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コールドスリープ(第一章終わり)


「マサキ君、君にはまだ話があってね。……君は良子や彩香君、奈緒君と親しく見えるが、全員と関係を持っているのかね?」


あまりにもストレートな質問に驚いた。娘が連れてきた男が、他の女性たちともただならぬ雰囲気を漂わせていれば、父親として気になるのは当然だろう。院長は激怒するかもしれない。しかし、僕は嘘をつくことなく正直に話す覚悟を決めた。


「はい。ここにはいませんが、他にも関係を持った女の子たちと一緒に暮らしています」


「やはりそうか。……では、君は人を殺したことはあるのかい?」


予想外の問いかけに、私は一瞬息を呑んだ。

「……あります。何人か殺しました。ですが、すべて彼女たちを守るためです。それでも、やはり軽蔑されますよね?」


「いや」と、院長は静かに首を振った。

「私はね、若い頃に『国境なき医師団』に参加して、世界中の凄惨な戦場を見てきたんだ。だから、状況によっては生きるために殺すことが必要なのだと理解している。それに、これほど世が乱れれば、強い男のもとに何人もの女性が集まるのは自然なことだ。まして今回の騒動は、男の犠牲者が圧倒的に多いからね」


深くは考えていなかったが、言われてみれば確かに街で見かけるゾンビは男が多かった。平時でも女性は主婦など在宅の割合が高かったこともあるだろうが、これほど治安が悪化すれば、女性は用心して家に籠もるケースが多いからだろう。


「それにね、良子は少し潔癖すぎるところがあって心配していたんだ。……彼女の母親がいないことは知っているかい?」


「いえ、それは聞いていません」


「母親、つまり私の妻は、良子を産んですぐに癌で亡くなったんだ。当時の私は医師としてできる限りの手を尽くしたが、結局、彼女を助けられなかった」


「そんなことが……」


「愛する者を失うのは本当に辛い。私は自分の医師としての無力さを激しく呪ったよ。それからは、ただ愛する者を二度と失わないために、医師として病魔と戦い続けてきたんだ」


「素晴らしい信念ですね。だからこそ、これほど大きな病院を築き上げられたのですね」


「病院というのは儲かる。その儲けをすべて最新の医療設備に投資し、銀行から莫大な借金もした。使えるものは何でも使ったよ。私の周囲の人間がもし病に倒れても、今度こそ確実に助けられるようにな」


院長の壮絶な過去と医師としての確固たる信念を聞かされ、僕の中の彼への尊敬の念はより一層大きくなっていった。


「私は今でも亡き妻を愛している。だが、同時に他の女性も好きでね、これまで多くの女性と関係を持ってきた。それを知った良子はひどく怒ってしまってな。男の性というものを教えれば教えるほど、彼女は男という生き物に失望していったようだ。だから、そんな彼女が心を開いた君には感謝しているのだよ。……まあ、父親としては、少々面白くない気持ちもあるがね」


「はい……」


「君も頑張りなさい。彩香さんを救うのは簡単ではない。運命は時に残酷だ。だが、それでも運命にあらがうんだ。諦めなければ、必ず道は開けていくものだから」


運命にあらがう…… 


院長の言葉は、僕の心の奥深くに強く刻み込まれた。

それと同時に、穏やかでありながらも底知れない鋭さを秘めたその眼光から、この人もまた、目的のためなら手段を選ばない傑物なのだと改めて確信した。


コールドスリープの施設は、地下にあった。

エレベーターは手術室が並ぶ廊下の最奥にあり、さらに専用の鍵がなければ作動しない仕組みになっていた。


「この施設は、現在も使われているのですか?」


深い意味もなく僕が尋ねると、院長の身体に一瞬、緊張が走るのが見てとれた。

彼は少しの間を置いてから、静かに答えた。


「世界がこうなってしまっては、もう隠し立てする必要もないか。……特に井上君、君にはね」


院長はそう前置きして、言葉を続けた。


「すでに数十人の利用者がいる。――世界がこうなる、ずっと前からね」


「そんなにも……。ですが、それは……」


そこで私はある疑問を抱いた。コールドスリープはまだ研究段階のはずだ、法律的には問題ないのだろうか、と。


「完全な違法行為だよ。生きている人間を凍らせる行為は殺人罪にあたるし、たとえ亡くなっていたとしても、血液の調整などを行う行為は死体損壊等罪に抵触する可能性が非常に高い」


