スタイル・オーバーライド(6)
人の流れから半歩だけ外れた角に、ひとり、立ち尽くしている少女がいた。
白いブラウスに、ネイビーのスカート。抱きしめるように紙袋を抱えている。
髪は灰色っぽくて、癖っ毛なのか肩のあたりで跳ねていた。
迷子かな、と最初に思う。
この広さなら、よくあることだ。
けれど、足が止まったのは、それだけが理由じゃなかった。
その少女は、周りを探すでもなく、顔は伏せられている。
最近の子どもはスマホで連絡を取るのが自然だが、その少女はスマホを取り出す素振りも見せない。
それなのに、袋を抱える腕だけは離さない。落としたくないみたいに。
変、と言い切るほどじゃない。
それでも、違和感が喉の奥に残って、素通りできなかった。
一歩近づいて、なるべく柔らかい声を作った。
「もしかして、迷子?」
少女がゆっくり顔を上げる。
まず目に入ったのは、伏せたまつげと、白い頬。
それから、青みのかかった瞳。
――どれもが、驚くほどに整っていた。
しかし、年齢のわりに目元が澄みすぎていて、表情が薄い。
迷子の顔に見えるのに、なぜか迷子の顔だけじゃない気もする。
私は一瞬だけ言葉を迷って、すぐに笑った。
びっくりさせたかな、と思う。声のかけ方、もう少し軽くすればよかったかもしれない。
「ごめんね、急に。……一緒に来てた人とはぐれちゃった?」
目の前の少女は、少し遅れて小さく頷く。
「そっか」
周りを見渡す。
人は多いが、探している顔をしている人は見当たらない。
ここは通路の端で、流れに乗っていないと案外視界に入らない場所だ。
「ここだと見つけにくいかも。……あっち、もう少し人が通るところ行こっか」
そう言って、歩く方向を指さす。
いきなり手を掴むのはためらわれて、距離は一歩分だけ空けたまま、ゆっくり歩き出す。
少女は一拍置いてから、ついてくる。
紙袋の擦れる音が、ほんの少しだけ遅れて聞こえた。
歩きながら、横目でちらりと見る。
やっぱり、泣いていたりはしない。
泣きそうでもない。
なんだか、不思議な子だ。
子どもらしい状況のはずなのに、子どもらしくない雰囲気もある。
私は、変に踏み込まないように息を整えた。
「……ねえ。名前、聞いてもいい?」
少女は、ほんの少しだけ止まった。
躊躇う、というより、言葉を探しているみたいな間。
それから、少女は小さく息を吸って――口を開きかけた、その瞬間。
「くさりちゃん!」
背後から、弾む声が飛んできた。
――――――
「くさりちゃん!」
聞き馴染んだ声が、背中を叩いた。
振り返るより早く、影が跳ねてくる。
次の瞬間、胸に温度がぶつかって、勢いのまま抱きつかれた。
「――っ」
驚いた、と認識する前に、身体が先に安心してしまった。
呼吸の浅さがほどける。冷えていた胸の奥が、遅れて温まる。
腕が、勝手に動きそうになる。
抱き返してしまいそうで――指先が、服の布を探る。
でも。
「もー! どこ行っちゃったのかと思った!」
光莉がそう言いながら、ぱっと離れる。
宙に浮いたままの自分の手が、少し間抜けに見えて、咄嗟に下ろす。
考えたくなくて、視線を落とす。
後ろから、遅れて二つの足音が来た。
「よ、よかったです……。まさか、あんなに混むとは思いませんでした……」
穂乃花が肩で息をして、安堵したみたいに笑う。
その隣で、椎奈も少しだけ息を整えていた。表情は崩していないのに、目元が柔らかい。
「普段はあそこまでじゃないのよ。……セールとイベントのせいね。タイミングが悪かっただけ」
言い方はいつも通り、きっぱりしている。
でも、その声に棘がない。――心配してたんだ、と分かる程度には。
光莉は、まだ文句を言うみたいに頬を膨らませてから、急にこちらの横へ視線を飛ばした。
「ってあれ?――朝凪さんじゃん!」
そこで初めて、自分は隣に立っている人をはっきり見る。
さっき声をかけてきた、二十前後くらいの女性。近すぎない距離で、こちらを見ていた。
光莉が当たり前みたいに近づいていく。
「え、えっと……お知り合い、なんですか……?」
穂乃花が、少し緊張した様子で聞く。
椎奈が先に口を開いた。
「近所の人よ。……朝凪さん。たまに会うの」
「そーそー。優しいお姉さん! ね、朝凪さん!」
光莉が元気に言うと、朝凪さんは小さく笑って、軽く手を振った。
「こんにちは。……よかった、光莉ちゃんたちと来てたんだね。ちょっと心配になっちゃって」
穂乃花が背筋を伸ばして、慌てて頭を下げる。
「あ、あのっ……穂乃花です……! 助けてくださって、ありがとうございます……!」
椎奈も、きちんと頭を下げる。普段より少し丁寧に、それでも硬すぎない。
「ありがとうございました、朝凪さん。……声をかけてくれて助かりました」
そんな二人を見たからか、朝凪さんは一歩だけ近づいて――
「えらいえらい。ふたりとも、ほんとにしっかりしてるね」
そう言って、椎奈の頭をぽん、と撫でてから、続けて穂乃花の頭にもやわらかく手を置いた。
「……っ!」
椎奈の肩がわずかに跳ねる。
逃げるほどじゃないのに、顔が一瞬で熱を持つのが分かった。視線が泳いで、口元がきゅっと固まる。
「……こ、子ども扱いしないでください」
小さく言い返す声が、普段より弱い。
一方で、穂乃花はびくっとしながらも、すぐに目を細めた。
恥ずかしそうに唇を結んで、それでも嬉しさが隠しきれない。撫でられたところをそっと押さえて、頷く。
「……あ、ありがとうございます……」
光莉がすかさず笑う。
「椎奈、照れてるー」
「……うるさい」
椎奈が睨むけど、迫力が足りない。
穂乃花はそのやり取りを見て、ほっとしたみたいに息を吐いた。
――自分は、何も言わないまま、その輪の端にいる。
さっきまでの冷えた感覚が、まだ完全には消えていない。
でも、ここに立っていれば、どうにかなる。そんなふうに思えてしまう。
光莉がぱっと思い出したみたいに手を叩いた。
「あっ、そうだ! スイーツ! 行こ行こ! 早くしないと混むかも!」
急に方向転換して、歩き出しかける。
その前に、穂乃花がもう一度朝凪さんに頭を下げた。
「本当に……ありがとうございました……!」
椎奈も、短く。
「また会ったら、改めてお礼言います。ありがとうございました」
朝凪さんは笑って、軽く首を振る。
「いいよいいよ。――またね、みんな」
光莉が「またねー!」と大きく返し、くるっとこちらを向いた。
そして、何でもない動作みたいに、光莉は手を差し出す。
――自分より、少しだけ大きな手。
その手に、わたしはそっと指先を添える。




