浜田の処遇
入院している奈緒の様子を見るため、白心病院を訪れた。
正面入口で警備に当たっている警察官は数日前と同じ人物で、僕の顔を覚えていたためスムーズに敷地内へ通してくれた。
少し言葉を交わしてみると、夜間は正門を完全に閉鎖するものの、開門している日中は彼がたった一人で正門付近の警戒に当たっているらしい。
やはり、冬子の言う通り警察側の体制も相当な人員不足に陥っているのだろう。
「井上さん!」
奈緒の病室へ向かおうと病院のロビーに入った瞬間、聞き覚えのある声に呼び止められた。
奈緒だった。待合室の長椅子に腰掛け、僕が来るのを待っていたようだ。
そしてその隣には──見覚えのある男の姿があった。
かつて憩いの里で看護師として働いていた、大場だった。
(生きていたのか……)
憩いの里が暴徒化した集団に襲撃された際、施設に残っていた職員たちのほとんどは殺害されたと思い込んでいただけに、彼の生存は実に意外だった。
「大場くん、無事だったんだね」
「……ちっす」
大場はどこか気まずそうに顔を背けながら、短く挨拶を口にした。
「ほら大場さん、井上さんが来てくれたよ? お話があるんでしょ?」
奈緒は隣の大場をじっと見つめ、促すように言った。
大場が奈緒に強い好意を抱いていることは知っている。本人が周りにも公言していたからだ。
大場が勤めていた憩いの里は、この白心病院の系列施設だ。襲撃を生き延びた彼が本院であるここへ身を寄せるのはごく自然な流れだし、奈緒が入院していることを知って接触してきたのだろう。
「……井上さん、本当にすいませんでした」
頭を下げてきた大場に、僕は首を傾げた。
「何を謝っているんだい?」
「大場さん、あの時井上さんを殴っちゃったこと、ずっと気にしてたの」
奈緒が代わりに説明してくれた。
「ああ、あの件か。君が頭に血が上ってしまうのも無理はないよ。僕も余裕がなくて、君が尊敬していた白崎先生に対して酷い事をしてしまったからね」
「井上さんが先生を守るために……奴らの襲撃から逃がす為だって、奈緒ちゃんから聞きやした。俺……事情も知らねえで怒鳴って殴りかかっちまって。本当にすみませんでした」
大場は現代では珍しいヤンキーのようなイカつい風貌をしているが、自分が間違っていたと分かれば素直に謝罪できる男らしさを持っていた。
「僕はもう何も気にしていないよ。それよりも、あの地獄を生き延びた者同士、これからも互いに協力していこう」
「ほらね? だから井上さんは絶対に許してくれるって言ったでしょ?」
奈緒はまるで自分のことのように、どこか誇らしげな笑顔を浮かべていた。
「あっ、そうだ井上さん。白崎先生が井上さんが来たら、院長室まで来てほしいっておっしゃってましたよ」
僕も院長と話すつもりだったので、奈緒をロビーで待たせ、そのまま院長室へと向かった。
重厚なドアを叩いて室内へ入ると、そこには院長と良子の二人が並んで座っていた。
「来てくれたか、井上くん。ちょうどいい、君の意見も聞かせてほしい」
「どういうことですか?」
「浜田くんの処遇についてだよ」
浜田は施設の職員たちを懐柔して従わせ、良子を自分の妻にして施設を事実上乗っ取るという、いわゆるクーデターを目論んでいた。
その野心はすでに良子にも露見していた──というか、確実に外堀を埋めたと確信した浜田が自ら良子に話したのだ。
「僕は部外者ですから、内部の処分に口を挟むべきではないかと思いますが」
「実は、我々が警官隊と共に施設を奪還し、浜田くんを保護した際……彼は『井上という部外者の男が暴徒(XXX)を施設内に引き入れた』と主張していたのだよ」
「……なんてことを。そんな事実は一切ありません」
「そんなことは分かっている。それに良子から、浜田くんが施設の私物化を目論んでいたことも聞いている。本来なら即刻、懲戒解雇処分にすべき案件だ」
