海パンの向こうの劣等感と、遅咲きの目覚め
隠されたからこそ際立つ「男の格差」――
小学校時代のあの騒動で、歪んだ快楽の扉を開けてしまった私だったが、中学生になるとさすがに環境は一変した。
男女の着替えスペースは完全に分かれ、あの頃のように無防備な姿を女子の視線に直接晒すようなシチュエーションは、日常から綺麗さっぱり消え去ってしまったのだ。
だが、それで私の心がおとなしく収まったかといえば、全くそんなことはなかった。
夏になれば、当然のようにプールの授業がある。更衣室こそ別々になったものの、水着姿でプールサイドに整列すれば、結局は男女が同じ空間に身を置くことになる。そしてそこで、私は新たな「惨めさ」という名の刺激に出会うことになった。
原因は、私の圧倒的な「サイズの小ささ」――いわゆる粗チンというやつだった。
思春期を迎え、第二次性徴期に入った男子たちの体つきは急速に大人びていく。
ピチッとした競泳用水着を穿けば、自然と股間にはそれなりの膨らみがもっこりとできるものだ。しかし、私のそこには、まるで見栄えのする主張がなかった。
外から見れば、男としてのモノが本当にあるのか無いのかすら疑わしいほど、情けないくらいに平坦だったのだ。
妄想のヒソヒソ声と、膨らむ恥悦――
全裸を見られる恥ずかしさとはまた違う、残酷な現実。しかし、皮肉なことに、この「男としての劣等感」こそが私の内なる興奮にさらなる拍車をかけた。
全裸にならずとも、あの薄っぺらい水着一枚越しに、自分の粗末な発育具合が丸わかりになってしまっている――その事実がたまらなく恥ずかしく、そしてたまらなく心地よかった。
男子が女子の胸の膨らみや発育具合をこっそりチェックしては、あれこれと品評し合うのと同じように、女子だって男子の体つきを見ていないはずがない。
「あいつの、全然『ない』よね」
「ちっちゃ……」
水泳帽の向こうで女子たちが視線を交わし、そんなふうにヒソヒソと嘲笑っているのではないか――。
そんな情けない妄想を頭の中で巡らせるだけで、私の胸の奥は甘い熱さでいっぱいになっていた。
見下され、劣っていると判定されることへの異常なまでの執着。
私のマゾヒズムは、思春期のコンプレックスと結びつくことで、より根深く、より複雑な形へと熟成されていったのだ。
持て余した熱と、遅すぎた夜明け――
とはいえ、当時の私はまだ「オナニー」という行為そのものをよく知らなかった。
頭の中では女子からの嘲笑を想像して悶々とし、身体中が熱くなっているのに、それをどう処理していいのかがわからない。ただただ出口のない欲求不満を抱え、胸を焦がすだけの日々が続いた。
高校生になってようやく、「なんとなくそこを弄っていると気持ちがいい」という感覚をぼんやりと知る程度。ちゃんとしたオナニーのやり方を覚え、ひとつの快感として完結させられるようになったのは、高校二年生に上がった頃だったと思う。
思春期の男子としては、かなりの「遅咲き」だった。
だが、その遅すぎたスタートと、長年澱のように溜まり続けていた「見下される羞恥への妄想」が合流したとき、私の夜の営み――といっても一人きりのものだが――は、世間一般のそれとは大きくかけ離れた、ひどく歪で濃密なものになっていくのだった。
(EP.3に続く)




