スタイル・オーバーライド(7)
モールを出ると、夕方の少し冷たい風が頬を撫でる。
肌に残っていた建物の中の温度が、少しずつ薄まっていく。
駐車場を抜けると、車の音が遠ざかって、街の生活音が近づく。
空は仄かにオレンジがかって、光がもう柔らかい。夏の鋭さはすっかり抜けて、影が長く伸びる季節のそれだ。
日が暮れるのも早くなった。昼間のつもりでいると、気づいたときにはもう夕方になっている。
息を吸うと、空気が少し乾いている。
土と葉っぱの匂いが混じって、夏の湿り気がとっくにどこかへ引いていた。
街路樹は、緑の中に薄い黄が混じるだけじゃない。枝先から、はっきり茶や橙が滲んで、葉の縁がくるりと乾き始めている。
歩道の端には、乾いた小さな葉がいくつも落ちていた。
踏めば軽い音がしそうで、避けてしまう。
前を行く三人の声が、歩くたび少しずつ形を変える。
光莉の声がいちばん大きくて、椎奈がそれを折り、穂乃花が間に小さく入る。
「ていうか、さっきのスイーツ、すごい当たりだったね!」
「さっきから食べ物の話ばっかりね」
「だって美味しかったんだもん!」
「……まあ、美味しかったけど」
椎奈が小さく付け足すのが、なんだか悔しそうで可笑しい。
「やっぱり、美味しいもの沢山食べるのがいちばんだね!」
光莉が振り返って、こちらの方にも手を振る。実際、美味しかったので自分は素直に頷く。
完全にこちらを食いしん坊仲間と認識している光莉は、その返事に笑顔で満足して前を向いた。
光莉が話を戻す。
「まだまだ回りたかったね! ゲームコーナーも、本屋さんも!」
「……欲張りね」
椎奈が短く突っ込む。
そういいながらも、椎奈も少し名残惜しそうな表情だ。
穂乃花も控えめに頷く。
「……楽しい時間って……すぐになくなっちゃいますね……」
「訓練、最近多かったからさー。もっと遊びたいなって!」
大げさな愚痴ではなく、宿題や授業の予定と同じ並びで出てくるのが、この子たちの普通なのだと思う。
それでも、子どもが口にするには重いはずの言葉なのに、三人はそれを生活の1つとして扱っている。
光莉が歩きながらこちらに振り返る。
「じゃあ次はさ、ちゃんと遊ぶ日つくろ! 遊園地とか!それと、お泊まり!」
穂乃花が少し目を丸くする。
声より先に表情が動く。
「お、お泊まり……いいですね……!」
言いかけて、恥ずかしそうに口を閉じる。
けれど、否定ではない。
光莉が、思い出したみたいに笑った。
「そういえばさ、前は椎奈の家にけっこう泊まってたよね。懐かし〜」
椎奈が小さくため息をつくけれど、声は呆れよりも照れに近い。
「……小さい頃ね。あんたが強引に押しかけてきたんでしょ」
「でも楽しかったじゃん! 夜更かししてさ!」
「そ、それは……。あんたが夜遅くなってもずっと騒がしかっただけじゃない……。」
言い切れないところが、少しだけ可笑しい。
「最近はさ、訓練とか色々で予定合わなくて、お泊まりもしてないし」
光莉がさらっと続ける。
「だから、またやりたいんだよね」
穂乃花がそっと息を吸った。
羨ましさが、声の前に出てしまったみたいに。
「……いいな……。光莉さんと椎奈さん、幼馴染ですもんね……」
「……まあ……、家が近かったってだけよ。」
椎奈が軽く返して、光莉の方をちらりと見る。仲がいい、というのがその目だけで分かる。
「じゃあ今度はさ、穂乃花ちゃんも一緒! くさりちゃんも!」
「……誰の家にするの?」
椎奈がさらっと現実を置く。
「椎奈の家がいい! 広いし綺麗!」
光莉が即決する。
椎奈が「随分と勝手に決めるわね」と言いかけて、結局それ以上は言わない。
穂乃花が遠慮がちに口を開く。
「……で、でも……椎奈さんのご両親……大丈夫ですかね……?」
「大丈夫! 私が言うと、なぜかすぐOK出してくれるよ!」
自信満々に光莉が胸を張り、椎奈が眉を寄せる。
