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早朝ミーティング

眠りから覚め、重い瞼を開けて隣を見やったが、そこにいたはずの彩香の姿はすでに無かった。寝具に残された彼女の微かな残り香だけが、昨夜の甘美な交わりの余韻を伝えている。

ベッドから起き出し、静まり返った廊下を抜けてリビングへと向かうと、そこでは冬子と彩香が早くもテーブルを挟んで何事か真剣な表情で話し込んでいた。

窓の外の街並みはまだ薄暗く、濃い朝靄に包まれている。崩壊前であれば「今日は一日、この贅沢な空間で女の子たちとゆっくり過ごそう」などと考えたかもしれないが、この極限の世界においては一時の遅れが致命的だ。まだのんびりと朝寝坊を決め込んでいる暇などないのだ。


「二人とも、随分と早いね。……昨夜はよく眠れたかい?」


声をかけると、二人は同時に顔を上げて柔らかな微笑みを浮かべた。


「ええ、お陰様で。マサキさんの腕に抱かれていたから、この世界が始まって以来、一番安心して深く眠ることができたわ」


「私はそもそも一睡もしていませんよ。元々、極端なショートスリーパー体質なので、一晩や二晩くらい寝なくても脳のパフォーマンスは一切落ちないんです」


冬子が事もなげに言う。彼女たちの前のガラステーブルの上には、岡田の書斎から持ってきたと思われる、何枚ものプリントアウトされた書類や間取り図が整然と広げられていた。


「マサキさんも、眠気覚ましにコーヒーを飲まれますよね? 今から煎れて来ますから、その間に私ががまとめたこの資料に目を通しておいてください」


「ありがとう」


パタパタと小気味良い足音を立ててキッチンへと向かう冬子の後ろ姿を見送りながら、彩香が感心したように息を漏らした。


「……彼女、本当に恐ろしいほど優秀ね。この世界が崩壊していなければ、今すぐにでも私の会社にヘッドハンティングして部下に欲しかったくらいだわ」


「部下か。……そういえば彩香って、この騒動が起きる前は具体的にどんな仕事をしていたんだい?」


「あら、まだ言っていなかったかしら? 複数の大手企業を相手に経営コンサルタントをしていたのよ。この騒動が始まる直前までは、外資系のコンサルティングファームでシニアマネージャーのポストに就いていたわ」


「それは凄いキャリアだ。……じゃあ、収入も僕なんかとは桁違いに多かったんじゃないのか?」


「それなりに貯えはあったわね。近いうちに、ここよりもっと都心の高級タワーマンションの最上階へ引っ越す予定だったのよ」


彩香の口から語られる華やかな過去に、僕は思わず苦笑いを浮かべた。

「なるほど。僕のようなうだつの上がらないコンビニの夜勤店員とは、そもそも生きている世界が完全に違っていたわけだね」


「本当にそうかしら?」

彩香は悪戯っぽく微笑むと、僕の目をじっと見つめてきた。

「私はね、あのコンビニに立ち寄る度に、レジにいるあなたから『今夜、仕事終わりに食事でもどうですか』って声をかけてくれないかしら、って密かに期待していたのよ。タワマンに引っ越すタイミングで、思い切って私の方から誘ってみようかしら、なんて考えたりもして……。だから、例えこの最悪な騒動が起きなかったとしても、私は遅かれ早かれ、あなたとは男と女の関係を持っていた可能性が非常に高いと思うわ。――まぁ、あの無駄に声の大きい鬱陶しい店長が何かと話しかけてきて、いつも邪魔だったけれどね」


「そうだったんだね。確かに僕の方も、君が店に来る度に目を奪われていたから、その可能性はかなり高そうだ。……でもさ、今となってはあの岡田には皮肉にも感謝しなくちゃいけないな。結果的に、僕たちのためにこんな最高な楽園を用意してくれていたんだから」


「プッ、アハハハ! もう、本当に笑わせないでよ。……本当に不思議ね、マサキさんと一緒にいるだけで、信じられないくらい心が軽くなるわ。マサキさん、大好きよ」


彩香が艶っぽく身体を寄せてきたその時、背後から「ゴホン」とわざとらしい咳払いが聞こえた。


「あの……お熱いところ大変申し訳ありませんが」


トレイに2客のマグカップを載せて戻ってきた冬子が、ジト目という言葉がぴったりな冷ややかな視線を僕たちに投げかけていた。


「昨日からずっと思っていたんですけど……マサキさんのお相手をする順番、明らかにわたしだけ不当に少なくありませんか? 雪のやつは隙さえあればすぐに風呂場などで抜け駆けをして既成事実を作ってきますし……。そりゃあ彩香さんが息を呑むほど綺麗で魅力的な女性なのは重々承知していますけど、少しは手加減してもらわないと、困ってしまいます」


