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あの子の正体





 



 魔法災害対策庁――央京本部。


  

 ガラスと白い壁で固められた巨大な庁舎は、宵ヶ丘の支部とは空気の密度が違う。人の歩幅も、言葉の速度も、どこか早い。


 椎奈は来客用のゲートを抜け、職員証と閲覧許可証を提示して奥へ進む。

 

 目的地は、本部資料閲覧室。災害対応実行部の現場記録だけでなく、研究部や監査部の資料が束ねられている場所だ。

 

 静かなフロアに入ると、蛍光灯の光は均一で、影を作りにくい。空調の風は乾いていて、本の紙の匂いと古いファイルのインクの匂いが混じっていた。

 

 壁一面の書架には、分類番号と部署名が並ぶ。実働の現場とは違う、静かな圧がある場所だ。

 


 

 椎奈は受付カウンターの前で背筋を伸ばし、所定の様式で頭を下げた。



 「災害対応実行部、宵ヶ丘市支部。第二区域管轄隊、第二区二班班長――セレススピア。

 資料閲覧の申請を提出した者です。許可の照合をお願いいたします」



 椎奈はセキュリティゲート前で立ち止まり、身分証と閲覧許可コードを提示した。端末が短く電子音を鳴らす。

 

 受付の職員が端末を操作し、ホログラフに申請番号を呼び出す。数秒の沈黙のあと、淡々と頷いた。



 「照合しました。閲覧室の利用、許可されています。

 閲覧可能範囲は申請通り、関連資料に限ります。持ち出しは禁止。複写は許可が必要です」


 

 「承知しました。ありがとうございます」


 入室証のカードを受け取り、椎奈は奥へ進む。


  

 ――ここは、現場の判断ではなく、記録と理屈で世界を縛る場所だ。


  

 自分がここに来たのは、くさりのことを少しでも理解したかったから。理解できないものは、判断できない。判断できないものは、現場では危険だ。


 

 彼女は、鎖を出し、操る。そのとき、魔力紋が見えない。

 

 魔法少女が魔法を使うとき、大小の差はあれど、必ず魔力紋が展開される。

 それは単なる演出ではなく、術式を圧縮して現象化するためのもの――と学んでいる。

 

 変身も同じだ。

 通常の魔法少女は、変身時に魔力紋と特有の魔力波長を伴う。魔災庁はその波長を監視して、違法な変身、緊急時の発動、あるいは異常な活動を検知する――そういう仕組みがある。


 

 だが、前回の戦闘。

 

 記録を確認しても、彼女からの波長は検知されなかった。少なくとも、椎奈の知る範囲では。


 

  

 変身コア無しでの変身が可能な例は記録されている。

 

 けれど、“変身宣言なしで変身する”など――自分は聞いたことがない。


 

(自分が知らないだけで、例外がある? それとも……)


 

 椎奈は書架を見上げる。

 棚札には〈霊災、術式対策〉〈魔力紋鑑識〉〈異常事案〉といった分類が並び、さらに奥に〈術者系統〉の区画が見えた。


 

 椎奈はそこへ歩く。

 

「……魔力紋を介さない行使があり得るとしたら、術師――」

 

 呟いた声は、乾いた空気に吸い込まれる。

 

 陰陽師と、神祓師。

 

 護符や印、陣や祝具――魔力紋とは別系統の手段で、現象を立ち上げる者たち。


  

 だが、くさりがそうには見えない。

 

 印を結ぶ気配はない。儀式も護符も、祝具もない。

 それに、彼女はそれらを使う為に訓練されているようにも見えず、独学で扱えるほど聡明そうには、どうしても見えなかった。


 それに、あの鎖はあまりに直接的で、あまりに――生々しい。





  


 「勉強熱心だね。感心だよ」


 

 不意に、背後から声が落ちた。


  

 「……っ」

 

 椎奈は反射で振り返り、姿勢を正した。



  

「……支部長……! お久しぶりです」


  

 そこにいたのは、宵ヶ丘市支部長。


  

 髪は後ろへ流して整えているが、こめかみにわずかに白髪が混じっていた。薄く整えた無精髭が、妙に似合う。

 目つきは冷たいほど冴えているのに、口元だけは眠そうに緩んでいる。


 四十前後の男で、背は高く、スーツも一見きっちりしている――のに、ネクタイだけが少し緩い。

 まさに彼の性格を表している



 

 「奇遇だね、椎奈君」

 

  

 「……最近、お姿を拝見しておりませんでしたので。

 まさか、こちらにいらしたとは」

 

 椎奈が言うと、支部長はわざとらしく肩をすくめた。


 

 「今回はサボっているわけじゃないよ?

