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権藤

奈穂の勧誘にも成功した。僕は彼女に、今日中にマンションの要塞化を進め、最終的には最高階の7階をシェルターとして全員で移住する計画を大まかに説明した。


「301号室の黒木さんも、井上さんのパートナーなんですか?」


「ああ。彼女はコミュニティの核となる大切な右腕だ」


「お名前だけは噂で知っていました。すごくお綺麗で上品な方だから、密かに憧れていたんです。一緒に暮らせるなんて、なんだか少し嬉しいな……」


「それなら、さっそく挨拶に行こうか。君の身体能力なら、今すぐ下に降りられるだろう?」


「はい! お任せください!」


流石は国体に出場するほどのアスリートだ。排水管を使った昇降のコツを教えると、彼女は躊躇うことなく、いとも簡単に3階へと滑り降りていった。


「初めまして! 402号室の河合奈穂と言います。これからよろしくお願いします!」


「黒木彩香よ。よろしくね、奈穂ちゃん。――ふふ、井上さんの女になる決心がついたのね? 昨日の夕方、この部屋にまで可愛い声が響いていたわよ」


「あ、あれは……っ! 井上さんに夢中にさせられて、無理やり言わされたんですぅ……っ!」


「うふふ、いいのよ。あなたの気持ち、痛いほどよく分かるわ。これからみんなで仲良くしましょうね」


二人の女性が思いのほかスムーズに打ち解けるのを見て、僕は胸を撫で下ろした。


「それじゃあ、奈穂は急いで部屋に戻って荷物をまとめてくれ。彩香は僕と一緒に1階へ降りて、車で待たせている二人と合流しよう。……だけど彩香、その綺麗な服とスカートで排水管を降りられるかい?」


「あら、わざわざそんな危ない真似をしなくてもいいの、降りるのに排水管なんて使わないわよ?」


「え? だけど中央階段にはゾンビが屯しているだろ?」


「あはは、あなたまだここに入居して数ヶ月だから知らないのね。このマンションのベランダには、火災などの緊急時用に簡易式の避難ハッチと折り畳み階段が設置されているのよ。毎年管理会社が点検に来ていたから、問題なく使えるはずよ」


彩香が指差したベランダの床を見ると、確かに四角い金属製のハッチが存在していた。蓋を開けると、下階へと続く強固な金属製の折り畳み梯子が収納されていた。彩香曰く、目立つ脱出方法だったため脱出までは使いたく無かったと話した。


奈穂が素早く排水管を登って荷物を取りに戻るのを見送り、僕と彩香は避難ハッチの階段を使って下へと降りていった。2階のベランダを経由し、何の問題もなく1階に降り立つ。

