油断
「井上さん起きて! 雪乃ちゃんの家に、不審な車が停まっているの」
彩香と夕食を共にしたあと、隣の自室に戻ろうとした僕を、彩香が「今夜はここに泊まってほしい」と引き留めた。断る理由もなかったため、彼女のベッドで眠りについていた時のことだ。
夜通し双眼鏡で街の様子を監視していた彩香が、緊迫した声で僕を揺り起こした。
「黒い車が止まって、若い男が二人降りていったわ。雪乃ちゃんの家の敷地に入っていくのが見えたの」
「双眼鏡を貸してくれ」
受け取ったレンズを覗き込む。薄闇に紛れる雪乃の家の駐車スペースには、見覚えのある黒い4WDが停車していた。
あの付近に不自然に放置されていたのは知っていたが、てっきり乗り捨てられた車両だとばかり思い込んでいた。
だが、違っていたのだ。奴らはあの車に潜み、周囲を監視していた。そして、僕が戻らないと確信して動き出したのか
(……待てよ。だとしたら奴らは、僕がこのマンションにいることも知っているということか)
背筋に冷たいものが走る。僕は急いでライダースの革ジャケットと頑丈なレザーパンツを身に付けた。
「やっぱり行くのね」
「当たり前だ。雪乃のことは、何があっても守ると約束したからな」
「下のゾンビたちは大丈夫かしら……」
「この厚手の革服なら、多少噛まれたところで牙は通らない。致命傷にはならないはずだ。動きを封じられたらアウトだけどな」
「とにかく気を付けて。お願いだから、絶対に生きて戻ってきて」
隣の自室に駆け込み、スチールラックを力任せに蹴り倒して解体した。そのフレームから50センチほどの頑丈な鉄パイプを2本抜き取り、リュックのサイドポケットに突き刺す。
ベランダに出て排水管を伝って一気に2階のテラスまで滑り降りた。すぐ真下には、僕の気配を察知した5匹のゾンビが、飢えた手を必死に伸ばして蠢いている。その周囲にも点々と死体が群がり、僕のメルセデスが停まっている駐車場までのわずかな距離に、およそ30匹ほどのゾンビが徘徊していた。
ポケットからメルセデスの電子キーを取り出し、暗闇の中で解錠ボタンを押す。
ピピッ、と静まり返った夜の空気に電子音が響き、ゾンビたちの首が一斉に車の方へと向いた。
(使える――!)
瞬時に判断した僕は、そのまま解錠ボタンを連打した。
ピピッ、ピピッ、ピピッ、ピピピピ――!
執拗に鳴り響く電子音に、ゾンビたちの全意識がメルセデスに集中する。その隙を突き、僕は2階のベランダからひと思いに飛び降りた。爪先から着地し、そのまま前方倒立回転で衝撃を逃がす。何体かのゾンビの足に身体が接触したが、構わず極限まで姿勢を低くしたまま駆け抜けた。
イメージ通りの動きだった。ゾンビは立位のまま視覚と聴覚で獲物を追うため、腰より下の低い位置を高速で移動する物体を捉えるのは困難だと考えたのだ。
ゾンビの群れは抜けた、密集地帯の裏をすり抜け、メルセデスの運転席のドアへと走る。しかし、1体のゾンビがドアノブに手を掛け、車内へ侵入しようと弄っていた。
「邪魔だ! その車に触るな!」
ゾンビの服を掴み、力任せに引き剥がそうとした瞬間、その死体が振り返った。
月光に照らされたその顔を見た瞬間、全身の血液が凍りつくような衝撃が走った。
「なっ……、岡田……さん!?」
それは、首を切り落とされて死んでいたはずのマンションオーナーの岡田だった。僕はせめてもの情けとして、胴体の横にその首を置いてやったはずだった。それが、なぜか動いている。
(まさか、切断された頭部と胴体が再び繋がったのか……!?)