「うちの親、何故か光莉に甘いのよね……」
「えへへ」
光莉が得意げに笑う。
椎奈はそれを見て、ほんの少しだけ呆れた顔をして――でも、どこか諦めたみたいに息を吐いた。
「……騒いだりせず、夜更かししないなら大丈夫よ。」
「はーい」
「……が、頑張ります……」
穂乃花が小さく頷く。
「何する? パジャマでお菓子? 映画?」
「一応言っておくけど、枕投げは禁止ね」
「わかってるってば!」
風がもう一度だけ吹いて、首元に冷たさが触れた。
夏の服のままだったら、きっと寒かっただろう。
そんな当たり前の季節の変化が、いまは少しだけ現実味を持って胸に落ちる。
気づけば、公園の木々が見えてきていた。
遊具の影が長く伸びて、街灯がひとつ灯っている。空の色が、さっきよりも一段だけ淡い。
椎奈が歩きながらスマホを覗いて、足をゆるめた。
「……もうこんな時間ね。門限、間に合う?」
「あたしは走れば間に合うよ!」
光莉は元気よく返事して、穂乃花が慌ててバッグを抱え直す。
「……わ、わたしも……急ぎます……!」
「じゃ、ここで解散!」
さっきまでの、お泊まりの話題を引きずるような声で光莉が言う。
「くさりちゃんも!またね!」
光莉が力いっぱい手を振り、同じ方向へ向かう椎奈も微笑みながら「またね」と添える。
そんな対照的な2人を見て、穂乃花がくすっと笑って、「……また……」と小さく手を振りながら、2人とは別の方向へ歩き出す。
三人はそれぞれの帰り道へ向かう。
振り返るでもなく、立ち止まるでもなく、背中が遠ざかっていく。
自分だけが、いつもの公園の端に残る。
袋の中身が、ほんの少しだけ重く感じた。
公園で少し立ち尽くした後、路地裏へ向かって歩き出した。
──────
路地裏に入る。
街の音が薄くなっていき、埃っぽさとコンクリートの冷たさが迎え入れてくる。
さっきまで隣を歩いていた声が、背中から剥がれる。風の擦れる音だけが、やけに近い。
モールの匂いも、スイーツの甘さも、なにもかもが遠く感じる。
甘い後味はまだ舌の奥に残っているのに、この場所ではそれすら浮いて見える。
壁際のいつもの場所が見える。
段ボールを組み合わせて作った床と、掛け布団代わりのそれ。ここが、自分の居場所だ。
ダンボールの上にそっと袋を下ろして、座り込む。紙袋が擦れる音が、思ったより大きく感じる。
袋の口が少し開いていて、今日もらったネイビーのリボンがちらりと見えた。
目に入った瞬間、袋の口を閉じる気になれなくて、指を伸ばす。
袋から取り出して、手のひらに乗せる。
細めのグログランリボン。ほどよく硬くて、ふにゃりとしない。
指で引くと、形を保ったまま真っ直ぐになる。
端は斜めに切られていて、ほつれ止めがしてある。
先には小さな三日月のチャームがひとつ。
金属は光りすぎない。夕日の残りで、ちょん、と鈍く光るだけ。
軽いはずなのに、自分の手には重すぎる。
―――彼女たちは優しい。
いや、きっと優しいだけじゃない。
子どもなのに、得体の知れない魔災獣なんてものと戦う勇気は相当なものだ。
この世界がどんな仕組みで安全を保ってるのかは分からない。
でも、魔法が使えるとはいえ、大人ではなく子どもに頼らなければならない。少なくとも、それだけは間違いない。
この子たちが特別なのか、この世界の子どもたちが逞しいのかは分からない。
それでも、誰かのために身体を張って戦って、自分みたいな存在を受け入れてくれる。
大人であるはずの自分なんかより、ずっとずっと立派だ。
『だからこそ、彼女たちの傍は相応しくない。』
「……っ!」
恐れていた言葉が、冷たく形になる。
自分は弾かれたように顔を上げて、振り返った。
路地裏には、誰もいない。
あるのは、夕日で伸びた自分の影だけだった。
ただ、風のせいなのか、リボンの三日月がわずかに揺れた。




