死闘
ハンドルを回すたびに破裂した内臓が激しく痛み、意識が遠のきそうになる。僕は片手でリュックを探り、媚薬のボトルを取り出すと、キャップを歯で噛み外して一気に口内へと流し込んだ。
激痛のせいで、味など全く分からなかった。
だが、効果は劇的だった。数分もしないうちに全身の毛細血管が拡張し、身体が爆発しそうなほどの熱量に支配されていく。強力な興奮作用によって心臓が凄まじい鼓動を刻み、激痛を麻痺させていく。気がつけば、股間が非常識なほどに猛り狂い、ガチガチに勃起していた。この絶望的な状況の真っ只中で、あまりにも不条理な下半身の反応に、思わず狂気じみた笑いが込み上げてくる。
(ハハッ、最高だ……。痛みが消えたぞ……!)
胸が熱い。爆発的な興奮がアドレナリンとなって脳内を駆け巡る。
前方に、マンションの1階に位置するコンビニの店舗が見えてきた。スピードメーターは時速100キロをとうに突破している。僕は奈穂から借りたヘルメットのシールドを下げ、シートベルトのホールドを極限まで締め上げた。
正面玄関の前には、奈穂の誘導作戦のおかげで、数十匹のゾンビが密集してガラスをドタドタと叩いているのが見える。
「邪魔だ、どけえええええ!!!」
何匹もの肉塊をバンパーで派手に轢き潰し、肉片を撒き散らしながら、一切減速することなくコンビニの正面へと突っ込んだ。
シャッターが目の前に迫るが、恐怖は微塵も感じない、脳がトリップして現実味が失われていた。
ガガガシィィィンッ!!!
駐車スペースの頑丈なコンクリート製の車止めに乗り上げた瞬間、ジープの巨体が完全に宙に浮いた。強烈な浮遊感の中、衝撃に備えてステアリングに両腕を突っ張り、身体をシートに固定する。
次の瞬間、世界の全てを圧殺するような大爆音。
シャッターが紙切れのようにねじ切れる音、強化ガラスが文字通り粉々に爆散する轟音が鼓動を支配し、視界が真っ白な布に覆われた。衝撃を感知したエアバッグが炸裂したのだ。フルフェイスのヘルメットのおかげで頭部へのダメージは皆無。車体は店内の陳列ラックや冷蔵棚を派手に巻き込みながら、横滑りする形で激しく衝突し、ようやく停止した。
すかさず引き抜いたナイフで目の前のエアバッグをズタズタに切り裂き、ひしゃげたドアを蹴り開けて店内に躍り出た。
店内は、巻き上がった埃とガラスの粉で煙っていた。煙の向こうのレジカウンターの陰、パイプ椅子に後ろ手縛りにされた状態で座らされている雪乃と冬子の姿があった。
そのすぐ横で、あまりの衝撃に腰を抜かした店長と佐藤が、レジの影に頭を抱えて丸くなっていた。奴らが呆然自失として動けない一瞬の隙を見逃さず、僕は大破したフロントフードからレジの上へと飛び移り、リュックから引き抜いた鉄パイプを容赦なく振り下ろした。
バキキィッ、ベキッ! と、骨の砕ける不快な感触。
咄嗟に頭を庇おうとした店長の腕の骨が、容易く粉砕される。
「彩香と権堂はどこだ!? おしえろ!!」
『い、井上……っ!? お前、なんで生きて……っ、やめてくれ! 殺さないでくれぇ!』
僕は無慈悲に、店長の顔面へ再びパイプを叩き込んだ。目尻を正確に捉えた一撃により、肉が裂けて白い骨が露出した直後、鮮血が噴水のように吹き出す。
「奥のバックヤードの鍵を出せ。今すぐだ」
店長は恐怖と激痛にガタガタと失禁しながら、血塗れのポケットからマスターキーの束を差し出した。それをひったくると同時に、その禿げ頭を思い切り蹴り飛ばして沈黙させた。
床に飛び降り、拘束されていた雪乃と冬子のロープをナイフで一気に切断する。二人の細い手を引き、バックヤードへと続く薄暗い廊下へと連れ出した。
「二人はここで待っていろ。彩香を助けてくる」
「待って、マサキさん! 私にもそのナイフを渡してください! またあのクズたちに何かされそうになったら、刺し殺します」
「わたし、わたしも欲しい!」
「雪乃はダメだ。君にはまだ、人を殺す覚悟がない。生半可な気持ちで武器を持てば、逆に奴らに奪われて利用される。――冬子、お前はこれを持て」
冬子の手に、死体から回収したナイフを握らせた。ナイフを見る彼女の瞳には、すでに境界線を越えた冷徹な光が宿っていた。
「井上さん……絶対に、死なないでね」
背後から聞こえる雪乃の祈るような声を背に受けながら、僕は廊下の奥、店長室を兼ねた事務室へと歩を進める。
(これだけの破壊音と衝撃があったんだ。いくら防音のバックヤードとはいえ、権堂に聞こえていないはずがない。なぜ出てこない?)
