爽やかな朝
ふと目が覚めると、両脇に心地よい重みと、生きている人間の確かな体温を感じた。視線を落とすと、木ノ下冬子と雪乃の姉妹が、僕の身体に左右からしがみつくようにして気持ちよさそうに眠っていた。
――この状況、前にも一度あったな。確か、あの地獄が始まった初日に、車中泊を余儀なくされた夜のことだった。
あの時は混沌とする世界への不安でいっぱいだったけれど、こうして二人の美女を両脇に抱えて目覚める朝は、男としてこれ以上の至福はない。これからも、何度もこの二人と一緒に新しい朝を迎えたいものだと、心から思った。
静かにベッドから起き出し、リビングへと向かうと、すでに彩香がエプロン姿で手際よく朝食の準備を進めていた。
「おはよう、マサキさん。――ふふ、結局、昨日の夜は雪乃ちゃんもあなたのベッドに行ったのね?」
「そうなんですよ!!わたしが眠った隙にベッドに潜り込んで来てたのです。しばらく雪はローテーションからはずれてもらいますかね」
いつの間にか起きてきていた冬子が、頬を真っ赤にして雪乃に小言を言いながらリビングに足を踏み入れた。
「お姉ちゃん、ちょっと待ってよ。お姉ちゃんが失神しちゃってマサキさんが悶々として眠れなくて可哀想だったからだよ? それで妹の私でマサキさんに満足してもらったんだよ」
「う、うるさい、うるさい! ……でも……本当に素敵だったわ。なんだか、天国にいるみたいだったもの」
冬子は照れ隠しに声を荒らげながらも、昨夜の極上の快感を思い出して、ウットリとした表情を浮かべた。
「そ、そんなに凄かったんだ……。あ、でもそれ、あたしも経験有るかも。マサキさんに初めてこのマンションで犯された時、あまりの快感で頭が真っ白になって、一瞬失神しちゃったもん」
キッチンを手伝っていた奈穂が、何気ない様子で爆弾発言を投下した。
「「「ああ……例の、最初の時のことね……」」」
僕と彩香、そして雪乃の三人が、同時にすべてを察したような深い溜息混じりの声を漏らした。
「ちょっと! 何ですか、みんなしてその反応は!」
奈穂が納得いかないように声を尖らせる。
「だって奈穂ちゃん、あの時のあなたの声が大きすぎて、外まで響いてたの知ってる? その声に欲情して理性を失った男たちに、私とお姉ちゃんが襲われる羽目になったんだから」
雪乃が苦笑しながら突っ込む。
「そうね、あのコンビニの店長たちが完全に理性を失って暴走したのも、間違いなく奈穂ちゃんのアレの影響が大きかったと思うわよ」
彩香もクスクスと笑いながら同意した。
「うぅ……ごめんなさい……っ」
すべての原因が自分のあられもない絶叫にあったと知り、奈穂は顔を真っ赤にして小さくなった。
「いや、悪かったのは僕だよ。あの時は僕も理性をコントロールできなくて、奈穂を無理に鳴かせすぎた。あれは僕のミスだ」
僕がフォローを入れると、冬子が堪えきれずに吹き出した。
「プッ、アハハハ! マサキさんがそんな真面目な顔で謝ることじゃないです」
崩壊した世界とは思えないほど、朝から下ネタと笑いの絶えない賑やかな食卓だった。
「――さて、昨夜の夕飯の後のミーティングでも少し話したけれど」
朝食を終え、お茶を飲みながら彩香が真剣な表情に切り替えた。
「マサキさんと奈穂ちゃんには、今日、近くにある医療施設を訪ねてほしいの」
「ああ、そのつもりだよ。これからの生存戦略のためにも、医療とのパイプは必須だからね」
「ふふ、お散歩デート気分でサボって、途中でエッチしちゃダメですよ?」
雪乃が悪戯っぽくウインクしてくる。
昨夜のミーティングで、彩香は「この世界で生き残っている人達は、多かれ少なかれ、大小のコミュニティを作って籠城しているはずだ」と予測していた。
中には他者を襲う危険な略奪者集団も当然あるが、生存のために真面目に結束している真っ当な組織もある。今後のマンションの安全のためにも、外部のコミュニティの動向を探り、一定の距離を取りながら戦略的に付き合っていく必要がある、というのが彼女のロジカルな見解だった。
