M男の幼少期~あの夏の日の気まずさと、芽生えたマゾ性~
教室の真ん中で晒された全裸――
小学生時代の夏。
今振り返ってみれば、あれが私の原点だったのかもしれない。
そう、世間一般で言うところの「マゾヒズム」の芽生えだ。
現在では考えられない、おおらかな、あるいは無神経なルールが、昭和ではまかり通っていた。
たとえば、体育の授業の前後に行われる、教室での「男女混合の着替え」。
今ではせいぜい低学年までだろうが、昭和の当時は、小学生高学年になってもそれが当たり前だったのだ。
夏はプールでの水泳の授業があった。
みんな「お着替えタオル」という、長いマントのような形状のタオルを羽織って、その中で水着に着替えていた。女子は首から足首までをすっぽり覆う大きなサイズを使っていたが、男子は腰から下を隠す程度だった。さらに、そのタオルはゴムで留めているだけで、引っ張れば簡単に下ろせてしまう代物だった。
ある日のこと。
いつものように水着に着替えようと、パンツを下ろしたまさにその瞬間。
悪戯好きなクラスメイトの男子に、そのタオルを背後から思い切り引き下げられてしまった。
一瞬にして、教室の真ん中で私の全裸が晒された。
それも、クラスメイトの女子たちの目の前で。
教室内が凍りついた。
女子たちは「ぎょっ」として目を背け、できるだけ何事もなかったかのように振る舞おうと必死になっていたのを覚えている。しかし、当事者である私は違った。
頭が真っ白になったあと、妙な熱が体中を駆け巡った。
――女子に、こんな恥ずかしい姿を見られてしまった。
その事実そのものに、なぜか激しく興奮している自分がいたのだ。
通気口の向こう側の視線――
それからというもの、私の内面は少しずつ歪んでいった。
あるいは、本来の形に目覚めてしまったのか。
「女子に恥ずかしい姿を見られるのは、もしかしてすごく気持ち良いことなんじゃないか」という感覚が、頭から離れなくなったのだ。
夏休みに入ると、学校のプールが自由開放される日があった。
その頃の更衣室の造りは、女子はきちんと個別の更衣室を使う一方で、男子はグラウンド脇の衝立の裏で着替えるというものだった。
ある日、男子スペースの壁の下側、地面すれすれの位置に通気口のような「壁のない隙間」があることに気づいた。そして、少しマセた女子たちが、面白半分にそこから男子の着替えを覗き見にきていることを知ってしまった。
その事実を知ってからの私は、すっかり矛盾した心理に取り憑かれた。
「覗かれている」と分かっていながら、あえてそれを知らないふりをする。
そして、通気口から死角にならない、バッチリ見える位置を選んで着替えるのだ。
あまつさえ、いつもなら使っていたタオルすらあえて使わず、丸裸のまま着替えてみたりもした。
壁の向こうからは、「あ、見えた見えた!」「キャー、すごい……」そんなヒソヒソ声や、忍び笑いが漏れ聞こえてくる。
女子たちは、交代制のようにして次々とやってきては、私の無様な素っ裸を覗き見していった。
私はそれを知りながら、心の中で激しい興奮を覚えていた。
――見られちゃうのって、こんなにもたまらないものなのか。
まだ子供だった私は、その背徳的な快楽の味を、しっかりと覚えてしまったのだった。
(EP.2に続く)