疑問が浮かぶが、すぐに僕が部屋に入ってくるのを中で待ち構えていると確信した
周囲を見回すと、飲料のダボール箱を運ぶための、金属製の頑丈なキャスター付きワゴンが放置されていた。
事務室のドアの鍵を開け、ノブを回すと同時に、その重いワゴンを室内に向けて全力で押し込んだ。
ガコーン!!
目論見通り、目にも留まらぬ速さで迫った権堂の強烈なローキックがワゴンの側面を捉え、金属製の塊が派手に火花を散らして吹き飛んでいった。
一瞬の隙。ワゴンの影から権堂が顔を覗かせた瞬間、その太い首筋を目掛けてナイフを突き出した。
だが、男の驚異的な反射神経がそれを阻む。咄嗟に跳ね上げられた権堂の分厚い前腕に、ナイフが深々と突き刺さった。……抜けない。異常に発達した前腕の筋肉が強固に締め付け、刃を固定してしまったのだ。
僕は即座にナイフの柄から手を離し、床を転がりながら室内へと侵入した。
視界の端に、ベッドが映る。そこには、衣服を全て剥ぎ取られ、一糸纏わぬ姿で横たわっている彩香の姿があった。
一見すると失神しているように見えたが、僕と目が合った瞬間、彼女は僕にだけ分かるように小さく、妖艶に頷いてみせた。
『……痛えな、クソが。今度は本気で俺の首をハネるつもりだったか』
権堂は顔一つ変えずに、自らの腕から深々と突き刺さっていたナイフを引き抜くと、それを僕の顔面めがけて投げつけてきた。大振りなモーションだったため、難なくそれを回避する。
しかし、それは奴の陽動だった。回避した隙を突かれ、アメフト仕込みの猛烈なタックルが僕の胸元を捉えた。凄まじい衝撃と共に身体が宙を舞い、背中がコンクリートの壁に激しく叩きつけられる。
あまりの衝撃に崩れ落ちそうになりながらも、僕はリュックのサイドからもう一本の鉄パイプを抜き取り、視界を失ったまま闇雲に上方へと振り抜いた。
ガツゥゥンッ! と、確かな手応え。
僕の首を掴みにかかってきた権堂の顔面に、カウンターでパイプの先端が直撃したのだ。
『ガッ……! クソが、ぜってえに生かして返さねえ……! 大体よぉ、お前は何しに戻ってきたんだ? この彩香ってアマはな、とっくに俺の女になったんだよ。見てみろよ、このザマを。俺のモノが凄すぎて、イキすぎて失神してやがる。もう俺の身体じゃなきゃ満足できねえ身体に開発してやったんだよ!』
権堂の自信に満ちた下卑た言葉を聞いた瞬間、喉の奥から、どうしても抑えきれない笑いが込み上げてきた。
「プッ……、クククッ……! ダメだ、マジで笑いが止まらない……。こんなシリアスな場面で冗談を言うなよ、プハハハハ!」
『あぁ!? 何がおかしいんだ、この負け犬が!』
「おい、権堂。お前、本当に哀れな男だな。彩香を何一つ理解しちゃいない。そんなお前程度の安っぽいテクニックで、彼女が満足するわけがないだろ」
『あんだと!? 現に今も目を回して動けねえじゃねえか!』
「本当にバカだな。頭の中まで筋肉で詰まってんのか? ――演技に決まってるだろ。僕が来るまでの時間を稼ぐために、お前を油断させてただけだ。なぁ、そうだろ? 彩香」
ベッドの上の彩香が、ゆっくりと上体を起こし、いたずらっぽく微笑んだ。
「うふふ……もう、井上さん、せっかくの名演技だったのにバラしちゃダメじゃない。――ねぇ、そこの筋肉ダルマさん。あなた程度の短小で早漏なオモチャで、この私がイクわけがないじゃない。やっぱり、私は井上さんのあの太くて狂暴なモノじゃないと満足できないのよ?」
『……んだとてめえら!!! マジでぶち殺してやる!!!』
男としてのプライドを完全に粉砕された権堂は、顔の血管を破裂しそうなほどに怒張させ、雄叫びを上げながら突っ込んできた。僕は咄嗟に傍らにあった鉄製の事務椅子を掴み、その脳天めがけて思い切り叩きつけた。