驚愕して動きが止まりそうになるが、すぐに思考を振り切った。
「そんなことは、今はどうでもいい! 雪乃を助けに行かなきゃならないんだ!」
リュックから鉄パイプを引き抜き、岡田の顔面を渾身の力で横殴りにした。凄まじい破壊音とともに、岡田の頭部はあっけなく胴体から千切れて夜の闇へと転がっていった。やはり完全には結合していなかったのだろう。
運転席に滑り込み、狂ったようにエンジンを始動させ、アクセルを踏み込んだ。
車を出すことには成功した。だが、本当の闘いはこれからだ。
あの男たちの目的が何であるかなど、考えるまでもなかった。
(僕は馬鹿だ……。圧倒的に危機感が足りていなかった)
深く考えずとも分かるはずだった。秩序も警察も消滅したこの暴力の世界で、守る者のいない一軒家に、あんなに美しい姉妹が2人だけで残されているのだ。近所の善良だったはずの男が、欲望に狂って襲撃に及んだとしても何ら不思議はなかった。
雪乃があれほど「嫌な予感がする」と怯えていたのに……
「クソッ――!」
無意味だと知りながらも、激しい怒りと悔恨のままにステアリングを力任せに叩きつけた。
すべては僕の不注意、慢性が招いた事態。
それでも……
「もし、あの姉妹に少しでも傷をつけていたら、絶対に殺してやる……!」
大切な女たちを蹂躙する奴らは、決して許さない。
怒りで脳が沸騰し、具体的な救出作戦も考えずに車を雪乃の家の前に滑り込ませた。
気配を殺して玄関に近づき、ドアノブを静かに回す。――施錠されている。
「チッ……」
小さく舌打ちをしながら、庭に回り込んでLDKの大きな掃き出し窓へと向かった。カーテンの隙間から、男たちの下卑た話し声が漏れ聞こえてくる。
『あ~、気持ちいいぜ。やっと冬子とヤれたわ。糞暴れやがったから手こずったけど、マジで感無量だわ』
『ハハハ! 妹みたいに最初から素直にしてりゃ優しくしてやったのになぁ。にしても、最近の女子高生はフェラが上手えな。入れる前に果てちまいそうだぜ』
『うっ……ううっ……、最低のクズ……っ。終わったら帰って……』
『帰るさ。お前ら二人も、一緒に連れてくけどな』
『毎日たっぷり可愛がってやるからよぉ!』
割れたカーテンの隙間から中を覗き込む。
薄暗いリビングの机に押し付けられ、後ろ手に縛られた状態で背後から挿入されている冬子の姿が見えた。そして、ソファに踏ん反り返る男の前に正座させられ肉棒を咥えさせられている雪乃の姿が見えた。
机の上には、彼女たちを脅すために使われたであろう剥き出しのナイフが置かれていた。
目の前で、僕の女たちが陵辱されている。
激しい怒りが脳の許容量を超え、視界が真っ赤に染まった。もはや細かい戦術などどうでもよかった。
「そのガラスが、邪魔なんだよ……」
ガシャーーーン!!!
庭に放置されていた家族用の自転車を担ぎ上げ、渾身の力でガラス窓へと投げつけた。猛烈な破壊音が響き渡る。
『なんだぁ!?』
『何が起きた、クソッ!』
割れたガラスの隙間から手を差し込んでクレセント錠を解錠し、室内に突入した。
男たちが狼狽する隙を見逃さず、素早く歩み寄ると冬子を背後から犯していた男の頭部めがけて、手にした鉄パイプを容赦なく振り下ろす。最初から頭蓋を叩き割るつもりで、全体重を思い切り乗せた一撃、鈍い破砕音とともに男が崩れ落ちる。
ソファの方へ視線を走らせると、雪乃にフェラチオを強要していたもう一人の男が、あまりの恐怖に完全に硬直していた。迷わず踏み込み、その顔面を鉄パイプで横殴りに薙ぎ払った。
さらに、冬子の後ろで頭を押さえて倒れ込んでいる最初の男の服を掴み、強引に引き剥がす。倒れこんだその顔面に、容赦なく硬質のブーツで蹴りを見舞った。床にのたうち回り、激しく血飛沫が舞う。
「や、やめてくれ! 悪かった、出ていく、出ていくから……っ!」
ソファの男が血塗れの顔で命乞いを口にしているが、そんな雑音は耳に入らなかった。ただ機械的に、手にしたパイプで男たちの肉体が動かなくなるまで叩きのめし続けた。
「井上さん……っ! ありがとう……怖かった、すごく怖かったよぉ……っ!」
机の上のナイフを手に取り、泣きじゃくる雪乃の後ろ手に回されたロープを素早く切断した。そのまま冬子の方へと歩み寄り、はだけていたスパッツを丁寧に上げてやってから、彼女の拘束も解いた。
「わたし、あのクズに犯されちゃった……」
絶望に震える冬子の身体を、僕はただ何も言わずに強く抱きしめることしかできなかった。
※少し過激な性描写や表現もありますから、ミッドナイトノベルに移行中です




