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向井家

「――まぁ、お話はすべて井上さんから伺っておりますわ。みなさん本当にお美しくて、眩しいくらいに綺麗な方たちばかりですのね。なんだか羨ましいくらいですわ」


「若宮さんこそ、とても上品で、私たちが理想とする完璧な奥様のようで憧れてしまいます。こちらこそ、これからどうぞよろしくお願いいたします」


女の子たちを引き連れて六階のホールに降り、全員を順番に紹介した後に、それぞれが笑顔で自己紹介を交わした。主に会話をリードしていたのは彩香だった。

彩香も千里も、元々が非常に人当たりが良く、大人の社交性を心得ている。思い描いていた通り、この二人を中心にしておけば、今後の隣人関係はすこぶる良好なものを築けそうだという確信が持てた。


――ドン、ドン、ドン。


「すいません、向井さん。少々お話が有るので、ドアを開けていただけませんか」


続いて、僕たちはお隣の602号室へと移動し、鉄製のドアを拳で少し強めに叩きながら大声で呼びかけた。

静まり返ったドアの向こう側から、明らかにバタバタと慌てるような人の気配を感じるが、外部を極度に警戒しているのか、一向に返事をして開けようとする兆候がない。


「井上さん、……向井さんは少し過敏なになっておられるみたいですから、今度は私が話してみますわ」


後ろで様子を見ていた千里が、見かねたように一歩前に出て声をかけてくれた。多少なりとも騒動前から近所付き合いのあった彼女の言葉なら、向こうも聞く耳を持ってくれるかもしれない。


「向井さん、お隣の若宮です。私も一緒ですから、どうか安心してお顔を出して、ドアを開けていただけませんか?」


しばらくの沈黙の後、カチャカチャと内鍵が外される音が響いた。ドアの覗き穴からこちらの様子を慎重に確認したのだろう。

ゆっくりと開いたドアの隙間から、銀縁の眼鏡をかけた、どこか神経質そうでキツイ印象を与える中年女性が顔を出した。遙香の母親だ。


「……若宮さん。お元気そうで何よりですが、そこにいらっしゃる方々は、一体どちら様ですか?」


「はじめまして、僕は井上と申します。今は最上階の七階に住んでいます。先ほど、この六階から五階へと降りる階段の防火扉を完全に封鎖しましたので、この六階ホールはゾンビの脅威から完全に隔離され、安全になりました。同じ生活圏内になりましたので、この極限状態を生き抜くために協力し合えることもあるかと思い、ご挨拶に伺いました」


「……へぇ。ウチは日頃から万全に備蓄をしていますから、特にあなた方に協力していただく必要はありませんわ。だけど、ホールに安心して出られるようになったのだけは、まぁ良かったわね。――それで、あなたが後ろにぞろぞろと従えているその若い女性たちも、一緒に暮らしているわけ? そもそも、七階は確か地主の岡田さんが住んでいたはずよね。どうしてあなたたちがそこを占拠しているのかしら?」


向井の母親は、あからさまに迷惑そうな口振りを隠そうともせず、非常に感じの悪い冷淡なトーンで言い放った。

その排他的な物言いに僕が不快感で黙り込んでいると、すかさず隣にいた彩香が、スマイルを浮かべて流暢な口を開いた。


「向井様、お初にお目にかかります。あの岡田さんと、一階のコンビニの店長が古い友人同士だったことは御存知かしら? こちらの井上さんはそのコンビニで働いてらして、日頃から岡田さんとは家族同然にとても仲が良かったのです。……残念ながら、あの騒動の初日に岡田さんは襲われてしまい、井上さんが必死に駆け付けた時には、すでに瀕死の状況でした。岡田さんは息を引き取る間際、自分の部屋に逃げて生き延びてくれと言い残され、部屋のすべての鍵や管理権を井上さんに託されたのですわ」


「ふーん……。それで、あなたたちは?」


「名乗るのが遅れました、私は黒木彩香と申します。元々は三階で井上さんの隣に住んでおりまして、彼とは恋人になりますの。他の方々は、井上さんのコンビニの仕事仲間である木ノ下雪乃さんと、そのお姉さんの冬子さん。それと、彼の昔からのご友人である河合奈穂さんです」