「プッ、アハハ。 手加減だなんて、本当に面白い言い方をするのね冬子さんは。――いいわよ、マサキさん。今すぐその可愛い唇に極上のキスをしてあげて」


「もうっ! 彩香さんまでからかわないでください! わたしは……そりゃあマサキさんとしたいですけど……人前でそういう破廉恥なことをするのは恥ずかしいんです。……でも、マサキさんがどうしてもと言うなら……喜んでお受けします。では……お願いします」


冬子は顔を真っ赤に染めながらも、期待を込めて潤んだ瞳で見上げてくる。僕は愛おしさを堪えきれず、彼女の柔らかな髪を優しく撫でてから、その薄い唇を塞いだ。

お互いの舌を深く絡め合わせると、口内からは淹れたてのほろ苦いコーヒーの高貴な香りが鼻腔へと抜けていった。


「ふぅ……。さて、マサキさんの頭もスッキリしたところで、今後の生存戦略について具体的な話を詰めましょうか」


冬子が唇を拭いながら資料を指し示す。やはり、現段階における最優先事項は「食料の絶対的な確保」だった。彩香はコンサルタントとしての長期的な視点から、最低でも数年分は一切の不自由なく暮らせる備蓄をこのビル内に囲い込みたいと主張した。

その点に関しても、冬子は完璧なレポートを作成していた。彼女が導き出した最優先の物資は、何よりも「お米」と「塩」だった。幸いにも、この七階は岡田の自家発電と貯水システムによって、水と電気というインフラは完全に確保されている。つまり、お米と塩さえ十分に用意できれば、最悪の事態に陥っても人間の生命活動を数ヶ月単位で確実に維持できるのだ。

計算上、食事を多少切り詰めれば、女性の割合の多い僕たちは米袋1表(30kg)で約二ヶ月は余裕で暮らせる。つまり、年間でわずか6袋用意できれば、一年間の主食は保証される計算になる。これは他のあらゆる加工食材を集めるよりも遥かにかさばらず、保管効率も圧倒的に高い。

他に必要な物資として、長期保存が利くパスタなどの乾燥麺類、タンパク質を補う缶詰、栄養の偏りを防ぐ各種ビタミン剤の錠剤、そして負傷や病気に備えた強力な痛み止めや抗生物質などの医薬品がリストアップされた。


「それと、私たちがこの最上階で優雅に暮らす上で、下のフロア、特に六階に関してはいつでも使えるように完全に掌握しておきたいわね」


「六階か……。601号室の若宮千里さんとは少し面識があってね。とても上品で感じの良い人だよ。僕が少し強めに押せば、こちらの陣営に引き入れることも難しくはないだろうけど……正直、あまり強引な手段は使いたくないんだよね」


「どうして? マサキさんがその気になって男の魅力を振り撒けば、この極限状態で拒みきれる女なんて早々いないと思うけれど?」


「彼女も、あの岡田の歪んだ盗撮趣味や脅迫の被害者だった一人なんだ。心に深い傷を負っている。だからこそ、彼女に対してだけは、力尽くや脅迫まがいの強引な囲い込みはしたくないんだよ」


「……そうね、分かったわ。あなたのそういう、身内に対する底なしの優しさは嫌いじゃないから。それなら若宮さんに関しては、マサキさんのペースでじっくり攻略していってちょうだい。――それと、お隣の602号室の住人については、何か情報は持っている?」


「いや、602に関しては全く分からないんだ。だけど、若宮さんにそれとなく探りを入れれば、何か有益な情報が掴めるかもしれないね」


「ええ、生存している可能性は低そうだけれど、万が一に備えて警戒されないように聞いてみて。もし生存者がいて、私たちのこの楽園を恨みがましく監視されるような事態になったら非常に厄介だから」


「はい! その件に関しまして、わたしからも一つ素晴らしいご報告があります!」

冬子が嬉しそうに手を挙げた。

「昨夜、わたしは前住人である岡田氏のパソコンに残されたシステムデータを徹底的にハッキングしました。……あ、ちなみにフォルダの中にエッチな動画や盗撮データが山のように隠されていましたが、気持ち悪くて見る気も起きないのでぜんぶ隔離してあります。――話が逸れました。システムを解析したところ、岡田のPCに特殊なセキュリティ制御ソフトがインストールされているのを発見したんです。これは何と、このマンションの各所に死角なく設置された防犯カメラの映像をリアルタイムで一括監視・制御するソフトだったんですな! バックアップデータも残されていたので、ビル内のほぼ全てのカメラの位置を正確に把握できました。……あ、ちなみに数日前の夜、マサキさんが鼻息を荒くして彩香さんの部屋に夜這いへ向かう一部始終も、バッチリ録画されて保存されていましたよ?」


