第51話 筋肉と夜の対話
夜。
村は、すっかり静まり返っていた。
昼間の騒ぎが嘘のように。
風は穏やかで、遠くで虫の声がかすかに響いている。
どこか、現実感の薄い時間。
※
ポウセンの家。
決して広くはない。
部屋の数も少なく、最低限の造り。
そのため。
男部屋と、女部屋に分かれることになった。
※
男部屋。
ダービルとポウセン、そして竹助。
女部屋。
セリアーナとミリア。
※
深夜。
ミリアは、ふと目を覚ました。
理由は分からない。
ただ、意識が浮かび上がる。
静かだった。
隣では、セリアーナが穏やかな寝息を立てている。
その落ち着いた呼吸に、安心感すら覚える。
(……眠れない)
小さく息を吐く。
そして、なんとなく窓へ視線を向けた。
※
――そこにいた。
外。
月明かりの下。
一人の影。
ダービルだった。
ゆっくりと、沈む。
そして、持ち上がる。
また沈む。
また上がる。
※
スクワット。
ただ、それだけ。
だが。
その一動作一動作に、無駄がない。
静かで。
重くて。
そして、どこか“研ぎ澄まされている”。
※
(……まだ、やってるんだ)
ミリアの胸に、何かが引っかかる。
気づけば。
立ち上がっていた。
音を立てないように。
そっと外へ出る。
夜の空気が、少し冷たい。
※
ダービルは、気づかない。
いや。
気づいているのかもしれない。
それでも、止まらない。
※
ミリアは、少し離れた場所で立ち止まる。
ただ、見ていた。
単調な動き。
だが。
そこには、確かな“積み重ね”があった。
※
沈む。
上がる。
沈む。
上がる。
時間が、ゆっくりと流れる。
その時。
動きが止まった。
※
「……誰だ」
低い声。
静かな夜に、はっきりと響く。
※
ビクッ
ミリアの肩が跳ねる。
隠れる間もなく。
観念して、一歩前に出た。
※
「す、すみません……!」
「邪魔をするつもりはなかったんです……!」
ダービルが、一瞥する。
ほんの一瞬。
「……副神官の女か」
「ミリアです!」
反射的に訂正する。
※
ダービルは、それ以上何も言わず。
再び、動きを再開した。
沈む。
上がる。
変わらない。
※
ミリアは、その背中を見つめる。
そして。
口を開いた。
「……なんで」
一拍。
「そんなに鍛えるんですか?」
※
返事は、すぐには来ない。
ただ、動きは止まらない。
※
「あなたは……」
「もう十分強いじゃないですか」
※
ようやく。
ダービルが答える。
スクワットを続けたまま。
「足りぬからだ」
ミリアの眉が、わずかに寄る。
「……足りない?」
その時。
ダービルが、動きを止めた。
※
ゆっくりと立ち上がる。
沈黙。
夜の音だけが残る。
「……ある男の話をしてやろう」
「え?」
「その男はな」
「魔王軍最高の筋肉を持つ男と呼ばれていた」
※
ミリアの目が、少しだけ開く。
「それって……」
「まぁ聞け」
短く、制される。
※
「その男には、魔法の才能がなかった」
静かに。
言葉が落ちていく。
「魔族でありながら」
「魔法が使えない」
「……魔族の恥だった」
※
ミリアの表情が、わずかに曇る。
「……そうだったんですね」
少し、迷う。
それでも、続ける。
「私も……そんなにたくさんは使えません」
「それに……」
「戦うの、怖いんです」
※
沈黙。
「……怖いか」
「だって」
「死んじゃうかもしれないじゃないですか」
風が、静かに流れる。
「それは、そうだな」
ダービルは、否定しない。
ミリアが、小さく息を吸う。
「……その人は」
「どうなったんですか?」
※
「続きだな」
ダービルの声が、わずかに深くなる。
「その男は鍛えた」
「己の肉体を」
「それしか、なかった」
「周りが魔法を語る中」
「ただ一人」
「筋肉に、すべてを捧げた」
※
ミリアは、黙って聞く。
※
「そして」
「四天王となり」
「魔王軍最高の筋肉を持つ男と呼ばれるようになった」
※
静寂。
「……すごいですね」
ミリアの声は、自然だった。
「言うほど簡単な話じゃないです」
「きっと……」
「すごい努力をしたんでしょうね」
※
その言葉に。
ダービルの目が、わずかに揺れる。
「……ところがだ」
「え?」
「その男の前に」
「ある男が現れた」
一拍。
「筋肉の勇者だ」
※
「あ……」
ミリアは、察する。
※
「男は挑んだ」
「正々堂々とな」
「――そして」
「敗れた」
※
沈黙。
何も言えない。
だが。
ダービルは、続ける。
「気を落とす話ではない」
「その男は」
「さらに鍛え直した」
ミリアが、静かに言う。
「……すごいですね」
「くじけないんですか?」
※
「くじけぬ」
即答。
そして。
わずかに視線が落ちる。
「……俺は」
一拍。
「お前が羨ましい」
※
「え?」
※
「お前には魔法がある」
「肉体も鍛えられる」
「どちらかがダメでも」
「もう一方がある」
「戦い方に、幅がある」
※
ミリアの胸に、言葉が沈んでいく。
※
「だが俺には」
「筋肉しかない」
「これしか――道はない」
※
ミリアの脳裏に。
戦いの光景がよぎる。
圧倒的な力。
理屈ではない。
“それしかない戦い”。
※
(……あれは)
(選んだんじゃない)
(それしかなかったんだ)
※
ミリアが、ふっと笑う。
「ダービルさん」
「……ん?」
「私も」
少しだけ、照れながら。
※
「一緒に筋トレしてもいいですか?」
一瞬の沈黙。
「……うむ」
「よかろう」
※
「まずはスクワット1000回だな」
「いや無理!!」
ミリアの叫びが、夜に溶ける。
※
その様子を。
窓から、セリアーナが見ていた。
「……筋肉ですね」
満足げに、呟く。
※
同じ頃。
男部屋。
※
ドスン。
ドスン。
一定のリズム。
床が、わずかに軋む。
竹助が、腕立てをしていた。
※
「……なぁ」
ポウセンが、天井を見たまま言う。
「寝れねぇんだけど」
※
「……問題ない」
竹助が答える。
動きを止めずに。
※
「あと」
一拍。
「たったの652回だ」
「まだまだじゃねぇか!!」
※
夜は、まだ終わらない。
筋肉も、止まらない。
※
そして。
それぞれの“積み重ね”が。
静かに、進んでいた。




