原口
「昨日は、誤解を招く行いをしてすみませんでした」
「いや、こちらもピリピリしていて、思い込みが激しかった面はある」
警察の仕事を手伝うため憩いの里に出向くと、佐伯署長からベテラン警官である原口とペアで行動するよう命じられた。
この原口こそ、昨日僕を不同意性交と殺人未遂の容疑で逮捕した男だった。
「……やはり、女性に対する犯罪は多いのですか?」
パトカーを走らせながら尋ねると、原口は前を見つめたまま答えた。
「多いな。色々な要因がありそうだが、一番は『世間体』という同調圧力が消えたのが大きい気がする」
原口の意見は芯を喰っている気がした。災害前の社会では、誰もが人の目を気にして生きている。もちろん法的な罰則が犯罪の抑止力になっているのは確かだが、異性関係に関しては、噂を吹聴されたり社会的に抹殺されたりするのを恐れて直接的な行動を起こさない者も多かったはずだ。
原口は警官らしく正義感が強そうな体格のいい男だった。
柔道でもやっていそうな体つきで、実際に尋ねてみると有段者らしい。
「原口さん、あそこ……煙が上がっていますね」
僕が指差した先、柵で囲まれた一軒家の庭から白煙が立ち上っているのが見えた。
そして、その家の前には同じような高級ミニバンが3台並んで止まっている。
「同じようなミニバンが3台とは、何か不自然ですね」
「ああ。家族で大型ミニバンを複数持つことはまずない。友人か何かが集まって避難していると考えた方が自然だな。とりあえず声をかけてみよう」
パトカーを路上に止め、僕たちは庭の方へ回った。
「こんにちは、警察の者ですが、少しお伺いしても?」
原口が声をかけると、焚き火の脇にいた男が露骨に嫌そうな顔を向けた。
「何か用ですか? 忙しいんですけど」
「私達は街を巡回して、生存者の救助や物資の提供を行っています。何かお困りごとはありませんか?」
「ああ、そういうことっすか。ちょっと待ってくださいね」
そう言って、男は家の中へ入っていった。
焚き火の周りには、鍋やフライパン、そして未開封の加工食品やペットボトルの水などが無造作に置かれている。
「どこかで盗んできたのだろうな」
原口が低く呟く。恐らくその通りだろうが、そもそもあらゆる店舗や流通が停止している以上、生き残るためには奪うか盗むしか方法がないのも事実だ。
「それは……仕方ない面もありますね」
「まあな。だがどうにも平時の感覚が抜けなくてな……それに、あの男はこの家にはどうにも不釣り合いだ」
その違和感は僕も感じていた。この家はそれほど大きくなく、夫婦と子供二人程度を想定して建てられたような佇まいだ。庭には中学校のステッカーが貼られた自転車が置かれている。
だが、先ほどの男は20代半ばに見えた。中学生の父親にしては若すぎる。
しばらく待つと、先ほどと同年代の若い男が出てきた。
「ご苦労さんです。とりあえず物資はあるんすけど、無くなったらどこかで貰えたりするんすか?」
「白心病院か憩いの里という元老人施設へ行けば、配給を行っていますよ」
「そりゃ助かります」
「何人で避難されているんですか?」
「えっと……6人です。この家は知り合いの家なんですけど、亡くなってしまったので、借りて使わせてもらってます」
「なるほど。生きていくのも大変な時期だからな、仕方あるまい」
「そうっすよね。安全な場所も少ないですし」
どこか胡散臭さが拭えなかったが、現状では追及する口実もなく、見過ごすしかないかに思えた。それは原口も同じだったようで、
「それじゃ、私達はこれで失礼します」
と告げ、僕達がその家を後にしようとした──その時だった。
『……たすけて』
「ん? いま、何か聞こえませんでしたか?」
『……たすけ、て……』
僕と原口は顔を見合わせた。間違いなく、救助を求める女性の声だった。
「……家の中を見せていただきたい」
原口が振り返り、静かに告げる。
「は? それはできませんよ」
「何かやましいことでもあるのか?」
「あん? あんたに関係ないだろ。捜査令状でもあるのかよ?」