「マサキさん、ちょっとベランダに来て頂戴」
彩香に呼ばれて窓辺へ向かうと、彼女から高性能な双眼鏡を渡された。
「ここから南の方角をよく見てみて。少し先に、医療老人施設があるでしょう? ほら、『憩いの里』という大きな看板が見えるわよね」
「ああ、見えるな。確かあそこは、雪乃の家からかなり近い場所だったはずだ」
「そうなの。私たちが怪我をしたり、誰かが病気に罹ったりした時の備えとして、どうしても医療設備を持つ施設とのパイプを作っておきたいのよ。本当なら総合病院のような大きな医療機関がベストなんだけど……恐らく、今頃大きな病院は、治療を求めて押し掛けた人達と、中で発生したゾンビで地獄のようなパニックに陥っているわ」
彩香の言う通り、世界が崩壊して治安が悪化すれば、ゾンビに噛まれた怪我人だけでなく、心労や持病、暴力沙汰によって様々な理由で病院を訪れる人は爆発的に増える。
そしてこの世界のルールでは、人が死ねば、たとえゾンビに噛まれていなくても、自動的にゾンビとして蘇ってしまうのだ。病院という「毎日人が死ぬ場所」の内部から、次々とゾンビが発生したとしたら――その結末は想像するだけで悍ましい。
「だけど、そんな危険な大病院とは違って、医療老人施設にわざわざ物資を奪うために押し掛ける生存者はまずいないわ。この数日間、双眼鏡であの『憩いの里』を観察していたんだけど、彼らは施設内にいたゾンビを上手く外に追い出して、四階建ての頑丈な建物の中に完璧に籠城しているみたいなのよ」
「なるほどな。医療知識と設備のあるところと交友を深めるメリットは良く分かる。だけど、僕たちのような余所者がいきなり行って、簡単に信用して貰えるかな?」
「マサキさんなら上手くやれるわよ。今回は偵察も兼ねているから、不審がられないように『善意で周辺の施設に物資を無償で配っている者だ』とでも言っておいて。そうね、昨日ライスセンターから回収してきたお米の中から、余っている分を数袋と、コンビニの倉庫からお水を1箱持っていってあげるといいわ。物資を贈られて怒る人はいないでしょう?」
「了解した。その作戦で行こう」
彩香との入念な打ち合わせを終え、出発の準備をしようとリビングに戻ると、いつの間にか六階の向井遙香と、その兄の信彦が部屋に遊びに来ていた。
信彦は自分が部屋から持ってきたというマニアックな漫画の話題で、すでに冬子と激しく意気投合して盛り上がっていた。
「おお……! これは伝説の『吸血姫リリス』の、当時のファンクラブ限定で配布されたフルカラーのコミカライズ版じゃないですか! 流石は信彦殿、あなたのコレクションの深さには心からの敬意を表しますぞ!」
「ふふん、当然さ。僕はネットのオタクコミュニティでも『リリスコレクター』としてはかなり有名でね。これくらいはコレクションのごく一部に過ぎないよ」
信彦は鼻高々に、ぽっちゃりとした胸を張った。
「ほうほう……。そこまで言うからには、もしや当時の即売会で極秘裏に流通したという、噂の『裏リリス』の同人誌などもお持ちで?」
「クハー! 冬子さん、あなた中々やりますな! まさか一般の女性から『裏リリス』なんて単語が飛び出すとは……! 勿論持っていますよ。あの有名なサークル『モラハル堂』の、フルカラー限定同人誌が我が部屋に鎮座しておりますぞ!」
「おおっ! モラハル先生の作品ですか! わたしは電子書籍版でしか拝めませんでしたが、リリスが敵の勇者に捕まって二穴責めされる展開は、まさに神がかった心理描写でしたな!」
「実はね……その『裏リリス』の公式仕様を忠実に再現した、特注のコスプレ衣裳も部屋にあるんだよ。……もし冬子さんが良ければ、僕の部屋でそれを着ていただいても構わないんだけど……」
「えっ! 着たい着たい! それ、わたしに貸して貰えますか?」
「勿論さ! 良ければそのまま君に差し上げてもいい。その代わり、衣装を着た君の姿を、僕の一眼レフカメラでたっぷりと撮影させてほしいな」
