コンクリート・ジャングル(4)
「……落ちてきたら一気に叩くのは変わらず。
こっちも、少しずつ削っていくわよ」
「はい……!」
ドロップも弓を握り直し、くさりも鎖を構える。
猿型は、変わらず屋根の上でぐるぐると位置を変えながら、こちらを見下ろしていた。
セレスの指示に、三人の視線が再び上へ向けられる。
次の瞬間、猿型が屋根から飛び降りた。
ブロック塀を蹴り、電柱を経由して、今度は地上すれすれを滑るように走り出す。
こちらを見据えたまま、一直線。
「——全員、身を低くっ!」
セレスは、突っ込んでくる軌道を見て、とっさに叫ぶ。
頭の高さギリギリを薙ぎ払うつもりだ、と直感でわかった。
サンブレイドとセレススピアはその場で膝を折ってスライディング気味に身を伏せ、
ドロップとくさりは、小柄な体格を活かして道沿いの側溝に身体を倒すように伏せる。
次の瞬間、猿型の長い腕が横一文字に振り抜かれた。
空気を裂くような風圧が、四人の頭上すれすれを走り抜けていく。
(やはり——全員の頭の高さをまとめて狙ってきた)
背後でアスファルトを削る爪の音がして、猿型はそのまま通り過ぎる。
体勢を崩しきらないまま、距離を取るためにその先へ走り抜けていった。
「逃がさない——ドロップ、くさり! そのまま背後に射撃!」
「は、はいっ……!」
ドロップが膝立ちのまま弓を引き絞る。
矢じりに水が集まり、小さな弾丸となって連射される。
「……!」
くさりは素早く数本の鎖を伸ばし、しならせた後に鎖を引き、鞭のような軌道で魔災獣の方向に叩くように薙いだ。
水弾と鎖の一撃が、距離を取ろうとする猿型の背中を追い立てる。
だが、猿型の魔災獣は身体をくの字に折るようにしてギリギリのところで身を捻り、かわしていく。
水弾はそのまま奥の壁を穿つ。
鎖は、舗装を打って火花を散らし、そのまま住宅の壁にごす、と鈍い音を立てて突き刺さった。
鎖は、ぎん、と短く震えたあと、そのまま斜めにぴんと張り詰める。
「……外れました……。ごめんなさい……」
ドロップが小さく肩を落とす。
くさりも、申し訳なさそうに目を伏せかけた、そのとき——。
「ナイスタイミング!ちょっと借りるね!」
ブレイドが軽い調子で言い捨てるや、そのまま駆け出した。
「……えっ——?」
くさりの目の前で、ブレイドは斜めに張った鎖へ片足をかける。
ぎん、と鉄が鳴る。
体重を預けても、鎖はわずかに沈んで、すぐに反発するように戻った。
そのまま、ためらいもなく——走り出す。
「……鎖の上を、走ってる……?」
ドロップが、ぽかんと呟く。
「バランス感覚どうなってるのよ、あの子……」
セレスも思わず眉を上げた。
鎖は、地面と壁をつなぐ一本のレールになっていた。
その上を、ブレイドは両手も広げず、ただ前だけを見て駆けていく。
鎖の先では、猿型がまだ体勢を整えきれていない。
既に打ち出され、回避済みの鎖の上をまさか駆け抜けてくるとは思っていなかったのか、その事実に、ほんの一瞬だけ反応が遅れる。
魔災獣がブレイドの方向に振り向いた瞬間には、もうブレイドは跳んでいた。
鎖の終端、壁に突き刺さったすぐ手前で、蹴るように足に力を込め、そのまま鎖を踏み切り板にして高く跳び上がる。
空気が、ひゅう、と一瞬だけ遅れてついてくる。
「———せいっ!!」
叫びとともに、双剣が交差する。
猿型がこちらを振り向き、その腕を振り上げかけた、その瞬間——。
金属音と、肉を裂く鈍い感触が同時に路地へ響いた。
二本の腕が、根元からばっさりと飛ぶ。
もう片方の腕も深く抉られ、バランスを崩した猿型の巨体が、ぐらりと揺れた。
受け身を取る余裕もなく、魔災獣は背中からアスファルトに叩きつけられる。
地面がどすんと沈み、細かいひびが放射状に走った。
「よしっ!」
ブレイドは着地と同時にくるりと一回転して衝撃を逃がし、そのまま後ろへ身を引く。
振り返りざま、セレスに向かって叫んだ。
「セレス、あとはたのんだよっ!」
その声が届くころには、セレスはすでに駆け出していた。
(十分——起点は作ってくれた)
ドロップとくさりはぽかんと口を開けてブレイドの身軽さに見入っていたが、セレスが前へ飛び出すのを見て、はっと我に返る。
猿型の魔災獣が、腕を失った身体でよろよろと起き上がろうともがいている。
四肢をバラバラに動かし、なんとか立とうと足掻いているが——さっきまでの機動力はもうない。
セレスは、その様子を真正面から見据えながら、駆けながら槍を構え直した。
「……格好付けた以上、私もいいところ見せないとね」
穂先に静かに魔力を込めていく。
小さな魔力紋が浮かび、金属の表面に小さな紫電がぱち、と弾ける。
やがてそれは一本の線になり、槍の周囲を渦巻くようにまとわりつき始めた。
雷光は次第に濃度を増し、日が傾き薄暗くなった路地をじわじわと照らしていく。
足を止めたその位置は、猿型との真正面。
セレスは、槍の穂先を真っ直ぐに心臓部へ向ける。
「——《サンダーランス》」
宣言と同時に、溜め込んだ雷が一気に解き放たれた。