男の態度が一変し、威嚇するように舌打ちをした。その直後、家の中から再び女性の叫び声が響く。
「……ちっ、分かりましたよ。中に入れますから、ちょっと待ってください」
吐き捨てるように言うと、男は一度家の中へ入っていった。
「どうしましょうか、突入しますか?」
「とりあえずは様子を見よう。今すぐに危害を加える様子はないはずだ」
しばらく待つと、男が戻ってきた。
「どうぞ、入ってください。実は友達と彼女も一緒なんすけど……ちょっと精神的におかしくなってて、たまに暴れるんですよ」
家の中に足を踏み入れると、広いリビングのソファに男が3人と女が2人座っていた。
女性たちの顔には殴られたような痣があり、着ている衣服も不自然に乱れている。年齢も男たちより少し上に見えた。
「6人で暮らしているのだね。彼女たちと少し話しても?」
原口が問うと、出迎えた男が背後の女性たちを睨みつけた。
「構いませんよ。……ちょっと気が動転してるみたいだけど、大丈夫だよな?」
「……はい」
女性の一人が、絞り出すような弱々しい声で答える。
「この人たちとは、元々の知り合いなのですか?」
「……はい、知り合いです。私……私は、彼の彼女です」
女性は一度きつく目を閉じ、心底苦しそうに言葉を紡いだ。
「ほら、僕の言った通りでしょ? 少し参ってるだけなんですよ」
「……本人がそう言うなら、そうなんだろうな」
原口は表情一つ変えずに頷いた。だが、僕はどうしても見過ごすことができず、思わず声を挟んでしまった。
「待ってください! もう一人の方にも話を聞くべきじゃないですか!?」
「なんだあんたは!? この女たちは弱ってんだよ! 話したくないんだよ、分かれよ!」
男の一人が激高して恫喝してきたが、僕はそれを無視し、もう一人の若い女性の目をじっと見つめた。その子は怯えたように男たちを見回した後、最後に僕を見た。
僕は静かに、強く頷いてみせる。
すると、彼女は深く息を吐き出し、その瞳にハッキリとした光を宿した。
「ち、知人なんかじゃない! 拐われたの! 一緒にいた彼氏を殴り倒して、私を無理やりさらったの!!」
「てめえ、いい加減なことぬかしてんじゃねえぞ!!」
「おい、どういうことだ? 彼女の言っていることは本当か!?」
原口が低く鋭い声を響かせた瞬間、男たちの顔から余裕が消えた。
「くそがっ、こうなったらこいつらぶっ殺すぞ!!」
「うおおおお!!」
元より、最悪の場合は襲う気だったのだろう。男の一人が手にしていた角材を大きく振りかぶって襲いかかってきた。
僕も予期していたため、素早く身を引いて背中のリュックから鉄パイプを引き抜く。
「うおりゃああ!」
だが、僕が構えるより早く、一人の男が豪快に床へ叩きつけられた。背中を激打し、息もできずに悶絶している。
それをやったのは原口だった。呆然と立ち尽くす別の男の襟首を瞬時に掴むと、そのまま体を開いて鮮やかに投げ飛ばす。
ほんの数秒のことだった。先ほどまで威勢の良かった4人の男たちが、あっという間に床に転がって呻いている。
「井上くん、すまないが拘束を手伝ってくれ」
「あ、はい!」
僕は手渡されていた手錠を取り出し、男たちを順番に手早く拘束していった。
原口は一度パトカーに戻り、無線のマイクを握って本署へ連絡を入れる。
僕は救出された女性たちの元へ寄り添い、優しく声をかけた。
「もう大丈夫ですからね」
「ありがとうございます……私、脅されて嘘を……っ」
「仕方ないですよ、あんな状況じゃ誰だって怖いです。安全に住める場所がなければ、警察の避難所へ案内しますから、安心してください」
しばらくすると応援のパトカーが到着し、連行されていく男たちを見送った。
「あの奴らは、どこへ連れて行かれるんですか?」
「元々の警察署だよ。建物自体は使っていないが、留置場だけは収容先として稼働させている」
恐らく、警察署はゾンビの排除こそ終わっているものの、停電や設備の問題で拠点としての利用は諦めたのだろう。
そんな過酷な環境の留置場に放り込まれる奴らの末路を思い浮かべ、自業自得とはいえ地獄だな、と僕は冷ややかに思っていた。