「ブッ……!!」

今度は僕がコーヒーを吹き出しそうになった。彩香も一瞬だけ頬を赤らめたが、すぐに鋭い目付きに戻った。


「それは……凄まじく価値のある情報ね、冬子さん。素晴らしいわ。……だけど、その防犯カメラシステムを実際に稼働させるには、一時的にでも全フロアの電力を完全復旧させて、ビルのメインサーバーを動かす必要があるのよね?」


「そうなります。……ですが、彩香さんは昨日、全館通電には反対だと仰っていましたよね?」


「ええ、今でも反対よ。私たちは外部の人間、あるいは徘徊する略奪者たちに対して、このマンションを『完全に機能不全に陥った、ゾンビしかいない廃マンション』だと思い込ませ続けなければならないわ。夜間に一切の光を漏らさず、住む価値のない地獄の場所だと思わせる。そうすれば、わざわざ命を懸けてこのビルに侵入してこようとする不届き者の数は激減するはずよ」


「僕も彩香の意見に完全に同意だ。一階のコンビニも、僕が昨夜あえて放火して徹底的に略奪されたように偽装した。外から見れば、ここはすでに価値のないただの燃え殻に見えるはずだ」


「なるほど、そうなると全館を通電させるわけにはいきませんから、リアルタイムで使用できるカメラのエリアはかなり限定されることになりますね……」


「その防犯カメラって、私たちが掌握したい六階にも設置されているのかしら?」


「ありますよ。各階の非常階段の踊り場とエレベーターホールには確実に配置されていますから」


「じゃあ、この七階フロアはどうなっているの?」


「この最上階だけは岡田のプライベート空間として、かなり特殊な設計になっていますね。両方の玄関口、さらには階段ホールからエレベーターの前まで、一歩足を踏み入れた人間をあらゆる角度から完全に見渡せるように、超高性能な隠しカメラが備え付けられています」


「後でシステムの操作方法を私にも見せてちょうだい。停電直前までの過去の録画データが残っているなら、それを見れば602号室に誰が住んでいて、騒動の時にどう動いたのかが正確に確認できるはずよ」


防犯カメラシステムが完全に機能すれば、外部からの侵入者をいち早く察知し、先手を打って迎撃することが可能になる。しかし、現状で全ての電力を復旧させれば、各フロアの共有スペースやエントランスの誘導灯などが点灯してしまい、自家発電システムが生きていることを周囲の生存者に宣伝することになってしまう。それはあまりにもリスクが高すぎる。

何とかメインの照明系統を物理的に遮断した上で、カメラの回線とサーバーだけに電力をピンポイントで供給する方法を、冬子と模索する必要がありそうだ。


しばらくして、年少組の雪乃と奈穂も目を擦りながら起きてきたため、全員で賑やかな朝食のテーブルを囲んだ。食後、僕は紅茶を飲み干しながら、今日の具体的な予定を全員に向けて告げた。


「今日はこれからの長期生存に向けて、一度バイクで外の街に出て、周囲の状況を偵察しつつ、最優先物資である『お米』を大量に手に入れようと思っている。――奈穂、僕と一緒に外へ来てくれないか?」


指名された奈穂は、一瞬だけ驚いたように目を丸くしたが、すぐに引き締まった笑みを浮かべて力強く頷いた。

「はい! 喜んでお供します! ここ何日間も狭い部屋の中に閉じ籠りっきりで、身体が鈍りそうだったから、思いっきり動き回りたかったんだよね!」


「ええーっ! わたしも、わたしもマサキさんと一緒に行きたい」

案の定、雪乃がぶんぶんと勢いよく手を挙げたが、これに関しては当然の如く却下せざるを得ない。


「雪乃、今回はドライブデートに行くわけじゃないんだよ。奈穂を選んだのには明確な理由がある。最終的に米袋を大量に運搬するためには、どこかで動かせるトラックを調達して使う予定なんだ。だから、最初の移動の足として、奈穂の運転するバイクの後ろに僕を乗せていってもらう必要がある。それに……奈穂のいざという時の判断力と高い身体能力は、一般の成人男性を遥かに凌駕している。外の世界は地獄だ。奈穂の力が、どうしても必要なんだよ」


僕が真剣なトーンで説明すると、横から冬子がすかさず雪乃の首根っこを掴まえた。

「そういうわけですから、雪は大人しくお姉ちゃんと一緒に、この広いお部屋のお掃除でもしていなさい」


「ぶぅー……。はーい、お留守番がんばります……」

※少し過激な性描写や表現もありますから、ミッドナイトノベルに移行中です

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