奈緒の救出
村に近づいたため車を止め、村全体を見渡せる丘に登った。
双眼鏡を覗くと、一番大きな日本家屋に男が入っていくのが見えた。おそらく、あの中に「両」と呼ばれていた男と彩香がいるのだろう。
だが、奈緒の居場所がどこなのか、全く見当がつかない。
「マサキさん、あの家の庭にシートが掛けられているけれど、よく見ると周りに血痕があるわ。もしかして、死体にシートをかけて隠しているんじゃないかしら……」
良子が指差した家を見ると、確かに不自然なブルーシートが掛けられていた。何か大きなものを積んで隠しているように見える。
「あの家なら、上の道から崖を降りれば行けそうだね。よく見ると、左側に階段もあるようだ」
「あそこに車を止めれば、すぐに近づけると思うわ」
急いで車に戻り、シートの掛かった家の上辺りに車を止めた。
「一度、僕が一人で行ってくるから、ここで待っていてほしい」
「もし最悪の事態になったら、良子が運転して逃げてくれ」
「そんな……。でも、そうね、分かったわ。咲愛ちゃんも守らなければならないものね」
車から降りて村を見回すが、人の気配は全く無かった。すでに生き残っている人間は少ないのかもしれない。
崖を滑り降り、庭に拡げられたブルーシートは山なりになっていて、シートの端を捲ると、その酷い惨状に言葉を失った。ゾンビの危険を考えてか四肢は損壊されていて、バラバラにした遺体を無造作に積み上げてブルーシートをかけて隠して、というより目障りだから目につかないようにしてある感じがした。
恐らく遺体は殺した村人達だろう、彼らは縁もゆかりもないこの地に未練もなく、もしかしたら他の地で同じような事をするつもりなのかもしれない。
目的の家に近づく。カーテンが閉め切られているが、昼間だというのに中から明かりが漏れているのが確認できた。
間違いなく中に人がいる。男なら殺す――。そう決意し、ナイフを手に持ち、拳銃はベルトに差し込んだ。
窓から中を覗くことはできなかった。玄関や裏口から堂々と入るしか無さそうだが、それは躊躇われる。できれば相手に警戒されず、不意を突いて仕留めたい。
他の侵入経路を探して視線を上げると、2階の窓が少しだけ開いているのが見えた。この家は崖のすぐ横に建てられている。崖から木を渡せば、1階の屋根に登るのは難しくなさそうに思えたが、都合のいい丸太などは見当たらない。
侵入する方法を考えながら一度崖の中腹まで戻ると、屋根までの距離は2、3メートルほどだった。思い切って飛び移ると、何とか屋根に上半身を乗せることができた。瓦の雪止めを必死に掴み、身体をよじ登らせる。
それから屋根の上を静かに歩き、開いていた窓から中へと潜り込んだ。2階には2つの部屋があった。確認すると、そのうちの1部屋には激しい争いがあった跡があり、壁や床に血が飛び散っていた。
(男たちがこの村に押し入った時に、元の住人を殺した跡かもしれないな……)
足音を消してゆっくりと階段を降りると、1階から男の荒々しい声が聞こえてきた。
「クソッ! こんないい女の裸を見ても、ピクリともしねえ! クソ、クソッ! もっと泣き叫べよ!」
「もうぶつのは、やめてください……ひぃやあああっ、冷たいっ!」
「いい声だ、もっと叫べよ! オラオラオラァ!」
陰から覗き込むと、裸にされて柱に縛り付けられた奈緒に、男が桶に汲んだ水を浴びせかけている最中だった。
奈緒の顔は酷く腫れ上がり、身体のあちこちにいくつもの赤紫のアザが浮かび上がっていた。
奈緒は何時間もの間、この男から一方的な暴力を振るわれ続けていたのだろう。
胸の奥から激しい怒りがこみ上げてくる。
しかし、僕は冷静になれと自分に言い聞かせた。確実に仕留めるタイミングを待つ。奈緒が叫ぶ瞬間の音に、自分の行動を合わせるんだ。
「あああ、クソクソ、もう殺しちまうか? ん? いや、焼き印を押してやるか。確か、馬に押すやつが物置にあったな」
「嫌です! そんなことはやめて!」
「うるせえ、えっ……い、いてぇ……背中、が……」
男が背を向けた瞬間、背後に歩み寄り、その背中へ深くナイフを突き立てた。刃が急所を捉えたのか、男は短い声を漏らしてその場に崩れ落ち、動かなくなった。
無駄に拳銃を使わずに済んで良かった。ここで銃声を響かせて周囲に警戒されてしまえば、彩香の救出に支障が出る。
奈緒は突然の出来事に目を見開いたが、僕の顔を認識すると、ホッとしたような笑顔を浮かべた。すぐに縄を解いてあげようと手を伸ばした、その時――。
「危ないっ!」
奈緒の鋭い悲鳴を聞き、僕は咄嗟にその場にしゃがみ込んだ。つい先ほどまで自分の頭があった空間を、何かが凄まじい風切り音を立てて通り過ぎていく。
それは、鈍く光る大きな刃物――ナタだった。
もし奈緒の警告が遅れ、咄嗟に頭を下げていなければ、僕の首は床に転がっていたかもしれない。
横に転がって即座に距離を取る。驚いたことに、背中を深く刺されたはずの元三は、傷口からの出血が止まり、不気味に立ち上がっていた。
「タフだな……信じられない」
「お前……兄貴を殺した奴だな。バラバラにしてやる!」
どうする。このままナイフやパイプで肉薄して戦うか。
勝てる可能性はあるが、もし奈緒を人質として盾に使われたら終わりだ。ここで時間をかけるわけにはいかない。素早く確実に殺す必要がある。
そう決断した瞬間、身体が自然に動いていた。腰のベルトから拳銃を素早く引き抜く。確実に当てるため、男の大きな胸に向けて、至近距離から立て続けに三発の弾丸を撃ち込んだ。
――パン、パン、パン!