「あ、撮影はちょっと勘弁ですが……。――あ、マサキさん! ちょうど良いところに!」
出かける準備をしていた僕に気づいた冬子が、目を輝かせて声をかけてきた。横にいる信彦に僕が軽く会釈をすると、信彦は気まずそうにフイと目を逸らした。冬子は手元のカラー漫画を僕に広げて見せながら、早口で説明を始める。
「マサキさん、これ知ってます? 今、信彦殿に見せてもらっているのですが」
「いや、全然知らないな。何だか昔の美少女戦士アニメみたいな絵柄だけど?」
「ちょっと違いまして、簡単に説明すると、吸血鬼の真祖の姫である高貴なリリスが、人間界で戦うお話なのです。それで、ファンによる二次創作も非常に盛んでして、その中に『裏リリス』と呼ばれている、ちょっぴりアダルトな同人文化があるのです」
「二次創作って、ファンが勝手に独自の物語を作るやつだよね?」
「ええ、その解釈で間違いありません。それで、その裏リリスの王道展開というのは、本来は仲間であるはずの正義の勇者に、リリス姫がハメられて陵辱され、身も心も堕とされていくというお話なんです」
「……随分と胸糞の悪い、酷い話だね」
「フッフフ、マサキさんはまだ甘いですな。最強の吸血鬼であるリリスが、卑劣な勇者に騙されて陵辱される展開は確かに一見すると胸糞ですが、その過程で彼女のプライドが徐々に快楽へと屈服し、堕ちていく心情の機微が最高に秀逸なのですぞ!」
「ふーん、まぁ、オタクの世界は奥が深いんだな」
「それで、マサキさんにご相談なんですけど……。信彦殿がその『裏リリス』の素晴らしいコスプレ衣装をお持ちだそうなので、それを借りて、今夜は是非ともわたしと『コスプレエッチ』をしてください!」
「いいよ、面白そうだし」
僕が即答すると、冬子は嬉しそうに顔を綻ばせた。
「さすがマサキさん、話が分かる! 大好きですよ、チュッ♪」
冬子は周りの目も気にせず、僕の頬に嬉しそうにキスをした。
――バーン!!
突然、リビングに何かを激しく投げつける大きな音が響いた。
見ると、信彦が激しい怒りに顔を歪め、持っていた貴重な漫画本をテーブルに思い切り叩きつけたところだった。彼は血走った目で僕をギロリと睨みつけながら、震える声で問い詰めてきた。
「……おい、あんたさぁ! 昨日の母親の話では、そっちの黒木彩香って人と恋人同士なんだろ!? それなのに……何で冬子さんにまで手を出して、そんな破廉恥な約束をしてるんだよ!?」
「あ、信彦殿。それは少々誤解がありまして」
冬子がなだめようとするが、信彦の興奮は収まらない。
「誤解なわけないだろ! 僕は今、君がこいつにキスをしているのをこの目でハッキリと見たんだ! こいつは彩香さんという綺麗な恋人がいながら、君を二股で弄んでるんだぞ!?」
「ですから、彩香さんだけの恋人だというのが誤解なのです。わたしも、そこの雪乃も、外にいる奈穂ちゃんも、全員がマサキさんの最愛の女なのです。ちなみに言っておきますが、昨夜はわたしがマサキさんに、ベッドで失神するほどたっぷりと可愛がっていただきました」
冬子が至極当然のように自慢げに言い放った。
「な……ななな……認めない! そんな不潔で不条理な関係、僕は絶対に認めないからな!!」
信彦は嫉妬と怒りで顔を真っ赤に膨らませ、そう大声で叫ぶと、ドタバタと激しい足音を立てて部屋を飛び出していってしまった。僕と冬子は顔を見合わせ、呆れたように苦笑するしかなかった。
「……信彦殿は、一体何を認めないのでしょうね? 崩壊した世界において、強いオスが複数のメスを囲うのは生物学的に当然の真理なのですが」
「さあな。とにかく冬子、あの信彦にはあまり不用意に近づかないよう、本当に気を付けるんだよ」
部屋には雪乃や遙香ちゃんも一緒に居るから、流石に滅多なことは出来ないとは思うが、彼の目に宿った陰湿な執着が少し気になり、僕は冬子に一応の忠告をしておいた。
※少し過激な性描写や表現もありますから、ミッドナイトノベルに移行中です
あちらは、ラブシーンに少しづつ挿絵もいれていきます。