「にわかには信じ難いドラマのようなお話ですけど、世界がこうなってしまっては、誰がどこに住もうが確かめようもないわね。――それよりも、随分と綺麗なお嬢様ばかりを囲い込んでいるのねぇ」


向井の母親は、値踏みするような不躾な視線で、雪乃と冬子、そして奈穂の顔を上から下までジロジロと舐めるように見ていた。

そして、何かをハッと思い立ったかのように、突然部屋の奥に向かって甲高い声で叫んだ。


「遙香! 今すぐ信彦さんをお呼びしてきなさい!」


「えっ? お母さん、何かあったの……?」


「あっ! 久しぶり、遙香ちゃん! わたしだよ、雪乃だよ!」

母親の背後から姿を現した、暗く沈んだ顔をしていた女子高生――遙香の姿を見るや否や、雪乃が嬉しそうに声を掛けた。遙香は一瞬目を丸くしたが、雪乃だと分かった途端、その顔にパッと満面の笑顔を浮かべた。


「あ~っ! ゆきのんだ……っ! 良かった、ちゃんと生きてたんだね……! 私、ずっと心配してたんだよ!」


「わたしも! またこうして遙香ちゃんに会えて、本当に嬉しいよ!」


二人は母親の視線も構わずに駆け寄り、お互いの無事を祝してぎゅっと抱き合っていた。崩壊した世界の中で、再び友人と生きて再会できたことが、心の底から嬉しいのだろう。僕と彩香、千里は、その様子を暖かい微笑みで見守っていた。


「ちょっと、遙香! 何をみっともなくベタベタやっているの! はやく信彦さんをお連れしなさいって言っているでしょう! あなたの無駄話なんて後回しでいいのよ!」


「……うん、はい……」


実の娘に対して、あまりにも露骨で冷酷なその言い分に、僕は胸の奥に強い怒りと不快感を覚えたが、初対面の他人の家庭の事情にいきなり首を突っ込むわけにもいかず、辛うじて言葉を黙って飲み込んだ。

娘を追い払った向井の母親は、今度は一転して、僕の後ろにいる女性陣に向かって急に饒舌に、捲し立てるように話し始めた。


「うちの信彦さんはね、本当に頭が良くて、あの超一流の◯◯大学を優秀な成績で卒業されているのよ。今はちょっとシャイで無愛想なところもあるけれど、本当は男らしくて、とっても信じられないくらい優しい子なんですの。みなさん、是非ともうちの信彦さんと仲良くしてあげてくださいね」


向井の母親は、息子を狂信的に溺愛しているようで、必死にそのスペックをアピールし始めた。挙げ句の果てには、「あなたたちのように器量の良い娘さんなら、誰がうちの信彦さんのお嫁さんになって、可愛い孫を産んでくれても構わないわよ」とまで言い出した。その異様な様子に、流石の彩香や奈穂もドン引きして引きつった笑いを浮かべるしかない。


「……なんだよママ、せっかく今『リリス』の限定フィギュアの鑑賞会をしていたのにさ。見てる時は絶対に呼ぶなって、いつも言ってるだろ?」


「あら、ごめんなさいね、信彦さん。でも見て頂戴、七階に引っ越してきた、とっても綺麗なお嬢様達よ? もし好みの人がいたら、ママが何とかしてあなたのお部屋に斡旋してあげるわね」


部屋の奥から、極めて不機嫌そうにのっそりと現れた信彦は、ボサボサに垢抜けない頭に、シミのついたヨレヨレのTシャツと短パン姿だった。全体的にぽっちゃりとした、締まりのないオタク体型をしており、その手には派手な衣装を着た美少女フィギュアを大切そうに握りしめている。


母親に対しては信じられないほど横柄で傲慢な態度をとっていた信彦だったが、僕の後ろに並ぶ彩香や冬子たちの圧倒的な美貌をその目で捉えた途端、文字通り蛇に睨まれた蛙のように硬直した。途端にフイと下を向き、顔を真っ赤にしてモジモジと指先を動かし始める。


