白心病院
僕たちは良子の施設には寄らず、良子の父親が経営する白心病院へと向かった。
僕が運転する車には良子、彩香、そして奈緒が乗っている。奈緒は打撲がひどいため、良子が治療が必要だと判断して同行させることにしたのだ。
彩香がコールドスリープをしても、しなくても、冬子や雪乃とはしばらく会えなくなる。別れ際、彼女たちはお互いに泣きながら言葉を交わしていた。
白心病院に到着すると、一目でわかるほど厳重な警戒体制が敷かれていた。
「良子さんのお父様は優秀な方ね。私の予想では、これだけの体制を整えるのは一ヶ月ほど先になると思っていたわ」
「父は医師ですが、目的のためには手段を選ばない人なんです。……少しマサキさんに似ているかもしれません」
「僕に? 僕は紳士的な行動しかしないんだけど……」
そう言うと、良子や彩香、それに奈緒までもが呆れたように吹き出した。
「マサキさん、本気で言っているの?」
「ご自分では、そう思っているのですか?」
「あたしは側で見ていて、いつもヒヤヒヤしています」
どうやら、僕の周囲からのイメージは紳士とは程遠いらしい。
「私はこの白心病院の院長の娘、白崎良子です。父に話がありますので、通していただけますか?」
「少しお待ちを……」
正門の警備に立っていた警官にそう告げると、彼はすぐさま走り去った。しばらくして、白衣を着た初老の男性が慌ただしく駆けつけてくる。
「良子お嬢様、よくぞご無事で……! 無事だと信じておりましたが、心から心配しておりました」
「森田さん、お嬢様はやめてといつも言っているでしょう。恥ずかしい……マサキさんに聞かれてしまったわ」
「失礼いたしました。院長はA棟におりますので、ご案内させていただきます」
「そうね。場所は知っているけれど、案内してもらうわ」
白心病院は、この街で最大規模の病院であり、8階建てのA棟・B棟・C棟が並んでいる。
「警察、それに消防士の制服を着た人たちがいるわね」
「はい。多くの患者が犠牲になりましたが、現在はB棟とC棟の3階から上を宿泊施設として使用しています」
病院には、もともと多くの入院患者を受け入れるための生活設備が整っている。さらに、平時からセキュリティにも気を遣っていたため、高い塀に囲まれており、出入口さえ封鎖してしまえばゾンビの侵入を防ぐのも難しくない。まさに避難所としては打ってつけだった。
問題は警備の人員だが、良子の父親は警察、消防の支援をうまく取り付けているようだった。
「良子! いやあ、よく無事でいてくれた!」
「お父様もご無事で何よりです」
「良子! 良子!」
「ちょっとお父様、抱きつくのはやめてください」
「良子! 良子!」
「やめて! 離れて!」
院長室へ入るやいなや、良子の姿を認めた父親は感極まった様子で大声を出して抱きついてきた。良子は本気で嫌がっている。
「良子、いいじゃないか。お前は大きくなってからというもの、スキンシップをさせてくれん。困ったものだ」
「困るのは私の方です! マサキさんに見られると恥ずかしいからやめてください」
「……マサキさん、だと?」
「初めまして、井上マサキです。良子さんとは一緒に逃亡していました」
良子の父親はジロリと僕を見た。その眼光は鋭い。大切な娘が男を連れてきたのが気に入らないのかと思ったが、どうやら違ったようだ。
「良子にも男ができたか! ついに処女を捨てたのだな?」
――バチンッ!
良子の平手打ちが父親の頬に綺麗に入った。
「本当に、お父様は……。相変わらずで安心しましたけれど、もう少しデリカシーを持ってください」
「ハッハハ、すまんすまん。嬉しくてな。初めましてマサキ君、良子の父親でこの病院の院長、白崎京太郎だ」
握手を求められたので手を取った。医者とは思えないほどゴツい手だった。
「おお、それに綺麗な女性を連れているな」
「黒木彩香です。よろしくお願いいたします」
「河井奈緒です」
「ふむふむ。彩香君……君は熱があるのではないか? それに奈緒君は顔がひどく腫れているな」
さすがは医師だ。2人の体調不良を一目で見抜いた。
「お父様、そうなんです。それで、とても大事な話があるんです」
「なんだね、聞こうじゃないか」
良子は施設を脱出した経緯や、彩香の状態について説明した。
「それで、冷凍設備を使わせていただきたいんです」
「うむ、それは構わないのだが……成功する可能性は極めて低いぞ。彩香君、本当に良いのかい?」
「はい、覚悟は決めております。それに、私のことは人体実験と考えていただいて結構ですわ」
「確かにゾンビの問題を乗り越えるには、被験者が必要になる。まして君のような状態はレアなケースだろうから、研究の進歩に大いに役立つだろう」
コールドスリープの件は快く了承してもらえた。僅かとはいえ、彩香を救う道筋が見えたことに安堵した。
「君たちは独自に避難して生活しているのかね?」
「はい。場所は言えませんが、先を見通して行動したのが功を奏し、安全な寝所や食料、それに電力も確保しています」
「ほう、マサキ君が考えたのか?」
「いち早く先を見据えて計画を立てたのは彩香です。僕は実行したに過ぎません」
「それを実行に移すのも大したものだよ。――なるほど、彼女が計画を。彩香君、君の意見を聞きたい。この病院の現状をどう思う?」
「この病院が警察や消防の協力をこれほど早く取り付けたのは、素晴らしい手腕だと思います。私の予想では、この体制を築くには早くても一ヶ月は必要だと考えていましたから、大変驚いております。……今後の最優先事項としては、食料の確保と、ゾンビおよび死体の処理でしょうか」
「食料は半年分ほど確保している。その後は米や麦の栽培を始めようかと思っているが、ゾンビの処理に関してはまだ未定なんだよ。とりあえずは敷地の外へ追い出しているだけでね」
「そうですか……。恐れながら、個人的な意見を申し上げてもよろしいでしょうか?」
「もちろんだ。遠慮なく言ってくれ」
「まずは、これまでの常識を捨てなければなりません。現在、国としての機能は完全に麻痺しています。ですから、この市を一つの独立国として捉えるべきです。その上で、農耕は手間と安全面のリスクを考えると優先度は低い。それよりも、外部からの物資の『調達』を優先させるべきかと……」
「……核心を突いてくるな。いかにも、私はここを独立国と考えている。他と争うつもりはないが、他の街に先んじて安全地帯を築き、流民を受け入れるつもりだ。しかし、略奪となると一筋縄ではいかんぞ」
「略奪ではありません。所有者のいなくなった物を集めるだけです。正確な数値は分かりませんが、すでに人口の半数近くが亡くなっているはずです。そのため、各地で行き場を失った食料が腐り始めています。それを有効利用するのです」
「なるほど、やり方次第では略奪にはならんな。参考にさせてもらうよ。しかし……惜しいな。これほどの才覚を持つ君を眠らせてしまうのは」
それからも彩香と院長は言葉を交わしていたが、やがて彩香の体調が本格的に崩れ始めたため、コールドスリープの準備に入る事になった。
彩香に全身麻酔を施して眠らせてから、絶対零度のカプセルへと入れるようだ。
「彩香君と良子は、コールドスリープの準備にかかってくれ。奈緒君は内科で診察と処置を受けてきなさい。マサキ君には少し話したいことがあるから、残ってほしい」
院長の指示を受け、彼女たちは部屋を出ていった。




