逮捕
「そのまま手を挙げて、彼女から離れろ!!」
背後から突きつけられた怒号には、強い殺気と緊張が籠もっていた。
背後を振り返ることはできないが、この無秩序と化した非常事態だ。間違いなく拳銃の銃口が僕の背中に向けられている。
下手に動けば撃たれる──そう直感した僕は、指示に従ってゆっくりと奈緒から体を離し、両手を高く挙げた。
「そのまま膝をついて、手を後ろに回せ! 早くしろ!」
「……わかりました」
僕は言われるがまま地面に膝をつき、背中で両手首を交差させた。
(カシャン!)
手首に金属の冷たい感触が走り、重い施錠音が響く。手錠をかけられてしまった。
「不同意性交等罪、および殺人未遂の現行犯で被疑者を確保!」
「待ってください! 誤解です! 彼女は僕の恋人で、お互いに同意の上だったんです! 彼女に聞いてもらえればすぐに分かります!」
「嘘をつくな! 犯罪者は誰もがそう吐き捨てるんだよ!」
「本当です! マサキさんは私の恋人なんですっ! 酷いことなんてされていません!」
はだけた胸元や乱れた衣類を慌てて整えながら、奈緒が必死の形相で叫んだ。
「お嬢さん、性被害者が恐怖や支配から加害者を庇おうとするケースは珍しくないんだ。騙されてはいけない」
警官は奈緒の叫びにも首を振るだけで、全く取り合おうとしない。
「信じてください! 私が……私がお願いして、マサキさんにしてもらっていたんです!」
「彼女の言う通りです! 屋外で公然わいせつにあたるような行いをしていたことは申し訳ありませんが、レイプや暴行などでは断じてありません!」
「だが、お前は彼女の首を絞めていただろうが! 言い逃れできると思っているのか!」
「そう……そういう嗜好があることをご存知ないのですか!?」
奈緒が必死に食い下がると、体格の良いベテランらしき警官──原口と呼ばれた男は、わずかに眉をひそめて半信半疑の表情を浮かべた。
だがその時、もう一人の若い警官が僕の乗ってきたフォードの車内を捜索し始めた。
グローブボックスから車検証を取り出した若手警官は、記載された名前を目にするやいなや、顔色を変えて駆け戻ってきた。
「原口さん! この車……指定暴力団『工神会』の工藤総長の所有車両です!」
「何だと……!?」
原口警官の目が、一瞬で鋭い敵意に染まった。
「貴様……暴力団員か! ハハーン、道理で筋が通ったよ。さてはこんな若い娘の弱みでも握り、脅迫して卑猥な行為を強制していたな? この人間のクズめが!」
「違います! この車は……!」
「遠藤、臨時の警察署へ連行するぞ!」
「はい、了解しました! 彼女はどうしますか?」
「参考人として一応来てもらおう。……お嬢さん、もう安心しなさい。こんな反社会的勢力の脅迫に屈する必要はないんだからね」
「だから違うんですってば! マサキさんを犯罪者扱いしないでください!!」
奈緒が涙ぐみながら必死に誤解を解こうと叫び続けるが、完全にヤクザの性犯罪者と決めつけた警官たちには、もはや彼女の叫びすら届かなかった。
僕は憩いの里の、元は備品置き場だったと思われる暗い臨時の取調べ室に連行されていた。
パイプ椅子に腰掛け、僕は重い溜息をつきながら途方に暮れていた。
奈緒と僕の関係を知る、この施設の責任者である良子に連絡を取ってもらえれば、誤解は解けてすぐに釈放されるだろう。だが……できることなら、その手段だけは避けたかった。
つい先ほどまで「危険な浜田を監視・牽制できる頼れる人物」として院長や良子から絶大な信頼を寄せられていたのだ。それが舌の根も乾かぬうちに「野外で少女の首を絞めて陵辱していたヤクザの容疑者」として逮捕・連行されたなどと、一体どの面下げて会えるのだ。
(真摯に状況を説明して、警察の誤解を解くしかないな……)
茨の道であることは百も承知だったが、男としてのプライドを守るためには、それに賭けるしかなかった。
(カチャリ)
静寂に包まれた部屋に、重い鍵の開く音が響き、ドアが外側から開かれた。
覚悟を決めて顔を上げた僕の視界に飛び込んできたのは──満面の笑みを浮かべた白崎院長だった。
「井上くん、災難だったねぇ。……しかし、君の性癖もなかなか困ったものだね」
院長は嫌味や蔑みではなく、心の底からこの状況を面白がり、楽しんでいる様子だった。
「はぁ……本当にマサキさんには、少し行動を慎んでいただかないと困りますわね」
続いて入ってきた良子が、呆れ果てたように深い溜息をつきながら呟いた。
(……最悪だ)
僕の精神は、この時点で粉々に打ち砕かれた。
「……ええと、白崎先生。この男性が、我が警察署の現地活動をお手伝いしてくださるという井上さん……ですか? 本当に大丈夫なのでしょうか……。申し遅れました、私はこの臨時警察署の責任者を任されております、佐伯と申します」
三人目に入ってきた凛とした佇まいの女性が、困惑と疑念の混ざった視線を僕に向けながら署長だと名乗った。
室内で誰かが言葉を発するたびに、僕の神経と尊厳がゴリゴリと削られていく思いだった。