「……では、何を迷われているのですか?」
「浜田くん本人が、施設への復帰を強く希望しているんだ。確かに彼の企みは悪質だ。しかし……彼はこれまで良子を陰で支え、あの施設を円滑に運営してきた功労者でもある」
「まさか……浜田を施設長にするおつもりですか?」
「憩いの里の施設長は私です。たとえ今後の施設の方向性が変わろうとも、それは譲りません」
黙って話を聞いていた良子が、毅然とした声で口を挟んだ。あの施設に対する彼女の情熱と責任感の強さは僕も重々知っている。
院長は頷き、本題を続けた。
「警察署には自家発電などの設備が無くてね。現在は当病院と憩いの里の二箇所を警察の現地活動拠点に指定している。そして今後の計画として、あの施設は生存者の保護と収容を主な目的に運用しようと考えているんだ。元々入居していたご老人方は、残念ながら全員亡くなってしまったからね」
「ということは、施設の一部を警察署の出張所として機能させるわけですね?」
「ああ、警察署長とはすでに話がついている。その部署は主に街のパトロール、生存者の救助活動、そして物資の救援・回収を担うことになる」
なるほど、自家発電設備があり、広い宿泊スペースと医療設備が整い、さらに医師である良子が常勤している施設となれば、警察にとっても救助拠点としてこれ以上ない条件だ。
「あの施設はあくまで我が白心病院の所有物だ。主導権は警察ではなく私にある。だから現場のトップは良子になるのだが……」
「……その現場を実務面で回すスタッフとして、浜田が必要だということですね」
「そういうことだ。浜田くんが良子を妻にして乗っ取りを考えていた話は聞いている。だが、それ自体は未遂であり、即座に追放するほどの理由にはならないと思ってね」
「……良子は平気なのかい?」
僕が尋ねると、良子は悔しそうに唇を噛み締めた。
「感情的には、今すぐあの男を排除したいと思っています。ですが……お父様の経営上のご判断も理解できますから」
「そこでだ、井上くん。浜田くんから直接ひどい言い分を聞かされた君の客観的な意見を聞きたいのだよ」
「嘘偽りなく僕の知る事実をお話しするのは構いませんが……出来れば良子には席を外していただき、院長と二人きりでお話ししたいのですが」
僕は浜田という男を極めて危険視している。だが、それは僕の主観であり、院長がそれをどう捉えるかは分からない。とにかく知っている事実を全て提示し、判断は院長に委ねるつもりだった。
「待ってください! 私を抜きに決められては困ります! 施設長は私なのですから、知る権利があります!」
良子が強く反発してくる。
「井上くん、良子が聞いては不味い話なのかね?」
「……良子は真面目ですからね。浜田の性癖に関わる話ですので」
「……なるほど。確かに良子には少々刺激が強すぎる話かもしれんな」
院長は何とも言えない不憫そうな顔で娘を見た。
「お父様、いつまで私を子ども扱いなさるおつもりですか! それにマサキさんも……私がもう子どもではないことは、一番ご存知のはずでしょう?」
「……それは、そうなんだけどね」
良子はあの温泉街で男たちに縛られ、陵辱された経験がある。浜田の異常な性癖を具体的に話せば、そのトラウマがフラッシュバックするのではないかと危惧したのだ。
だが、良子も絶対に譲らない構えだったため、僕は意を決して口を開くことにした。
「……浜田には、SMの趣味があるらしいんです」
「SM……ふむ。しかし、それ自体の趣味を持つ男は世の中にごく普通にいる。社会的地位のある人間にもね」
「あの……SMとは何ですか? 何かの略称でしょうか?」
良子は本当に知識がないらしく、至って真面目な顔で質問してきた。
「ええと……色々なタイプがありますが、大まかに言えば女性を縛って自由を奪い、様々な道具を使って限界まで責め立てる行為のことです」