駐車場に停めてあるメルセデスへ向かおうとした――その瞬間、静まり返ったマンションの敷地に、引き裂くような悲鳴が響き渡った。


『やめて! 離してよ!! 井上さん、助けてーーーっ!!!』


「雪乃の声だ……っ! 何が起きた!?」


「マサキさん、早く行って!!」


彩香に背中を押され、僕は手にした鉄パイプを強く握り締め、声のする方向――メルセデスの駐車スペースへと全速力で駆け出した。


『おい、大人しくしろ! 早く来い、声を出すと顔面を包丁で切り裂くぞ!!』


『嫌っ! 触らないで、放してよ!!』


視界が開けた先、メルセデスのすぐ傍らで、雪乃と冬子が二人の男に背後から鋭利な包丁を突きつけられ、身動きを封じられていた。

男たちの顔を見て、僕は思わず目を見開いた。コンビニに籠城していたはずの、店長と佐藤だった。

状況は最悪だ。しかし、相手はあの店長とバイトの佐藤くんだ。あの二人程度なら、その気になれば力尽くでどうとでも捻り潰せる。


コンビニの裏口の角を曲がったところで、僕は肺の腑から震えるような大声で怒鳴りつけた。


「そこまでだ!! 二人からその汚い手を離せ!! 今すぐ放すなら、命だけは保証してやる!!」


『ち、店長! グズグズしてるから、井上さんが来ちゃいましたよ!』


『お、お前が余計な色気を出して、車から引きずり出した瞬間に雪乃の胸なんか触りだすからだろ! コンビニの中に連れ込むまで我慢しろって言っただろ!』


『早く放しなさいよ! あんたたちみたいな底辺クズじゃ、井上さんに逆立ちしたって勝てないんだからね!』


『ううう……っ、このキモオヤジ、不潔だから放しなさいよ!』


店長に強引に口を塞がれながらも、冬子が必死に身体をよじって抵抗する。


『うるせえ、黙れ! 本当にブスリと刺し殺すぞ、あぁ!?』


狂乱状態で包丁を振り回す店長。だが、その目は恐怖で泳いでいた。彼には人を刺す度胸などない。ただの虚勢だ。

僕は不意に、先ほどコンビニの裏口で見かけた、無残な姿でゾンビ化していた従業員の広瀬さんの姿を思い出した。


「店長、一つだけ聞かせろ。――広瀬さんは、なぜ死んだんだ?」


『えっ……ひ、広瀬さんが死んだの!? まさか、店長と佐藤くんが殺したの……っ!?』


佐藤に捕らえられている雪乃が、驚愕に目を開く。


『俺、俺はやってない! あれは俺たちのせいじゃない! 全部、権堂さんがやったんだよ!!』


「権堂……?」


その不穏な名前に眉をひそめた、次の瞬間だった。


ガガシィィィンッ!!!


後頭部に、大型トラックに跳ね飛ばされたかのような凄まじい衝撃が加わった。

視界が激しく暗転し、脳を直接揺さぶられた強烈な脳震盪で、僕はその場に崩れ落ちた。何が起こったのか、まったく理解できなかった。


遠のいていく意識の向こうで、雪乃と冬子の悲痛な絶叫が木霊している。

足から完全に力が抜け、地面に這いつくばる。……マズい、このままでは二人が連れて行かれてしまう……。


『はぁ、はぁ……渡さない、彼女たちは渡さない!』


『ほぅ、俺の背後からの不意打ちを喰らって、まだ意識を保っていやがるのか。中々タフじゃねえか、お前。……何だよ店長、お前らはこんなガキ二匹すらまともに連れて来れねえのかよ』


視界の端に、信じられないほど巨大な男の影が映り込んだ。

男は僕を完全に無力化したと確信しているのか、不敵な笑みを浮かべながら悠々と背中を向けて歩き出した。その背筋は、異常なまでの筋肉の塊で盛り上がっている。

激痛と共に、徐々に身体の感覚が戻ってきた。僕は執念で右手を動かし、リュックから引き抜いた鉄パイプを握り直した。死力を振り絞って立ち上がり、音を立てずに男の背後へと忍び寄る。

(死ね――!!)

全体重を乗せ、男の後頭部めがけて鉄パイプを思い切り振り下ろした。


ガツゥゥンッ! と硬質な破壊音が響く。だが――。


『……あ? 痛えな。おいおい、いきなり道具を使うなんて、卑怯じゃねえか?』


嘘だろ……。直撃したはずの鉄パイプを頭に受けながら、男は首を少し傾げただけで、全く効いている様子がなかった。


「うわあああああ!!!」


半狂乱になった僕は、パイプを何度も男の身体へ叩きつけた。


バシッ! バシッ! バシッ!


『――うぜぇんだよ、お前!!!』


強烈な裏拳が、僕の顔面に炸裂した。

視界の中で無数の星が瞬き、激しい衝撃と共に僕は再びコンクリートの床へと叩きつけられた。受け身すら取れなかった。……こいつ、人間じゃない。化け物だ。


「井上さんーーーっ!!!」


パーン! パーン!


叫び声をあげて僕に駆け寄ろうと藻掻く雪乃と冬子の頬を、男は容赦なく力任せに張り飛ばした。その凄まじい衝撃だけで、二人は脳を揺さぶられ、その場にがっくりと項垂れて崩れ落ちた。


『二人とも、まだただのガキじゃねーか。俺はもう少し肉のついた大人の女が好みなんだがなぁ……。まあ、ツラと発育は極上だから、たっぷり楽しんでやるよ。おい店長、佐藤、そいつらを奥へ連れてけ。俺が味わった後、お前らにもヤらせてやるからよ』


『こ、権堂くん……その、1人は先にこちらに回してくれないかね? 君は手加減を知らないから、すぐに壊してしまうだろう?』


『あぁ? おい店長。昔の職場の上司だからって、調子に乗ってんじゃねえぞ? ぶち殺すぞ?』


『い、いやいや、滅相もない……! 私はただ、生き残っている貴重な女性ですから、優しく扱って長く使用するべきかと提案しただけで……』


『まあ、確かにそれは一理あるな。玩具は少ないとつまらねえ。俺好みにじっくりと飼育してやるのも悪くねえな』


殴る……使用……飼育……。

こいつらは、あの美しい姉妹を、一体何だと思っているんだ。


激痛で折れかけていた心に、ドス黒い怒りの業火が灯った。雪乃と冬子は、僕が命に代えても守ると誓った女たちだ。もし、このままあのコンビニの中に連れ込まれてしまえば、救出することは完全に不可能になる。今、ここでこいつを仕留めなければ、全てが終わる。