 こっちも色々と忙しいんだ。トラブル続きでね」

 

 そう言って笑う支部長に、椎奈は一拍置いて目を細める。

 

 ――信用しきってはいけない、というより、突っ込むと面倒なタイプだ。

 

 「……承知しました」


 

 支部長が軽く咳払いをして、話題を変える。

 

 「……それより、何か探し物かい?」


  

 「……はい。少々、気になったことがありまして」




  

 「……例の――鎖の子関係、かな?」


  

 ぴたり、と椎奈の呼吸が止まる。


  

 「……なぜ、それを」


 

 「何となくね。君は真面目だ。

 穂乃花君のときも、色々と立ち回っていたし――今回も、何か気を利かせて動いているのだろうと思ってね」


 

 椎奈は視線を落とした。


 

 「……申し訳ございません。独断で動いている自覚はあります」


 

 支部長は、予想外にあっさり首を振った。



 「いや。君はそれでいい。

 全てを報告しろとは言わないよ。現場で必要なことを優先しなさい。……ただし、()()()()()()()()()()、ね。」


  

 椎奈の肩が、ほんのわずかに強張る。――まるで、こちらの隠したい線まで見透かされたみたいに。

 

 そんなこちらの目線を、支部長は何でもない顔で目だけを細め、「できるだろう?」といったような顔で返してくる。



  

 「それで、何を知りたいんだい?」

 

 椎奈は、迷いを捨てるように息を吐いた。

 

 「……魔法少女が、魔力紋なしで魔法を行使することは可能でしょうか。

 また、変身宣言を介さずに変身することは――理論上、成立し得ますか」


  

 支部長の表情から、薄い笑みが消える。

 代わりに、仕事の顔が出た。


 

 「……結論から言おう。不可能だ」

 

 言い切って、支部長は淡々と続ける。

 

 「魔法少女の魔法は、魔力紋があって初めて成立する。

 魔力紋は術式を圧縮した“回路”であり、同時に“安全弁”でもある。

 あれを通してようやく、君たちの魔力は形になる。逆に言えば――魔力紋なしでは、どれだけ魔力があっても、ただ身体の中で渦巻くだけだ。光にも炎にも、矢にも鎖にもならない」


 

 支部長は書架の背表紙を指で軽く叩く。


  

 「研究部の資料でも、紋無しでの展開は理論上想定されていない。

 術者のように護符や印を組めば、別系統の術式として話は変わるが――それはもう“魔法少女の魔法”ではない」


  

 そして最後に、短くまとめた。


 

 「つまり、君の疑問に対する答えは一つだ。

 “魔法少女としての枠組みでは、成立しない”」



 

 「……不可能、ですか」

 

 椎奈の口から零れた声は、自分でも驚くほど静かだった。

 納得したかったのに、納得できるほど簡単な答えではない。


 

 支部長は椎奈を見下ろし、ほんの少しだけ目を細める。



 

 「疑問は、解決したかね?」


  

 椎奈は反射で頷きかけて、止まる。

 解決などしていない。むしろ――深くなった。

 

 それでも、今は礼を言うべきだ。


 

「……はい。ご教示、ありがとうございます」



  

「うん。なら、今日はここまで。……深入りはしすぎないことだ」


 

 支部長はそう言って踵を返し、廊下の奥へ消えていった。

 

 足音が遠ざかるたびに、資料室の静けさが戻ってくる。


 

 椎奈は、その場に立ち尽くす。


 支部長は、何故宵ヶ丘に居るのかわからないほど優秀な人間だ。彼の発言が間違っているとは思えない。


 

 (理論上でも、不可能……?)


  

 その事実だけが、背中に冷たく貼りついて離れなかった



 頭の中に、彼女の姿が浮かぶ。

 

 普段の、のんびりとした言動。

 時折見せる何かを恐れているような瞳。

 そしてその奥に、得体の知れない何かを感じさせる少女。


 


   

 「……じゃあ、あの子は一体……。」


 







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