「えっ、縛るのですか……そんな事を女性に……」
良子は言葉を失っていた、やはり凌辱された事を思い出したのか、息が乱れている。
「医療器具も使うそうだな。注射器を使った浣腸や、産婦人科で使うクスコなども用いられると聞く。上級者になると痛みを快楽に変換させるそうだ。なかなかに奥が深いというか、そもそも人間の排泄行動には大きな快楽が──」
「院長……っ!」
良子の前で妙に饒舌に解説を始めた院長を、僕は思わず制止した。
「……浜田くんはそんな変態的な行為を望んでいるのね……」
良子は考え込んでいた、潔癖な彼女にはショックが大きいのだろう
「それが性癖というものだよ、良子」
「そういった性癖を男が多少抱いていること自体は、理解できます。僕だって全くないとは言い切れませんから。……問題なのは、彼が施設の若い女性職員をそうやって調教し、精神的に支配していたという点です」
「……なるほど。それは一線を越えているな」
「そして浜田は、良子さんをも調教し、自分の傀儡にしようと企んでいました」
「……それは見過ごせんくなってきたな。分かった、浜田の代わりに病院から別の事務員を派遣することにしよう」
「待ってください、お父様! 私なら大丈夫です! 確かに浜田くんは私を軽んじていますが……現在の混乱した状況で、施設の運営を即座に回せる人材は彼しかいません」
少し意外だった、自分がターゲットにされていたと知れば、良子は恐怖して浜田を遠ざけるかと思ったが、彼女の芯は想像以上に強固だったようだ。
「だが良子、私は何よりもお前が大切なんだぞ」
「お父様は私を特別扱いしすぎです! 施設には警察の方々も常駐するのですよ? 浜田くんに勝手な真似などさせません!」
「うむ……」
院長は言葉を切り、腕を組んで深く考え込んでしまった。そして、不意に僕の方へと視線を向けた。
「そう言えば井上くん。君の身を寄せているコミュニティには、子どももいるそうじゃないか」
「はい。僕たちが管理しているマンションに、保護した子どもたちがいます」
「実はこの病院には避難してきた教員もいてね、避難者向けに臨時の学校を開校しているんだ。そこに通わせてみてはどうだね?」
「小学生と高校生がいますので、通わせてもらえるなら是非ともお願いしたいです」
崩壊した今後の世界で学問がどれほど役に立つかは分からない。だがそれ以上に、同年代の輪に入り、友人を作って日常を取り戻すことは子どもたちにとって何より大切なことだと思った。
「よろしい。それならどうだろう、君たち全員でこの病院か施設に移住してきてはかね?」
(……やはり、そう来たか)
僕は冬子の考えた通りだと思い、単刀直入に聞いた。
「……僕を雇用したいのですか?」
「ハッハッハ! 流石にこちらの思惑はお見通しか。そうだ、君には良子の施設で警察と共に活動してほしいのだよ。君が現場にいてくれれば、浜田が復帰しても安心して任せられる。それに、当院で眠っている彩香くんの件もあるだろう? 君にとっても当院と深く関係を維持しておくメリットは大きいはずだ」
条件としては悪くない。だが、僕は首を振った。
「分かりました。施設の救援・パトロールの仕事はお引き受けします。ですが……移住はお断りさせていただきます。子どもたちの学校へは、僕か奈緒が車で送り迎えをしますので、そちらもよろしくお願いいたします」
「……いいだろう。移住を強制したところでこちらに特段のメリットがあるわけでもない。そういうことなら、浜田は憩いの里に復帰させる。良子、もし何か懸念が生じたら、すぐに井上くんを頼るように」
「はい、お父様。私も異存はありません」
こうして僕は、冬子の考えに背く事にはなったが、警察と病院が合同で行う救援活動を手伝うことになったのだった。