ガシャァァン! と、衝撃で椅子のフレームがグニャリと不自然にへし曲がる。
流石の権堂も頭部から大量の鮮血を流し、目をパチパチとさせて視界を揺らがせた。その隙を見逃さず、僕は手にしたパイプで奴の顔面を何度も何度も執拗に殴打した。
しかし、権堂の肉体は文字通り規格外だった。顔面をボコボコにされながらも、奴はその痛みを無視して突進すると僕の腰に腕を回し、強引にその場に組み伏せてきたのだ。
至近距離での泥仕合。僕は奈穂から借りたフルフェイスのヘルメットを被ったまま、奴の顔面めがけて何度も何度もヘッドバットを見舞った。硬質なシェルが男の鼻腔を砕くと、権堂は僕のヘルメットに手をかけると、強引にそれを引き剥がして床へと放り投げた。
『やっと捕まえたぞ、クソガキ……っ! そのまま首を吊ってあの世へ送ってやる!』
凄まじい握力と腕力で僕の喉元が掴まれ、身体が徐々に天井に向けて持ち上げられていく。
『観念しろ。今すぐ楽にしてやる』
「……だったら、早くしろよ、早漏野郎が……っ」
『なんだとおおおおおお!!!』
首を絞められ、意識が薄れゆく中で一つの確信を得ていた。
昨夜の戦闘時もそうだったが、この権堂という男には、僕を殺すという明確な殺意がない。本当に殺すつもりなら、最初から喉仏を握り潰すか、ナイフで目を突けばいいのだ。こいつが求めているのは純粋な暴力による支配であり、僕をいたぶり、屈服させて謝罪させたいという傲慢な欲求に過ぎない。
殺しに来ないのなら――必ず、逆転のチャンスはある。
とは言え、締め付けられる首の苦痛により、次第に視界の周囲が狭くなり、脳裏が白く染まっていく。
『……ウッ!?』
突然、僕の首を絞めていた権堂の腕から、目に見えて力が抜けた。肺に酸素が戻り、ぼやけていた視界が急速にピントを結ぶ。
『が、あぁぁぁッ!? この、売女がぁぁぁ!!!』
権堂が激昂して視線を下に向ける。そこには床に落ちていたナイフを拾い上げて権堂の剥き出しの脇腹へと深々と突き立てている、彩香の姿があった。
(マズい、彩香が殺される――!)
「彩香、逃げろ!!」
権堂は僕を片手で吊り下げたまま、もう片方の巨大な手で彩香の美しい髪を掴み、そのまま彼女の頭蓋骨を握り潰さんばかりの力で凄まじい力を込め始めた。この怪物の握力なら、か弱い女性の頭など、熟したトマトのように容易く破壊できてしまう。
彩香の美しい顔が歪む、潰されてしまう――。僕は必死に足を伸ばして奴の腕を蹴り落とそうとしたが、首を絞められていたせいで満足に力が入らない。
しかし次の瞬間、権堂の全身の筋肉から、突然完全に緊張が抜けた。
「……わたしが、殺す」
激しく咳き込みながら顔を上げると、権堂の太い首筋の真横に、肉厚のナイフが根元まで深々と突き刺さっていた。
そして、膝から崩れ落ちていく巨体の背後に、冷徹な仁王立ちでナイフの柄を握り締めていたのは――冬子だった。
だが、まだだ。この化け物は、これだけの致命傷を受けても狂乱状態で最後の反撃に出る可能性がある。確実に息の根を止めなければ終わらない。
「ありがとう冬子。……でも、このクズを殺すのは僕の役目だ」
僕はリュックのサイドポケットから、雪乃の家から回収してきた長細い刺身包丁を引き抜いた。
そして、床に膝をつく権堂の首筋に向けて、全ての憎悪を乗せて横一線に刃を振り抜いた。
凄まじい肉の裂ける音と共に、僕の目の前から権堂の顔が消えた。
ゴロン、ゴロゴロ……と、重々しい音を立てて権藤の頭部が床を転がっていく。
直後、切断面からおぞましい量の動脈血が噴き出そうとしたため、僕は首を失った権堂の巨体を、思い切り向こう側へと蹴り飛ばした。
※少し過激な性描写や表現もありますから、ミッドナイトノベルに移行中です