眩い閃光が、路地を白く塗りつぶす。
雷光を纏った槍が一直線に突き出され、猿型の胸を貫いた。
直撃の瞬間、周囲の空気が焼けるような音を立てる。
魔災獣の身体がびくん、と大きく跳ね、そのまま糸の切れた人形みたいに崩れ落ちた。
数拍の静寂のあと、輪郭が崩れ始め、やがて——粒子になって、さらさらと宙に溶けていく。
アスファルトのひび割れだけが、さっきまでそこに存在した脅威の名残だった。
「……ふぅ」
セレスは、ゆっくりと槍を引き、溜めていた息を吐き出す。
「……無事に、終わりましたね……」
ドロップは胸に手を当て、小さく呟いた。
くさりも、ほっとしたように肩の力を抜いている。
足首の鎖が、からん、と小さく鳴った。
「やったぁ〜〜!」
ブレイドが両手を高く上げて、その場でぴょん、と飛び跳ねる。
「今回も、強敵だったね!みんなも、ナイス連携!」
そう言いながら、近くにいたくさりの方へも駆け寄ってくる。
いきなりの距離の詰め方に、くさりは一歩だけ後ずさったが——それでも、逃げはしなかった。
「……全員、とりあえず無事そうね」
セレスは全員の姿をざっと見回し、耳についた通信端末にそっと触れる。
この後、志乃原との回線が自動で繋がる。音声はすべて録音される。
(くさりのことを、そのまま拾われるわけにはいかない)
そう思って、彼女は少しだけ声量を落とした。
「……くさり」
セレスは、三人に聞かせるというより、彼女だけに届くくらいの小声で囁く。
「後処理班が来る前に、この場から離れたほうがいいわ。
通信に声が入ると、あとでややこしくなるから」
くさりが、ぱちりと瞬きをする。
ちら、と他の二人を見ると、ブレイドもドロップも、何も言わずに小さくうなずいてくれた。
「……ありがとう」
ギリギリ聞こえるかどうかの、かすかな声。
口の動きだけなら、きっと誰にも気づかれない。
「また公園に遊びに行くねっ!」
ブレイドが、小声ながらいつも通りの明るさで宣言する。
「…え……」
くさりは、わずかに目を丸くして固まった。
あまり歓迎していない、というか、どう反応していいのかわからない——そんな顔。
けれど、きっぱりと拒絶するでもなく、少しだけ視線をそらしてから、ぽつりと呟く。
「……かってにすれば、いい」
その言い方のわりに、足元の鎖がかすかに揺れているのを見て、セレスは内心で、ほんの小さく笑った。
そのタイミングで——耳慣れた通信音が、三人の端末から一斉に鳴り響く。
『こちら支部。状況の報告をお願いします』
志乃原さんの、落ち着いた声。
「こちらセレススピア。対象の魔災獣は殲滅完了。二次被害は——」
セレスは反射的に周囲を見回す。
崩れたアスファルト、削れたガードレール、剥がれた塀の破片。
そして——さっきまですぐそばにいた黒いドレスの影は、もうどこにも見当たらなかった。
『通信が入る直前、未登録の反応を一つ、近くで確認しましたが——』
志乃原さんの声が、少しだけ探るような響きを帯びる。
「……今、視認できる範囲には居ません」
セレスは、ほんの一瞬だけ迷ってから、きっぱりと言った。
「戦闘中に一時的に反応が混じったかもしれませんが……現在、現場周辺に魔力反応は無し。こちらの三人だけです」
語尾を強めると、すぐ横でブレイドとドロップが小さくうなずいた。
そのうなずきは、志乃原さんには見えないけれど。
『そう、ですか。……わかりました』
ひと呼吸置いてから、志乃原の声が少しだけ柔らかくなる。
『完全撤収の前に、周囲の安全確認と簡単な後処理だけお願いします。詳細な報告は、支部に戻ってからで大丈夫です』
「了解しました。」
通信が切れる。
「……ありがとね、セレス」
セレスの横に寄ってきたブレイドが、小さく柔らかい声色で言う。
「……何のことかしら?」
セレスはわざとそっけなく返すが、口元はほんの少しだけ緩んでいた。
「さっきの、報告の件もですし……」
ドロップが遠慮がちに続ける。
「それに、くさりさんのことも。最初は、もしかしたら、嫌われちゃうかも、なんて思ってました。」
言いながら、そっと視線を落として、少しだけ照れたように微笑んだ。
胸の前でぎゅっと手を重ねる仕草に、安堵と嬉しさが滲んでいる。
「でも、なんだかくさりさんの表情も少し柔らかくなった気がします。」
「……そう簡単に、縁が切れる相手じゃないでしょ」
セレスは、ごく当たり前のことのように言う。
「あれだけ勝手に助けてくれた子なんだから。
向こうが嫌って言わない限りは……また、来てくれるわ」
それから、槍を肩に担ぎ直して言った。
「さ、さっさと後片付け済ませて帰るわよ。
あんまり長居すると、どっかの誰かさんがまた心配するから」
「はーい!」
「わ、わかりました……!」
三人の返事を聞きながら、セレスは一度だけ、さっきくさりが立っていたあたり——
人気のない路地の奥へと視線を送る。
(——ちゃんと、隠れきれてるといいんだけど)
心の中だけでそう呟いてから、何事もなかったかのように踵を返した。




