救出
「……ちょっと、待ってください。あの車、車内灯が点いてませんか?」
夕暮れが過ぎ、外が急激に暗くなり始めていた頃。運送会社の事務所前を通り過ぎようとした時、敷地内に止まっている一台のトラックのキャビンに灯りが点いているのを発見した。
「確かに点灯しているな。……しかし、ゾンビの数が凄まじいぞ」
原口の言う通り、運送屋の敷地内には確認できるだけでも20体以上のゾンビが彷徨っていた。
僕は頭の中で素早くシミュレーションを重ねた。昨日のマンションの時のように、原口にパトカーのクラクションで誘導してもらえばわけはないのだが、一つ大きな問題があった。
運送屋の正面門扉がしっかりと閉ざされているのだ。あれではクラクションを鳴らしてもゾンビが外に出てこない。仮に中のトラックが動き出したとしても、門を開けない限り脱出は不可能だ。
それに……車内の人物が無事なのか、あるいは最悪すでにゾンビ化している可能性すらある。
「中の人が無事だったとしても、救出するのは不可能じゃないか?」
「そうですね……かなり危険な賭けになります」
「残念だが諦めよう」
原口はそう言ってパトカーを走らせようとした。だが、僕はどうしても見捨てることが心苦しく、明かりの灯ったトラックを見つめ続けていた。
すると──窓ガラスの向こうに、ゾンビのものではない白い手が張り付くのが見えた。
「待ってください! いま、白い手が見えました! 間違いなく中に生存者がいます!」
「……助ける気か?」
「はい。原口さんは門の少し後ろで、パトカーを待機させておいてください」
なぜか焦燥感にも似た感情が胸を突いた。ここで見殺しにしてはいけない気がしたのだ。
頭の中に、助け出すイメージがはっきりと湧き上がった。あとは、それを実行するだけだ。
僕は塀代わりに設置された金網を素早くよじ登り、運送屋の敷地内へ着地した。
その着地音で近くのゾンビが反応して振り返ったが、無視してトラックへ向かってダッシュする。行く手を阻もうとするゾンビを、身を低く沈めて視界から消え去るようなイメージで素早くかわしていく。
上手くすり抜けたものの、勘づいたゾンビたちが僕を追いかけて迫ってきた。
トラックの助手席側に辿り着き、ドアノブを引くが動かない。施錠されていた。
「警察の救助です! 開けてください!」
無用な音は立てたくなかったが、迷っている暇はない。ドアを激しく叩きながら叫んだ。
「警察です! 開けてください!!」
必死の叫びに反応し、室内からカチリと解錠する音が響いた。
僕はドアを勢いよく引き開け、跳び込むように助手席のシートへ滑り込んだ。
乗り込む瞬間、背後から追いついてきたゾンビの手が服をかすめた気がした。本当にギリギリだった。
「……たすけ、て……」
窓ガラス越しに見えた小さく白い手でピンときていたが、乗っていたのはやはり女性だった。宅配業者の制服を着ている。
「他に生存者はいますか!?」
尋ねると、彼女は弱々しく首を横に振った。
「この車、動きますか!?」
「はい……だけど、入り口の門が閉まってて……」
彼女も車で逃げようと試みたのだろう。だが門が閉ざされており、さらにゾンビ群に行く手を阻まれて車内に籠城せざるを得なかったのだ。
(どうやって、車の中で何日も持ち堪えたんだ……?)
疑問が脳裏をよぎったが、事情を聞いている暇はない。とにかくここから脱出しなければならなかった。
「運転を代わってください!」
僕が言うと、彼女は指示に従って運転席の後ろにある仮眠用スペースへ弱々しく滑り込んだ。
緊張しながらキーを回してエンジンを始動させる。このトラックが4トンなのか10トンなのかすら分からない。そもそも僕はトラックなんて運転したことがないのだ。
シフトレバーをバック(R)に入れ、クラッチとアクセルを踏み込む。久しぶりのマニュアル車、しかも慣れない大型車のクラッチ操作に失敗し、ガクンと車体が激しく揺れた。それでも構わずにアクセルを踏み込み続けると、エンストを起こさずにトラックが後退し始めた。
だが直後──ガシャーン! という猛烈な衝撃と金属音が響き、トラックが止まった。後ろの何かに衝突したのだ。
僕はすぐさまギアをロー(L)へ叩き込み、ハンドルを目一杯切り切ってアクセルを限界まで踏み込んだ。
トラックは何かに引っかかったようにガクン、ガクンと不気味に揺れたが、構わずに踏み込み続ける。やがてガックンと、乗り上げた何かを踏み越える生々しい感触が足元から伝わってきた。
目の前には群がるゾンビたちが迫っていたが、構わず突き進む。だが重い車体は思うように加速せず、まるで砂地獄に足を取られたかのように進まなくなる。
何度も前進と後退を繰り返し、力任せにトラックをもがかせた。
すると一瞬、目の前の視界が開けた。
群がっていたゾンビの塊を、強引に押し潰して突破したのだ。
「やった……抜けたぞ!」
思わず声が漏れる。だが、最大の障害である正面の門は閉ざされたままだ。
僕は覚悟を決め、アクセルペダルを床まで踏み抜いた。目前に巨大な鉄の門が猛スピードで迫ってくる。
「駄目だよ!! 運転席がペシャンコになっちゃう!!」
後部スペースから顔を出した彼女が悲鳴を上げた。
「衝撃が来る! 何かに強く掴まっててくれ!!」
「だめ! あなた死んじゃうよ!!」
「いいから、掴まって!!」
門まであと数メートル──僕は叫ぶと同時に、ハンドルを一気に右に切り、フットブレーキを力任せに踏み抜いた。
巨体が真横へと滑っていく激しい横Gが襲う。次の瞬間、トラックの車体が浮き上がるような感覚に包まれた。
「うあああああっ!!」
運転席側が完全に宙に浮き、ガシャーン!! と鼓膜を破るような大音響とともにトラックが横転した。
横滑りしたトラックの質量と勢いがそのまま閉ざされた門へ激突し、破壊しながら倒れ込んだのだ。激痛と衝撃の中、フロントガラスに網目状の亀裂が走り、一瞬でバラバラに砕け散った。
「くっ……!」
僕は必死で体を起こし、横転したトラックの運転席から脱出した。助手席側のドアが真下の足元にある状態になっている。
ふと見上げると、顔のすぐ近くで、運転席のシートへ必死にしがみついている彼女の姿があった。
「ほら、外へ出よう!」
手を差し出すと、それを取り伸ばそうとした彼女がバランスを崩し、滑り落ちてきた。
僕はそれを正面から必死に受け止めた。抱き留めた彼女の体は、驚くほど軽くて小柄だった。
そのまま彼女を腕に抱きかかえ、枠だけになったフロントガラスの隙間から這い出して外へと脱出した。
鉄の門は、トラックの凄まじい重量と衝撃によって端の支柱ごと根こそぎ外れ、押し倒されていた。僕たちはその隙間から悠々と外の道路へ抜け出すことができた。
パトカーから飛び出してきた原口が、開いた口が塞がらないといった様子で僕を見つめていた。
「井上……お前はなんて無茶なことを……」
「人命が最優先だと思いまして。……救出した女性はかなり衰弱しています。憩いの里で療養させる必要があります」
「……分かった。すぐに運ぼう」
救助した女性は、恐怖と安堵からか僕の首元に必死にしがみついたまま成り行きを見つめていた。
僕は彼女を抱きかかえたままパトカーの後部座席に乗り込み、原口の運転で急ぎ憩いの里へと向かった。




