第48話 筋肉を切り裂く疾風
静かな村だった。
山に囲まれた、小さな集落。
朝はゆっくりと始まり、
夜は穏やかに閉じる。
風は柔らかく。
鳥のさえずりが、遠くまで響く。
人の声は穏やかで。
怒号も、悲鳴も、存在しない。
争いとは、無縁の場所。
それが、この村だった。
※
その一角。
一人の男が、丸太を肩に担いでいた。
ポウセン。
かつて――
魔王軍四天王。
そして。
戦場の最前線を切り裂き続けた男。
“切り込み隊長”。
※
だが今は。
「……ふぅ」
丸太を下ろし、軽く息を吐く。
額に浮かぶ汗を、手の甲で拭う。
その仕草は、どこかゆったりとしていた。
村人が、笑顔で声をかける。
「助かるよ、ポウセンさん!」
「あぁ」
短く返す。
だが、その声には棘がない。
かつての鋭さは、薄れていた。
※
子どもたちが、笑いながら走り回る。
畑では、誰かが土を耕している。
家々からは、料理の匂いが漂ってくる。
煙。
笑い声。
何気ない日常。
※
ポウセンは、それを眺める。
しばらく、何も言わずに。
そして、ぽつりと呟いた。
「……悪くない」
それは、本心だった。
※
鍛練は続けている。
毎日。
欠かさず。
身体は、鈍っていない。
むしろ、研ぎ澄まされている。
だが。
心は――
どこか、緩んでいた。
戦場から、遠ざかりすぎていた。
血の匂いを忘れ。
叫びを忘れ。
“命の重さ”を、遠ざけていた。
※
その時だった。
――違和感。
ほんの一瞬。
風が、止まる。
音が、消える。
世界が、わずかに歪む。
「……なんだ?」
ポウセンが、空を見上げる。
空は変わらない。
だが。
何かが、確実に“侵入してきた”。
次の瞬間。
悲鳴。
「きゃあああああ!!」
鋭い声が、村を裂いた。
※
「なに!?」
ポウセンの身体が反応する。
思考より先に。
地面を蹴る。
消える。
※
辿り着いた先。
そこにあったのは――
“非日常”。
※
影が、村を覆っていた。
複数。
黒い装束の魔族たち。
その手には、血。
すでに、何人かが倒れている。
※
そして。
その中央に。
一人の男。
細い体。
無駄のない筋肉。
だが。
ただ立っているだけで、空気を支配している。
重い。
冷たい。
圧。
※
「……なんだ、ここは」
男が、呟く。
感情がない。
温度がない。
ただ、状況を確認するような声。
「田舎か」
一拍。
「ちょうどいい」
※
ポウセンが、前に出る。
村人の前に立つ。
背中で、守る。
「……何者だ」
低い声。
だが。
ほんのわずかに。
“遅れ”があった。
※
男が視線を向ける。
「答える必要はない」
一拍。
「だが、教えてやろう」
「俺は五人衆の1人、タラスコウ」
「魔王シューベットの命により」
「領土拡大のために来た」
静かに。
淡々と。
「逆らう者は」
「皆殺しだ」
※
村人の息が止まる。
恐怖が、空気に染み出す。
※
「……シューベット」
ポウセンが、呟く。
記憶が、引っかかる。
古い戦い。
魔王オーマと戦い、敗れた魔王。
だが。
それは、過去の話だ。
今は――
※
「やれ」
タラスコウの一言。
それだけで。
魔族たちが、一斉に動く。
※
ポウセンの姿が消える。
――速い。
一瞬で間合いを詰める。
拳。
蹴り。
連撃。
魔族が吹き飛ぶ。
骨が砕ける音。
肉が裂ける音。
※
「なかなかやるな」
タラスコウが呟く。
興味は、まだない。
※
ポウセンは止まらない。
だが――
「ぎゃあああ!!」
別方向。
悲鳴。
※
視線を向ける。
村人が、倒される。
血が、地面に広がる。
※
「……くそ」
歯を食いしばる。
範囲が広い。
敵が多い。
一人では――
守りきれない。
※
その一瞬。
迷い。
躊躇。
それが、生まれる。
※
“遅れ”。
※
村人が、もう一人倒れる。
※
「遅い」
タラスコウが言う。
ただの事実として。
「守れないなら、意味がない」
※
その言葉が。
ポウセンの奥底を、叩く。
※
記憶が、溢れる。
戦場。
血。
叫び。
踏み込む。
斬る。
止まらない。
止まれば、終わる。
※
「……あぁ」
ポウセンが、呟く。
静かに。
だが、確かに。
※
思い出した。
※
忘れていたのではない。
目を逸らしていた。
※
目が、変わる。
鋭く。
深く。
戦場の目。
※
「そうだ」
一歩。
地面が沈む。
※
「俺は」
一拍。
「止まる側じゃない」
※
風が、弾ける。
ポウセンが消える。
※
次の瞬間。
魔族の首が飛ぶ。
一撃。
迷いなし。
躊躇なし。
※
連続。
加速。
止まらない。
※
タラスコウの目が、初めて揺れる。
「……なに?」
※
ポウセンは止まらない。
守るのではない。
敵を消す。
それが、最短。
それが、最適。
※
「思い出した」
低く。
「戦場ってのは――」
一歩。
「こういう場所だ」
※
男は、戻った。
※
平和に馴染んだ男ではない。
血の中で生きる者。
※
魔王軍四天王。
そして。
最前線を切り裂く者。
※
“切り込み隊長”ポウセン。
ここに、再臨する。
※
その背後で。
まだ震える村人たちがいた。
守りきれなかった命があった。
それでも。
ポウセンは、前を向く。
止まらない。
止まれない。
その背に。
風が、渦を巻いた。




