。
サンブレイドは迷いなく追う。
自分は少し上空から障害物を飛び越えて追跡しているが、それでも追いつけないほどに速い。
けれど、動きは雑だ。
追いながら、自分は何度か周囲を見た。さっきまで聞こえていた車の音が、もうかなり遠い。
イタチ型は細い身体を低く沈めたまま、枝の影を縫って走る。少し視線を切るだけで、次にはもう別の場所へ移っていた。
「うぅ……ちっこいし、すばしっこい……!」
ブレイドが愚痴を漏らしながら、そのまま一直線に追いかける。
このままだと埒が明かない。
「……ブレイド」
「んー!?」
ブレイドは返事をするが、止まる気はなさそうだ。
「そのまま追っても無理。いったん身を隠そう」
「……なるほど。見失ったフリして、こっそり近づくってこと?」
意図を飲み込んだらしく、ようやくブレイドが減速した。
「くさりちゃん、あたまいいね!」
「………」
建物の陰に身を寄せる。追跡が途切れたと判断したのか、イタチ型の動きが少しだけ緩んだ。
その隙に、二人で大きく回り込む。
今度はさっきより静かだった。ブレイドも珍しく口を閉じている。やればできるのか、と少しだけ思う。
街の音が、さらに後ろへ遠ざかっていく。
林の奥は思ったより暗い。空はまだ完全には沈んでいないのに、山肌に入ると光が急に減る。
足元の土は乾いていて、踏むたび小さく音がした。
イタチ型は、少なくともこちらに気づいていない。挑発するような動きもなく、ただ必死に逃げ場所を探しているように見える。
そこまで怯えるほど、自分たちは距離を詰めていない。
なのに、あれはまるで、何か別のものを警戒しているみたいだった。
「あれ、止まった」
ブレイドが、前方を見ながら声を潜める。
木々の開けた先。山肌が少しだけえぐれて、ぽっかりと空間ができている場所に、その魔災獣はいた。
そして、その先に――何かが垂れていた。
光る雫、のようなもの。
イベント用の凝ったイルミネーションだろうか。夜の気配の中で、かすかに青白く光る複数の雫。岩肌から垂れているそれは、妙に目を引く。夜露を集めて光らせたみたいな、綺麗さがあった。
魔災獣も興味を持ったのか、その雫に引き寄せられるように近づいていく。
そして、触れた。
次の瞬間、ぬめ、とした音がした気がした。
魔災獣の身体が、びくりと跳ねる。光る雫には粘着性があったらしく、絡まったように四肢をばたつかせ、もがいた。
「え、なにあれ」
ブレイドが首を傾げる。
「ネバネバしてるのかな? よくわかんないけど……今のうちじゃない?」
その声が、やけに気楽だった。
実際、目の前の状況だけ見ればそうなのだろう。魔災獣が勝手に拘束されたように見える。飛び込んで叩けば終わる。そう思ってもおかしくない。
自分も、その瞬間だけはそう思いかけた。
この調子なら、すぐ終わる。セレスたちも、遅い方を片付けたらすぐ来るだろう。
今回も余裕だった。 ――そう思いかける。
サンブレイドが、そろりそろりと前へ出る。
双剣を逆手に持ち、いつでも飛び込めるように膝を落としている。
自分は一歩遅れて、その背中を見ていた。
そして、何となく後ろを振り返る。
木々の隙間の向こうに、街の光が見えた。控えめな夜景。遠くの住宅街の灯り。別に珍しくもない、なんてことのない明かりだ。
……なのに。
何かがおかしい。
何がおかしいのか、すぐには分からない。ただ、胸の奥が小さくざわつく。
景色が、景色として整いすぎている。木々の影も、遠くの光も、全部がそれらしく見えすぎていた。
目を細めて、周囲を見回す。
そこでようやく気づいた。
空中に、何かがいる。
――青白く光るイモムシ。
太さは子どもの腕ほど。周囲の景色に溶け込むような鈍い透明感。以前にも見かけたことのある魔災獣だ。
ただ、そいつは浮いていたわけじゃない。空中の何かを這っていた。透明な膜か、見えない壁みたいなものがあるのか、垂直にくねくねと移動している。
尻の先から、ほんのり光る粘液が垂れていた。
それが、夜景の光や木々の影を織り込むように、周囲の空間へ少しずつ溶け込んでいく。
違和感の正体が、一気に繋がる。
咄嗟に鎖を振るった。
鉄の音が空気を裂き、イモムシを叩き潰す。ぐしゃ、と軽い手応え。そいつ自体は驚くほど簡単に潰れた。
――だが、その先。
鎖が、何かに弾かれた。
見えない壁。いや、壁というより、張り巡らされた膜。空間そのものが閉じているような、硬い感触。
嫌な確信が、背筋を這い上がる。
「――ブレイド!さがって……!」
大きな声を出すのに慣れない喉で叫ぶ。
サンブレイドが、魔災獣の目の前で一瞬だけ不思議そうに振り返った。
「……え?」
その瞬間、空間が縦に裂けた。
……いや、裂けたんじゃない。
木々の影と夜の色でできた景色そのものが、外側から押し開かれた。
まるで、異界からの門が開くみたいに。




