柔道とゾンビ
翌日も原口とペアを組んでパトロールに出た。
原口は昨日よりも機嫌が良く、どこか晴れやかな覇気が感じられた。
「何か良いことでもあったのですか?」
「昨日、井上と話をしていてな。以前の常識は捨てて、この変わってしまった世界に順応していこうと考え直したんだ。……気持ちを入れ替えることにしたよ」
「僕の話が少しでも原口さんの役に立ったのなら良かったです」
原口が具体的にどう変わろうとしているのかは分からなかったが、過去の価値観に囚われたままでは精神が持たない、というのは僕も同感だった。
午前中は新たな生存者を発見することはできず、あらかじめ予定されていた避難者たちへ物資を分配して回った。
昼食はパトカーの中で、警察署から渡された弁当を食べた。弁当と言ってもおにぎりと簡単な付け合わせのおかず程度で、とても豪勢とは言えない代物だったが、この状況で温かい食事にありつけるだけでもマシなのだろう。
「そう言えば……昨日の女性への物資配給って、どうするんですか?」
「昨日の? ああ、あのマンションの女性か。あの子には他の者が届けることになっている」
「もし良ければ、僕が届けますよ」
ヒカマルとの距離を詰めたい思いで僕が申し出ると、原口はチラリと僕を見やり、低く釘を刺してきた。
「井上。仕事に私情を挟むんじゃない。美しい女性だったからといって、良からぬことでも考えているんだろう?」
「そういう訳では……」
彼女をコミュニティに誘う──それはすなわち、巡り巡って僕と身体の関係を結ぶことを意味する。そう考えれば、「良からぬこと」と言われても否定はできなかった。
「井上が他で女とどう付き合おうと干渉するつもりはないが、職務中に手を出すのは許さんからな」
「……はい」
確かに、巡回中にナンパをする警官など許されるはずもない。やはり少し時間を置くべきか。僕がこの手伝いの仕事を離れれば、接触しても問題はなくなるだろうし──そう自分に言い聞かせた。
午後からのパトロールに入り、パトカーのサイレンを消してゆっくりと街を走らせていると、不意に荒々しい言い争う声が聞こえてきた。
急いで現場へ駆けつけると、二人の男が地面に座り込んでおり、それを四人の男たちが木製バットなどを手に取り囲んでいた。
平時なら全員を警察署へ任意同行して取り調べを行うところだが、原口は被害者と思われる二人だけを車に乗せ、その場から退避させようとした。今の警察には、生存者同士の細かな揉め事まで裁いている余裕はないのだ。
だが、囲んでいた四人の男たちは納得がいかない様子で、手に持ったバットを振りかざして僕たち警察を威嚇してきた。
その瞬間、戦闘モードに入った原口が男たちとの間合いを詰め、次々に巨体を投げ飛ばしていった。
路上という硬いアスファルトの上での戦闘において、柔道がこれほど凶悪な強さを発揮するとは思わなかった。一度叩きつけられた男たちは、そのまま呻き声をあげるだけで立ち上がることすらできない。
それから座り込んでいた二人をパトカーに乗せて走らせたが、原口にまともな取り調べをする気は最初からなかったようで、少し離れた安全な場所で二人を車から下ろした。
上層部の決定により、生存者同士の物資の窃盗罪などは問わない方針になっているため、これも妥当な判断だと言えた。
「原口さんって、本当に強いですね……」
「アスファルトの上なら、柔道はまず負けんよ。あれでも手加減しているんだ。本気で体重を乗せて投げたら、相手の骨が折れてしまうからな」
「それなら、原口さん一人でもパトロールは大丈夫なんじゃないですか? どうして僕が必要だったんですか?」
「警察官は柔道の経験者が多いし、逮捕術も人間との接近戦を想定している。だから……ゾンビとはめっぽう相性が悪くてな。それで君のような、ゾンビの扱いに慣れた人間が必要だったんだ」
原口の説明に納得した。確かに、ゾンビとの接近戦は噛まれるリスクが高い、それに僕ほど死線を潜り抜け、ゾンビを相手に戦ってきた人間はそう多くないはずだ。
「納得です。……僕、ゾンビに噛まれたこともありますからね」
「……なに? 大丈夫だったのか?」
原口が驚いたように目を丸くする。
「服の上から腕を噛みちぎられました。ギリギリのところでゾンビウイルスには侵されずに済みましたけど」
「井上は、相当運もいいんだな……」
運がいいのかどうかは自分でも分からなかったが、どれほど無茶をしても生き残っているのだから、結果として運がいいと言えるのかもしれない。