「待てよ……っ。そんな真似……絶対に、許さない……っ!」


『井上さん、もうやめとけよ! 無理だって! 権堂さんは、大学リーグでも有名だった現役のアメフト選手なんだよ! ピストルでも持ってなきゃ勝てるわけねえだろ! 頼むから1人で逃げてくれよ、俺だってあんたがここで挽き肉にされるところなんて見たくないんだよ!』


佐藤が悲痛な顔で僕を制止するが、引けるわけがなかった。死んでも、ここでこいつらを殺す。


「井上さん……もう、いいよ。私たちのことは、諦めて……っ。ねぇ、お姉ちゃん……」


「雪乃の言う通りだよ、マサキさん。……短い間だったけど、幸せをくれて、ありがと……」


二人が絶望を受け入れたような虚ろな目で、僕に最後の別れを告げる。


『なんだぁ? お前ら、姉妹だったのかよ! ハッハハハ、最高じゃねえか! 仲良く並べて姉妹丼で楽しんでやるぜ!』


「うおおおおおおおおお!!!」


怒りが頂点に達し、僕の脳の血管が千切れるような咆哮が響いた。許さない。絶対に、お前のようなクズに、あの二人を指一本触れさせてたまるか!!

立ち上がった僕は、残された全ての力を右腕に込め、鉄パイプを男の脳天めがけて振り下ろした。


ガツゥゥン!!!


確かな手応えと共に、男の額から鮮血が激しく飛び散った。

(いける、やれる! こいつだって同じ人間だ!!)

僕は狂ったように再びパイプを振りかぶり、思い切り振り下ろそうとした――。


ボフォッ……。


鈍い衝撃の直後、僕の腹部に、言葉にできないほどの凄まじい激痛が走った。


「ゴホッ……ゴボッ、ゴボォッ……!!!」


激しく咳き込むと、口内から大量のどす黒い鮮血が噴き出した。男のストレートが、僕の腹部を正確に打ち抜いたのだ。内臓が完全に破裂した感覚がした。


『……いってえな、クソが。これは流石に洒落にならんわ。――お前はここで確実に殺す』


視界が揺れ、身体がふわりと宙に浮いた。男の巨大な丸太のような手が、僕の首を容赦なく締め上げ、持ち上げたのだ。足が地面から離れ、気道が完全に押し潰される。息が、出来ない。

脳への酸素が遮断され、徐々に視界の周りから暗転し、意識が白濁していく……。


「――ちょっと待って!!!」


静寂を切り裂くような鋭い声が響いた瞬間、僕の首を絞めつけていた圧倒的な力がふっと緩み、激しく咳き込みながら視界を取り戻す。


『……うはっ、こりゃあ、またとんでもねえ、極上なオンナが出てきたな』


「その人を放しなさい。……もし、その人を無事に解放して生かすと約束するなら、私があなたの、新しい玩具になってあげるわ」


凛とした声で交渉を持ちかけたのは、彩香だった。


『ほう……乗った。その取引、乗ってやるぜ。この男は解放してやる。まぁ、そこらのゾンビに生きたまま喰い殺されても、俺の知ったことじゃねえけどな』


「いいわ。とにかく、その人を地面に降ろして」


(彩香……! 何を言っているんだ、彩香……っ! 僕を助けるために、自分を犠牲にするなんて、ダメだ、止めなきゃいけない……っ!)

心の中で狂ったように叫ぶが、破裂した内臓の激痛のせいで、指一本すら動かすことができなかった。


地面に這いつくばる僕の頭を、彩香がそっと優しく撫でた。


「あなたは生き延びて、ここから逃げて。私は大丈夫よ……岡田が、この男に代わるだけのことよ」


その悲壮な、だがどこか妖艶な覚悟を秘めた瞳を見つめることしかできなかった。

薄れゆく視界の向こうで、店長と佐藤に両腕を掴まれ、引きずられるようにしてコンビニの裏口へと連れて行かれる雪乃と冬子の姿が見えた。二人は、涙で顔を濡らしながら、絶望に満ちた目で僕をじっと見つめていた。


(待て……っ! 二人を、彩香を連れて行くな……っ!!!)


喉の奥から声を振り絞って叫ぼうとしたが、再び激しく咳き込み、口から溢れ出た鮮血が喉を詰まらせて言葉にならない。


そんな僕の事など気にする素振りもなく、店長たちは二人の姉妹を薄暗いコンビニの内部へと連れ込んだ。彩香もまた、権堂の太い腕にその細い肩を抱かれ、満足げな男の笑い声と共にコンビニに消えていく。


バタン、と重厚な裏口のドアが閉められ、内側からカチリ、と絶望的な施錠の音が響き渡った。

※少し過激な性描写や表現もありますから、ミッドナイトノベルに移行中です

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