執念
足を引きずりながら、ベランダの方へと一歩一歩這い進む。メルセデスの鍵も奴らに奪われているだろう。
こうなったら、力尽くでコンビニの防壁をぶち破り、正面から突入するしかない。
突入して、あの店長と佐藤を殴り倒し、そして――権堂を。あの化け物のような権堂を、僕の手で……。
(……倒せるのか? あの怪物を、この身体で……無理だ、今の僕が倒せるイメージが湧かない……)
弱気な思考が脳裏を過る。だが、すぐに頭を振って打ち消した。ここで僕が退けば、あの三人の女たちの命も、尊厳も、全てが文字通り貪り尽くされて終わる。弱気になってたまるか。
「井上さん……っ! 大丈夫ですか!? 口からたくさん血が……っ」
ただならぬ騒動と銃撃戦にも似た破壊音を聞きつけてか、荷物をまとめた奈穂が背後から声をかける。
「雪乃と冬子……それに、彩香がコンビニの中に連れ込まれた」
「知っています……。わたしも、彩香さんと一緒に見ていました。彩香さん、本当は身体がちぎれそうなほど震えて涙ぐんでいたのに……井上さんを助けるために、あの化け物の前へ出て行ったんです」
「彩香……。怖かっただろうに、僕のために……っ」
「彩香さんは、下へ降りる直前、わたしにこう言いました。『マサキさんが絶対に無茶をして助けに行かないように、あなたが側で見ていてあげて』って……」
彩香の想いが僕の心を奮い立たせる。
「……ぐっ。彼女には本当に悪いと思うが、僕は行くよ。見殺しになんてできるわけがない」
僕の悲壮な決意を聞くと、奈穂は制止するどころか、その凛とした美しい顔にふっと微笑を浮かべた。
「流石は、わたしが選んだ井上さんです。……正直、あの男は死ぬほど恐ろしいけれど、わたしも一緒にお手伝いします!」
「ありがとう、奈穂。助かる」
しかし、どうすればあの堅牢なコンビニのに侵入し、三人を取り戻せるか、方法が思い浮かばない。
怒りに任せて裏口の鉄扉をパイプで叩き壊そうかとも考えたが、あまりにも現実的ではない。成功しても突破した瞬間に権堂の迎撃に遭うのがオチだ。
しかし、時間をかければそれだけ中の三人が蹂躙され、玩具にされてしまう確率が上がっていく。
理想は、奴らの不意を突き、思考能力を完全に奪った瞬間に全員を拉致するように救出すること。だが、言葉で言うほど容易ではない。
「コンビニって、防犯のために外からは徹底的に閉鎖されてますからね。……昔ニュースで見た『コンビニ強盗』の映像とかを思い出しても、大抵はレジ前で押し問答になるか、あるいは――」
「コンビニ強盗……。待てよ、それだ。奈穂、君はバイクに乗れるか?」
「乗れますよ! 元カレの直くんが中型に乗っていたので、わたしも影響されて免許を持っています」
「よし、401号室の黒木の部屋からヘルメットとバイクの鍵を取ってきてくれ。ある場所まで、僕を後ろに乗せて運転してほしい」
内臓を激しく損傷している僕の身体は、まだ自分の意志でまともに四肢をコントロールできなかった。奈穂は瞬時に状況を理解して最上階へ駆け上がり、すぐさまフルフェイスのヘルメットと鍵を携えて戻ってきた。
僕は彼女の引き締まった腰にしがみつき、激痛に耐えながら、血の混じった声で行き先を告げた。
信号も警察も消滅した無法の街をノンストップで疾走し、わずか数分で、昨夜離れたばかりの雪乃の自宅へと舞い戻った。
「奈穂、ありがとう。君は今すぐこのバイクでマンションに戻り、クラクションを鳴らして周囲のゾンビを可能な限りコンビニの正面玄関前に引き集めてくれ。群れが集まったら、すぐにベランダの梯子から上の階へ避難するんだ。……それと、悪いがそのヘルメットを僕に貸してくれ」
「分かりました。……でも、井上さんはここで何をする気ですか? それだけは教えてください」
「あのコンビニに、車で正面から突入する。どのみち秩序が崩壊した世界だ。あの店長たちの拠点を残しておけば、いずれ他の略奪者たちの標的になって僕たちの上の階まで脅かされる。根こそぎ破壊して、ゾンビを突入させて奴らを炙り出す」
「ふふ……井上さん、どんどん冷静で怖いくらい鋭くなってきましたね。――死なないでくださいね。チュッ」
奈穂は僕の頬に可愛くキスをすると、すぐさま排気音を轟かせてマンションへと引き返していった。こちらの期待を遥かに上回る有能さと、極限状態をどこか楽しんでいるかのような強靭な精神。彼女を仲間に引き入れたのは、大正解だった。
雪乃の家の前には、昨夜あの男たちが乗ってきた黒い4WDが放置されたままになっていた。運転席の窓から中を覗き込んだが、やはりイグニッションに鍵は刺さっていない。
僕は急いで雪乃の家の中に足を踏み入れた。リビングには、昨夜の惨劇のまま、男たちの冷たくなった死体が転がっている。すでに死後硬直が始まっており、肉に食い込んだナイフは容易には抜けなかったが、全体重をかけて強引に引き抜いた。二本の血塗られたナイフをリュックに放り込む。
さらに台所の収納を乱暴に開けると、刃渡りの長い見事な出刃包丁が見つかった。それをリュックのサイドポケットに深く突き刺す。
(時間がない……急がなきゃ、三人が……!)
死体のポケットを漁ると、ビンゴだ。ジープのキーが見つかった。僕はそれをもぎ取り、外へ飛び出してジープの運転席へと滑り込んだ。
キュルル、と重厚なセル音が響き、大排気量のエンジンが咆哮を上げる。四輪駆動の本格的なオフロード仕様だけあって、視界が異常に高い。
アクセルを床まで踏み込み、再びマンションへと車を急がせる。脳内にあるのは迷いではない。ドス黒く沸騰する怒りと、執念だけだ
※少し過激な性描写や表現もありますから、ミッドナイトノベルに移行中です




