冬子の仮説
マンションへ帰宅すると、雪乃と奈緒はすでに眠りについたようだった。
静まり返った部屋の中、冬子だけがダイニングテーブルにキャンドルを灯し、レポートのような書類に向き合っていた。
奈緒も憩いの里に通っているのだが、雪乃や咲愛の送迎があるため、僕とは別の車で行動している。
「何を取りまとめているんだい?」
冬子が用意しておいてくれた夕食を平らげ、一息ついたところで声をかけた。
「今日はゾンビの病原体について、AI先生と壁打ちしていたんです。それで、私なりに考えた説をレポートにまとめているところでして」
「へえ……どんな内容なんだい?」
「まず、私はAI先生にゾンビの病原体が示す症状を提示してウイルスの可能性を尋ねてみました。すると私の予想通り、ウイルスとは考えにくいという回答でした。理由はですね、ウイルスはタンパク質の膜の中に遺伝情報(DNAやRNA)が入っただけの存在でして、宿主となる人間の細胞機能を乗っ取って自己複製していく……つまり、生きている人間の代謝が不可欠だからです。宿主が死亡すれば増殖できず活動をストップさせるのがウイルスの性質ですから、死体が動き出すゾンビ病原体とは真逆なんです」
「なるほど。ゾンビの原因はウイルスではないと言えそうだね」
「他に可能性があるとすれば細菌か寄生虫なのですが、寄生虫にしては感染後の繁殖スピードが速すぎるのです」
「それなら、今回の病原体の一体何なんだろう?」
「残念ですが、そこまではまだ特定できていません。ですが……私は対処法に繋がる、ある仮説にたどり着いたんです。まず、ゾンビ化に至る経緯を見直してみると、大きく二つのパターンに分かれているのですが」
「生きたまま噛まれてゾンビ化するケースと、他の要因で死亡してからゾンビ化するケースだよね?」
「はい正解です。パターンは分かれていますが、本質的なプロセスはどちらも同じなんです。どちらも人間が死亡することで初めてゾンビ化する。つまり、噛まれるケースは単に、病原体によって死に至らされるという工程が一つ増えているだけなんです」
「なるほど、細かく分析するとそうなるわけか」
「私はここが最大のポイントだと思いまして。このゾンビ病原体は、死んだ人間の体内でしか増殖・発症できないのではないか……と考えました。そしてその理由は、死後に体内で発生する特定の物質を必要としているか、あるいは生存時の血液に含まれる物質を嫌っているかのどちらかだと考えられます」
「それで、AIの結論は?」
「考えられる可能性としては……酸素を嫌う『嫌気性』の性質を持っているか、あるいは人が死亡した直後に急激に増加する『乳酸』などの酸性物質をエネルギー源として増殖しているか。もしくは、その双方である可能性が高いと」
「なるほど……それなら、噛まれてから死亡して感染爆発を起こすまでのプロセスの説明がつくぞ」
「そうなのです!それで今、このレポートを作成していまして……もし差し支えなければ、白心病院の白崎院長に目を通していただけないでしょうか?」
「明日は僕が雪乃たちを白心病院へ送っていくから、その時に院長に面会して渡してみるよ」
「ありがとうございます。素人考えですから、鼻で笑われてしまうかもしれませんが……よろしくお願いします」
冬子はそう言って謙遜した。
しかし、彼女の打ち立てた仮説は決して的外れなどではなく──むしろ、この世界の惨状を引き起こした元凶の喉元に、まっすぐ迫っているような強い確信が僕の中に湧き上がっていた。




