フォーマル
「明日ですか……それはまた、随分と急な話ですね」
「白崎院長がすぐに手を回してくれたみたいなんだ。それだけ君の書いてくれたレポートに可能性を感じたんだと思うよ」
マンションに戻り、みんなで冬子の用意してくれた夕食を済ませて一息ついたところで、僕は冬子と明後日の打ち合わせをしていた。
「評価していただけてすごく嬉しいです。明日はいよいよ私の出陣ですね……! ……あっ、どうしよう」
「どうしたの?」
「着ていく服がない……! さすがにこの格好じゃマズいですよね?」
冬子の格好といえば、上はダボッとしたパーカーに下は黒のスパッツという極めてラフなスタイルだ。個人的には、彼女の柔らかい雰囲気と細くしなやかな脚のラインが際立っていて大好きなのだが、社会的地位のある人物が集まる場に着ていくには、流石に不釣り合いと言わざるを得なかった。
「雪! あなたの服を貸して!」
「お姉ちゃんは細いから、私の服を着てもブカブカだと思うよ? それに、私フォーマルな服なんて持ってないし」
「フォーマル……! そうか、それがあったか!」
冬子は大声で雪乃に助けを求めたが、二人の背丈は同じくらいでも、雪乃が女の子らしい肉感的な体つきをしているのに対し、冬子は骨格そのものが華奢で細い。服が合わないのも頷けた。
そして冬子は何かに思い至ったように目を見開くと、自分の荷物が入ったカバンを床にぶちまけて捜索を始めた。
「あった! 私の唯一のフォーマル!」
「それ、おじいちゃんが亡くなった時に買ってもらったお葬式用の喪服でしょ……?」
「いいの! いつもの服よりはマシだから!」
取り出されたのは、誰がどう見ても冠婚葬祭用の漆黒の喪服だった。服装は二の次とはいえ、白崎院長や今回招かれている明光医科学研究所の所長と初めて面談する席に喪服で現れるのは、流石に印象が良くないだろう。
「そうだ、601号室の若宮さんに相談してみないか?」
「いいかも! 若宮さんって、いつもすごく上品な服を着てるもんね」
僕と冬子は、早速601号室の若宮千里の部屋を訪ねることにした。
「まあ、冬子さんのお召し物ですか? わたくしの物で良ければ、喜んでお貸ししますわ」
事情を説明すると、千里は快く応じてくれた。
「ですが……冬子さんはとてもスマートでいらっしゃいますから。……あ、少々お待ちくださいね。わたくしの若い頃の服でしたら、サイズがぴったり合うかもしれません」
千里は少し考える仕草を見せると、奥の部屋へ衣装を探しに行ってくれた。
「……すごく上品なお宅ですね」
冬子が千里の部屋に入るのはこれが初めてだったろうか。洗練されたインテリアや彼女の人柄を含め、まさに良家の奥様といった雰囲気が漂っている。
「部屋の佇まいもご本人も、すごく品があるよね」
「はい、私もそう思ってました」
しばらくすると、千里は何着もの洋服を腕に抱えて戻ってきた。数年前の物のようだったが、どれも丁寧に手入れされて保管されており、古さを感じさせない高級感があった。
「大切なお話し合いだと伺いましたし……例えば、この組み合わせなどはいかがかしら?」
千里が勧めてくれたのは、濃紺のジャケットに白いブラウス、そしてタイトスカートの組み合わせだった。色や形自体はスタンダードなものだが、上質な生地と美しい仕立てのおかげで、一目で仕立ての良い高級品だと分かった。
「すごく素敵だ。間違いなく冬子に似合うと思うよ」
「本当ですか……? それでは、お借りして試着させていただいても?」
「もちろんですわ。こちらがドレッシングルームになっておりますの」
二人は奥の部屋へと消えていき、やがて千里だけがリビングへと戻ってきた。
「千里さんは、本当にお洋服がお好きなんですね。もしかして、以前はお洋服関係のお仕事を?」
「井上さんは本当に良く観察していらっしゃいますね。……ええ、幼い頃からお洋服が大好きで、昔はデパートのアパレル部門に勤めておりました。それに若い頃は、今の冬子さんみたいにとても細かったんですよ? 今ではすっかり丸くなってしまいましたが……」
千里は少し照れくさそうに微笑んだ。確かに女性らしい肉付きはあるものの、ウエストや脚が太いわけではなく、大人の女性としての艶やかな魅力に溢れていた。
「災害前は、よく買い物に行かれていたんですか?」
「はい、お買い物は大好きでした。ついつい買いすぎてしまうのですが……主人は一度も咎めることなく、いつも優しくすごく似合ってるよって言ってくれて……」
「……とても素敵なおご主人だったんですね」
「はい……うぅ……ごめんなさい。もう主人は……帰ってこないのに……」
千里の目から溢れ出た涙が、ポロポロと頬を伝っていく。
彼女が夫を想い続けているのは知っていた、だから彼女と身体の関係になるのを先延ばしにしてきていた。あれから暫く経つが彼女は変わらずご主人を愛しているようだった。
「僕は今、警察の手伝いで生存者の捜索や救助を行っています。崩壊から時間が経った今でも、奇跡的に見つかる方はいるんです。だから……ご主人も生存されている可能性はゼロではありません。……ただ、気安く楽観的なことは言えませんが……」
「……ええ。……そうですよね」
彼女を励ましたかったが、軽々しい希望を与えるような嘘はつけなかった。
「そうだ、今度僕と一緒に外に出てみませんか? 千里さんも、ずっと部屋に閉じこもっているのは良くないですし」
「井上さんが連れ出してくださるなら、喜んでお供いたしますわ」
千里は目元を拭うと、どこか晴れやかな笑みを浮かべた。
「じゃじゃーん! どうですかっ!? 私的にはめちゃくちゃ可愛いと思うんですけど!」
千里と話していると、着替えを済ませた冬子が照れ隠しからか、妙にハイテンションで部屋に飛び込んできた。
「……すごく似合っているよ、冬子」
「ええ、とってもお似合いですわ! 冬子さんはお肌が白くてお綺麗ですし、清楚で上品な雰囲気が引き立ちます」
お世辞抜きで、上品な服が良く似合い美しかった。
服を借りることにして自分たちの階へ戻ると、待っていた雪乃が開口一番に声を上げた。
「……なにこれ、お姉ちゃんがどこかのお嬢様みたい……!」
「むははは! いつも雪は私の私服をバカにするけど、見ましたかこの着こなしを! リアル女神とは私のことですよ!」
「……お姉ちゃんが顔だけは美人なのは知ってるし! けどさぁ……やっぱり喋り出すと一気に残念な感じになるよね。黙ってれば完璧なのに……」
色白でスタイル抜群の冬子ならどんな服でも着こなせそうだが、シンプルなコーディネートだからこそ、仕立てと素材の良さが彼女の魅力を最大限に引き出すのだなと、僕は改めて実感するのだった。