「な、なんだよママ……。そんな可愛い女の子たちが来てるなら、最初からそう教えてくれよ……」


「あら、遙香はあなたに伝えなかったの?」


「何も聞いてないよ、アイツめ……後で部屋に戻ったら、たっぷり説教してやらないと気が済まないな。何と言っても、この家で一番偉くて価値があるのは、この僕なんだからね」


信彦は、上目遣いでチラチラと女たちの身体を卑しい目で見ながら、ブツブツと独り言のように話していた。女の子たちは見るからに引きつった作り笑いを浮かべていたが、ただ一人、冬子だけは全く違う反応を示していた。彼女は極めて真剣な、まるで獲物を見るような鋭い眼差しで、信彦の手元にあるフィギュアをガン見していたのだ。


「――その手に持たれているフィギュア……。もしや、数年前に完全受注生産で限定販売された、伝説のアニメ『吸血姫リリス』の、争奪戦が激化してプレミア化した幻の限定生産品ではありませんか? 間違いない、わたしの鋭い目は絶対に誤魔化せません」


「えっ……!? き、きみ、これがリリスの限定版だって分かるの……!?」

信彦は、自分の聖域を理解されたことに狂喜したように、一瞬で目を輝かせて身を乗り出した。

「そ、そうなんだよ! 確かにあの伝説の限定生産品さ! 平時のネットオークションで、軍資金を注ぎ込んで3万円でようやく競り落とした最高傑作なんだ!」


「3万円ですか。当時の相場としては少々高値ですが、そのクオリティなら十分にその価値はありますな。……フフフ、ですが驚くなかれ、実はわたし、そのリリスのさらに上位互換である『金リリス(ゴールドバージョン)』を持っていますよ。それも、指一本触れていない完全未開封の状態でね」


「ハ、ハッハッハ! 甘い、甘いよお姉さん! 僕はさらにその上の、世界に数十体しか存在しない『プラリリス(プラチナバージョン)』を所有しているんですがね!? しかも、シリアルロットナンバーは驚異の一桁台ですが!?」


「うげぇぇ……ッ!? ま、まさかのプラチナ一桁台ですか……!? ほ、ほんと? ねぇ、それ本当に言ってます!? どこかのアキバのパチもんじゃなくて、本物の公式ロットなんですか!?」


「なんだと! 疑うなら今すぐ僕の部屋のコレクションケースから持ってきて見せてやるから、そこで震えて待ってろ!」


信彦は、冬子とのオタクトークの熱熱とした応酬にすっかり興奮し、当初の陰気な様子はどこへやら、自慢のコレクションを見せるためにドタバタと部屋の奥へと走り去って行った。


「まぁ! あなた、うちの信彦さんとこれほど趣味が合うなんて、本当に素晴らしいわね! それに、お顔もとっても綺麗。……ちょっとお尻の大きさが物足りないのが心配だけど、信彦さんの奥さん候補としては合格点よ」


「いえ、すいません。つい、長年培った同族としてのヲタ心を激しく擽られてしまいまして……」

冬子は苦笑いを浮かべながら頭を掻いた。


それからしばらくの間、戻ってきた信彦は、自分の部屋から持ってきた様々な激レアフィギュアを、これみよがしに冬子に自慢し続けた。冬子も冬子で、この崩壊した世界において自分の趣味を全力で語り合える相手がいたのが余程嬉しかったのか、目をキラキラと輝かせながらそれを眺めていた。

『吸血姫リリス』というのは深夜に放送されていたアニメらしい、コミカライズされた貴重な単行本を信彦が全巻所有しているらしく、彼は冬子に「特別に読ませてあげる」と、何冊かの本を快く貸し出してくれた。


長男の信彦と、その母親の歪んだキャラクター性には、今後コミュニティを維持する上で多少の不安と不気味さが残るものの、冬子のおかげで取り敢えずのファーストコンタクトとしては、敵対することなく良好な友好関係を築けたように思う。

※少し過激な性描写や表現もありますから、ミッドナイトノベルに移行中です

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