「それなら、なぜそんなリスクを?」


「本人の希望だからさ。現代の医学では治せない病を抱えた人間が、未来の医療に期待してコールドスリープを選択するケースがほとんどだね」


「なるほど……。その気持ちは理解できます。特に、愛する者を失いかけている今の僕なら、痛いほど分かります」


患者本人の意志は理解できた。しかし、なぜ院長ほどの立場にある男が、そんな危ない橋を渡るのかという疑問は残る。


「まだ納得がいっていないようだね。いいだろう、包み隠さず話そう。一番大きな理由は、やはり金だよ。平時であれば、一人につき数十億の寄付をしてもらっていた」


想像も及ばない巨額だったが、施設の建設費や運用コスト、さらには法を犯すリスクを考えれば、その金額にも納得がいった。


「フッフ……ここに誰が眠っているかを知ったら、君も驚くぞ。誰もが知っているような偉人もいる。世界がこうなってしまった以上、もう公になることもないだろうがね」


「それは、医師としての守秘義務、あるいはプライドですか。さすがは良子さんのお父様ですね」


「違うよ」と、院長は冷ややかに笑った。


「私は眠っている彼らと約束したからだ。医師としてのプライドなど、とうの昔に捨てている。私は自分と敵対する者を助けたりはしないし、害になると判断すれば見殺しにすることを選ぶ。……君なら、私の言っている意味が分かるだろう?」


「……はい。私も同じ考えです。私自身が善か悪かは分かりません。ですが、自分の大切な人たちを最優先にして生きていく覚悟だけはしています」


「とてもいい答えだ。しかし、それをあまり大っぴらに口にするのは控えなさい。頭のいい人間というのは、敵に回った時のリスクを常に考えるものだからね」


院長の言葉に、僕はハッとさせられた。確かに、この男が敵になれば一筋縄ではいかない。病院だけでなく、警察までも味方に引き入れた彼には、今の私では到底勝てる気がしなかった。


しばらくすると、ストレッチャーに載せられた彩香が運ばれてきた。


彼女にはこれから全身麻酔がかけられ、血液の置換や主要器官を保護するための薬剤が投与される。

つまり、彼女とまともに言葉を交わせるのは、これが最後になるのだ。


地下施設の冷徹な電子音だけが響く中、ストレッチャーの上で横たわる彩香の顔は、発熱のせいで痛々しいほど赤く染まっていた。

意識がかろうじて保たれているのは、彼女の強靭な精神力のおかげだろう。


僕は彼女の傍らに歩み寄り、その熱く、かすかに震える手を両手で包み込んだ。


「彩香……」


僕の声に、彼女は重重しい瞼をゆっくりと開けた。その瞳は赤く充血していたが、僕を見る眼差しだけは、いつもの優しく聡明な彩香のままだった。


「マサキ、さん……。ごめんなさい、こんなことになっちゃって……」


「謝ることなんて何もない。ここまで頑張ってくれたのは君だ。……冬子の予想通りなら、君は必ず助かる。ほんの少し、眠るだけだ」


彩香はかすかに口元を緩め、寂しげに微笑んだ。


「私、怖くないわ。マサキさんが見守ってくれているもの。……でもね、一つだけ、約束してほしいの」


「何だい? 何でも言ってくれ」


「私が眠っている間……どうか、あの子たちのことを守ってあげて。冬子さんも、雪乃ちゃんも、咲愛ちゃんも、奈緒ちゃんも……みんな、あなたを必要としているの。だから、私のことは一度忘れて、あなたの人生を生きて。寂しい思いはさせちゃダメよ?」


自分自身が一番恐ろしく、限界のはずなのに、最後まで他の女の子たちと私の心配をしている。その深い愛情が、私の胸を締め付けた。


「忘れるなんて無理だ。だけど、君の言う通りあの子たちは僕が命に代えても守る。そして、必ず君を治す方法を見つけて、僕がこの手で君を目覚めさせる。……だから、安心して眠るといい」


「ええ……ありがとう、マサキさん。あなたに、出会えてよかった……」


彩香の目から、一筋の涙がこぼれ落ちた。

その時、静かに控えていた良子が、悲痛な面持ちで点滴のラインに手をかけた。


「彩香さん……麻酔を入れますね」


薬液がチューブを流れていく。

彩香の瞼が急激に重くなっていった。彼女は最後に、僕の手をきゅっと握り返そうとしたが、その指先から徐々に力が抜けていく。


「……待って……いるわね……マサキ……」


消え入りそうな呟きを最後に、彩香は深く、長い眠りへと落ちていった。規則正しかった呼吸が、機械に管理された静かなものへと変わっていく。


「これより血液の調整と、細胞保護薬の投与を開始する。マサキ君、君はここまでだ。あとは我々に任せなさい」


院長の冷徹ながらも確かな声が響く。

僕はゆっくりと彩香の手を離した。ガラスの向こうへ運ばれていく彼女の姿を見つめながら、僕は心の中で、自分に呪いのような誓いを立てていた。


(待っていてくれ、彩香。世界を敵に回したとしても必ず君を助け出す)


こうして僕は、最愛の者を凍れる棺へと見送り出した。

このエピソードで章の区切り、第一章の終わりとさせていただきます。

 

駄文を最後まで読んでくれた方、ありがとうございます。


ドラマや映画でも、ゾンビ物は結末があやふやなまま終わる作品が多いですよね。ですが、そうはならないように私なりにゾンビウイルスに関するロジックを考えてあります。

第2章ではリアリティを損なわないよう、ウイルスの解明や対処法について掘り下げて創作していこうかと思います。

そして引き続き、無秩序の世界での人の悪意を、暴力や性的なシーンも交えてリアリティのある話にしていきたいと考えています。

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