コンクリート・ジャングル(3)
屋根の上で、影が弾かれたようにこちらへ向かって来る。
猿型の魔災獣が、家々の屋根を二、三軒分ほど一気に駆け抜け、その勢いのまま飛び出す。
次の瞬間、ほとんど落下に近い軌道で、後衛の方へ真っ直ぐ突っ込んできた。
「——ドロップ!」
セレスが声を張るより早く、ブレイドが地面を蹴った。
猿型は、電柱を一度だけ掴み、その反動で弾丸のように加速したまま、ドロップめがけて爪を振り下ろす。
「っ——!」
ドロップが反応しきれず、目を見開いたその前に、ブレイドの背中が飛び込んだ。
双剣を交差させて掲げる。
猿型の腕と剣がぶつかり合い、重い衝撃音が路地に響いた。
「うおっ……重っ……!」
ブレイドの足が半歩だけ後ろへ滑り、衝撃で地面が砕ける。
狙い通りの一撃にならなかったと悟ったのか、猿型魔災獣は深追いしない。
腕を弾かれた瞬間、自分から衝突の力を逃がすように横へ跳び、そのまま近くの塀へ、そして電柱へと、軽々と跳び移っていく。
あっという間に高所へ戻り、また屋根の上で移動しながらこちらを見下ろし始めた。
「だ、大丈夫ですか……?」
ドロップが慌ててブレイドの脇に回る。
「へーきへーき! ちょっと押されたくらい!」
そう言いつつも、腕はしっかり痺れているのだろう、ブレイドはぶんぶんと手首を振っていた。
セレスは、そのやり取りを確認してから、改めて頭上をにらむ。
「……先に後衛を潰して、数を減らすつもりだったのね。」
「でも、やってみてダメだと思ったらすぐ距離取るあたり……、なんだか手馴れてそうだね。」
ブレイドが苦々しそうに笑う。
屋根の上の猿型は、こちらの反応を見届けると、またぐるりと位置を変え始めた。
さっきまでと同じように、電柱や壁、屋根の縁を次々と蹴って、円を描くように跳び回る。
距離を測り直しながら、次の好機をうかがっている——そんな動きだった。
「……どうにか地面に落として、一気に叩く。相手のペースに呑まれない為にはそれで行くしかなさそうね」
セレスは槍を構えたまま、息だけを静かに整える。
「でもさ、あの速さでぴょんぴょんされたら、狙いづらすぎない……?」
ブレイドが、軽く肩をすくめて苦笑した。
「なんとか……こちらからも、牽制してみます……」
ドロップが一歩前に出る。
弓に魔力を込め、屋根の縁をかすめるように矢を射た。
矢は正確に狙っていたはずだった。
けれど、猿型はその直前で、あっさりと壁を蹴って進路を変える。
「っ……!」
矢は空を切り、遠くの屋根瓦を欠けさせるだけに終わる。
「……わたしも、やってみる」
くさりが、静かに鎖を振るう。
細く伸びた鎖が電線の間をすり抜け、屋根の影をなめるように走る。
今度はただの牽制じゃない。
跳躍の着地のタイミングを見計らって、足元から巻きつかせる。
狙い通り、猿型が電柱から地面へ降りかけた瞬間——
鎖が足首に絡みついた。
「……捕まえた」
ぎち、と締め上げる感触。
そのまま一気に地面へ縫いとめようとした、そのとき。
猿型のもう一本の腕が、素早く鎖をつかんだ。
「っ——」
次の瞬間、くさりの体が前に引っ張られる。
小さな身体が、まるで釣り上げられた魚みたいにぐい、と持ち上がった。
「くさりちゃんっ!」
ブレイドが叫ぶ。
くさりの細い体が前に引き倒されかけ——その背中を、ブレイドがとっさに抱きとめた。
「うぐぐ…、くさりちゃん踏ん張って!」
後ろから腰ごと押さえ込むように支える。
それでも、魔災獣の腕力は尋常じゃない。地面に擦れる足元がきゅっと鳴り、ふたりまとめてずるずると引きずられかける。
セレスは槍を半歩だけ引き、穂先を猿型の腕の方向に向けた。
穂先の周りに、細かい紫雷がぱちぱちと踊り始める。
「――離しなさいっ!《スパーク・スティング》!」
同時に、ドロップが弓を構え直す。
「《ウォーター・ボルト》……!」
圧縮した水の弾丸が、矢じりの前に形成される。
セレスの雷撃と、ドロップの水弾——ふたつの魔力が、鎖を伝っていく先の標的へと一直線に狙いを定めた。
猿型は、その瞬間だけこちらを振り返った。
突き刺さるような殺気と、魔力の高まりを読み取ったのだろう。
次の瞬間、魔災獣は鎖を放り出すように手を離し、横の壁へと飛び移った。
雷光と水弾が、空を切って着弾する。
電柱の根元とアスファルトの一角がえぐれ、粉塵が白く舞い上がった。
唐突に鎖から力が抜け、くさりの体がよろめく。
「だ、大丈夫?」
ブレイドが慌てて支え直す。
くさりは、胸に手を当てて一度だけ大きく息を吐いた。
「……へいき。たすかった」
放り出された鎖が、からん、と地面に落ちる。
「うかつに拘束は……狙わないほうがいいかもしれませんね……」
ドロップが、まだ少し息を弾ませながら言う。
「そうね。コイツに対しては、攻撃か防御に専念。
絡め取るのは、相手が十分弱ってからにしましょう」
セレスは短く言い切った。
「……わかった」
くさりが、小さくうなずく。
その灰色の瞳には、さっきの恐怖よりも悔しさの色のほうが濃かった。




