竿
エレベーターの電力を回復させるには、1階にある自家発電室の制御盤ブレーカーを入れる必要があった。良子から発電室の鍵を受け取った僕は、浜田が用意してくれた2階の部屋の窓からこっそり外へと降り立ち、厳重にロックされた発電室へと侵入した。目当てのブレーカーを入れると、無事に電力が復帰したエレベーターを使って3階へと戻る。
診療室で咲愛と少し話をしながら、荷物の整理を進めた。奈緒が持ってきてくれたカバンの中には、いつも僕が愛用しているサバイバルナイフや鉄パイプがしっかりと入っている。そして、彩香からの手紙に指示のあった、あの岡田が昏睡レイプに使用していた薬品のボトルもあることを確認した。
「咲愛ちゃんのお父さんは、普段何をしている人なんだ?」
「ん? お父さん? ウチはママしかいないよ」
「……ごめん。知らなかったとはいえ、嫌なことを聞いてしまったな」
「全然平気。学校の友達にもそういう子多いから気にしてないよ。それよりも……ママは、やっぱり死んじゃったの?」
「広瀬さんは……」
広瀬さんは、コンビニの店長や佐藤と寝ていて、恐らくその後、権藤に殴られて殺されたはずだ。そして今はゾンビとなり、あのコンビニの周りを彷徨っている。そんな残酷な真実を、そのまま伝えるわけにはいかなかった。
「……死んじゃったんだね。奈緒ちゃんも、コンビニの周りでは見かけなかったって言ってたから」
「ごめん……」
「井上さんのせいじゃないよ。そっか、ママ……死んじゃ、うっ……ひくっ……」
大粒の涙を流して泣き出した咲愛を、ただ強く抱きしめた。今の僕にできることは、それしかなかった。いくら大人びて見えても、彼女はまだ小さな子供なのだ。この子だけは、何があっても絶対に守り抜かなければならないと、改めて心に誓った。
ガシャーン!!!
その時、1階から凄まじい破壊音が響き渡った。恐らく、ついに始まってしまったのだ――。
「やつらが来たんだね」
まだ半泣きの状態の咲愛が、小さく呟いた。この状況で即座に音の本質を理解するとは、この子は本当に頭が良い。
「おそらくそうだ。いいか、奈緒が来たらあのエレベーターで下に降りて、雪乃の家まで一瞬も止まらずに走るんだぞ」
「うん、分かってる。雪乃ちゃんたちの家なら知ってるよ」
「いい子だ」
咲愛の頭を一度だけ乱暴に撫でてから、僕は治療室のロッカーに飛び込み、そこにあった白衣を引っ掴んだ。そのまま良子の部屋へと引き返す。
「本当に来たようね……。それで、その格好は一体何かしら?」
良子は怯えを隠せない様子で僕を見た。
「1階に行くんだろ? 僕も付いて行く。医療助手ってことにでもしておいてくれ。咲愛ちゃんの時にも手伝っていたんだ、嘘にはならないさ」
「うふふ……あの時は点滴台を移動してもらっただけだけどね。でも、助かるわ。本当はとても怖かったから……」
僕は白衣を羽織り、マスクを着用した。さらに頭には手術用の白い衛生帽子を深く被る。
「キャーーーッ!」
階段を降りている最中、下層から引き裂くような悲鳴が響いた。奈緒の安否が脳裏をよぎるが、今は確認する術がない。何でもそつなくこなす彼女のことだ、きっと上手く立ち回ってくれていると信じるしかない。それよりも今は目の前の状況だ。一手でも対応を間違えれば、その瞬間に命を落とす。
1階のロビーに降り立つと、そこには十数人の男たちがたむろしていた。彼らの足元には、首や胸から大量の血を流した施設の男たちが数人、ピクリとも動かずに転がっている。
「何事ですか! あなたたちは一体何者なの!?」
良子が大声で叫ぶと、男たちの視線が一斉にこちらへ注がれた。
「俺はトリプルXの稗田だ。あんたがここの医者か?」
中心にいた男が傲慢に名乗りを上げた。
「私はこの施設の施設長を務めている白崎です。医師でもあります。あなたたちは、何の目的でここへ来られたのですか?」
「いい女だな、おい。目的は仲間の治療だ。医療対応の老人施設って看板が見えたから寄ってみたが、大当りじゃねえか」
「スゲエな、こんな美人の医者が残ってたのかよ。お持ち帰り決定だな!」
下卑た歓声が上がる中、良子は毅然とした態度を崩さなかった。
「治療ですね。私は医師ですから、どのような人間であれ治療は行います。ですが、約束してください。この施設の人間には、これ以上の危害を加えないと」
「OK、その約束は守ってやるぜ。だからさっさと治療を頼むわ」
稗田はニヤニヤと締まりのない笑みを浮かべて返事をしたが、その言葉など微塵も信用できなかった。だが、少なくとも問答無用で殺戮される事態だけは避けられた。この流れを狂わせないよう、僕は医療職員を装い、先を急ごうとした。
「3階に医務室がありますので、負傷者を急いで運んでください」
「……ちょっと待て。お前は何だ?」
僕の立ち振る舞いに何か違和感を覚えたのか、あるいは単に気に入らなかったのか、稗田が鋭い眼光で僕をジロジロと凝視してきた。
「僕は医療助手をしております」
「おい、アリサを呼べ。面白いものを見つけた」
稗田が背後に指示を出すと、しばらくしてピンク色の髪をした目立つ美女が現れた。
「アリサ、この男をどう思う?」
「うはっ、これは……そうねえ~」
アリサと呼ばれた女は、僕の頭から帽子とマスクを容赦なく剥ぎ取った。彼女は一度稗田の顔を見て、稗田が小さく頷くのを確認すると、「抵抗しないでね?」と妖艶に微笑みながら、衣服をまたたく間にすべて脱がしてしまった。
衣服を失った身体をクンクンと鼻を鳴らして嗅ぎ回ったかと思うと、彼女は突如として僕のペニスをパクりと口に含んだ。
「ちょっ……いきなり何を……っ! あ、何だこれは……!」
驚愕したものの、その技術は凄まじかった。まるで思春期の童貞のように簡単に射精させられてしまった。吸い付きの強弱、絶妙な舌使い、そして舌に開けられたピアスの硬質な感触が、脳を融かすほどの快感を与えてきたのだ。
「精子が薄いよ。それに、女の……処女の匂いが残ってる。あんた、今日中に処女を喰ったでしょ?」
「……気持ちよかったです。ありがとうございました」
不測の事態に、僕はそう返すのが精一杯だった。
「返事になってないっつーの」
「ハハハ! それでどうなんだ、アリサ? 竿になりそうか?」
稗田が下品に笑う。
「もちろん! 問題なしっていうか、むしろヤリたい。この男、ヤバいよ。顔は飛び抜けてないけど、オスのオーラと匂いが半端ないもん」
「やはりか。治療助手ってのも怪しいもんだな。まあいい、後でゆっくり話を聞こう。おい、お前ら、アキラたちを運べ!」
よく分からない理屈だったが、どうやらアリサに気に入られたことで最悪の警戒は解かれたようだ。この場さえ乗り切れば、あとの事など知ったことではない。