至近距離で的も大きいため、銃に慣れていない僕でも外すはずがなかった。全弾が命中し、男の胸に一気に血飛沫が広がっていく。
「拳銃、か……。卑怯者が……」
「試合をやっているわけじゃないからな」
男は血を吐くと力なく崩れ落ち、今度こそ完全に動かなくなった。
すぐに奈緒の縄を解くと、彼女は感極まったのか涙を浮かべ、僕の胸に強く抱きついてきた。しかし、いつもに比べてその身体には全く力が残っていないように思えた。
「身体は大丈夫かい?」
「正直……かなりキツいです。だけど……エッチなことはされなかったので、それだけは本当に良かったです……」
「無事で良かった」
奈緒の身体を支えて外に出ると、先ほどの銃声を敏感に聞きつけたのか、遠くで男たちが騒ぎ始めている声が聞こえてきた。
とにかく急がなければならない。僕は奈緒を連れて、崖の上の車へと急いで戻った。
「奈緒さん、無事で良かったわ! ……ひどく殴られたのね、顔が真っ赤に腫れている。心配だから、後でちゃんと身体を診せてね」
「奈緒ちゃん、もう会えないかと思ったんだよ。また会えて本当に良かった!」
「マサキさんに助けてもらえて嬉しいです。……お願い、彩香さんも助けてあげて!」
「ああ、必ず救い出す」
女の子たちに、優劣や上下をつけるつもりは毛頭ない。けれど、彩香が自分にとって特別な存在であることは否定しようがなかった。
心から信頼し、信用できる存在。かつて婚約していた女には無残に裏切られたが、彩香だけは絶対に僕を裏切らない――そう断言できる。
絶対に、何があっても救い出す。
しかし、こちらの切り札である拳銃の存在が敵に知られてしまった。向こうが警戒し、彩香を人質として盾に立てこもられた場合、こちらに手立ては無くなってしまう。
「皮膚の深い裂傷が無いのは不幸中の幸いだけれど、全身に激しい打撲を受けているわ。奈緒さんは重症よ。これから高熱が出る可能性が高いから、すぐに抗生剤を飲ませて安静にさせる必要があるわ」
「仕方ない……一度別荘に戻って、奈緒を休ませるか」
「ダメです! あたしのことは気にしないでください! はやく、一刻も早く彩香さんを助けに行ってあげて!」
奈緒の必死な気持ちは痛いほど分かった。だが、今の僕には彩香を確実に助け出すための具体的な作戦がない。両は彩香を気に入っているという話だから、すぐに命を奪うようなことはしないだろうが……。
殺されることはなくても、彩香があの両という男に無理矢理――。
そこまで考えただけで、胸が張り裂けそうになる。
そしてもし両たちが移動したら、と考えると居ても立ってもいられない。
彩香が酷い目に遭っているかもしれない、二度と会えないかも知れないのに、安全のために一時撤退するなど、僕には到底あり得ない選択だった。
「ごめん。みんなの安全を考えれば、ここは一度引くべきなのかもしれない。だけど、僕にはそれはできないんだ。彩香を見捨てることなんて、絶対にできない」
「そうですよ、助けなきゃダメです!」
「奈緒さんの体調も心配ですが、彩香さんを助けてほしいという気持ちは私も同じです」
「井上さんなら、絶対に大丈夫だよ」
みんなも僕の決意を支持してくれた。必ず彩香を連れて戻る。
『――井上くん! 出てきなさい! 出てきて、その銃をこちらに差し出しなさい!』
その時、拡声器でも使っているのだろうか、村全体に響き渡るほどの大音量で、両の不気味な声が響き渡った。




