第47話 筋肉が導く進軍
森の奥。
先ほどまでの激戦の名残が、まだ色濃く残っていた。
踏み荒らされた地面。
裂けた土。
折れた枝が、無造作に散らばっている。
風が吹くたびに、かすかな血の匂いが鼻をかすめた。
静かだ。
だが。
その静けさは、“終わった”からではない。
“何かが始まる前の静けさ”だった。
※
その中を、二つの影が進む。
竹助とセリアーナ。
足取りは、迷いがない。
セリアーナは、周囲に視線を走らせる。
わずかな違和感も見逃さないように。
「……こちらですね」
小さく、だが確信を持った声。
足元の痕跡。
削れた地面の方向。
空気に残る圧。
すべてが、一つの地点を指している。
※
「来たか」
低い声。
ダービルだった。
その姿を見つけた瞬間。
セリアーナの肩から、ほんのわずかに力が抜ける。
「無事で何よりです」
心からの言葉。
「こちらも問題ない」
短い返答。
だが。
それだけで十分だった。
生きている。
それが、何よりの情報だった。
※
ミリアは、その場に立っていた。
だが。
どこか、浮いている。
視線が、定まらない。
呼吸も、まだ少し乱れている。
先ほどの戦い。
あまりにも濃密で。
あまりにも現実離れしていて。
理解が、まだ追いついていなかった。
それでも。
言わなければならないことがある。
「……あの」
声が、わずかに震える。
全員の視線が、自然と集まる。
逃げ場はない。
ミリアは、息を吸う。
そして。
「敵の正体……分かりました」
一拍。
喉が、乾く。
それでも、続ける。
「魔王……シューベットです」
※
空気が、わずかに沈む。
重くなる。
言葉一つで、場の温度が変わる。
それが、“魔王”という存在だった。
※
セリアーナが、静かに目を細める。
「魔王……ですか」
予想はしていた。
だが。
実際に名が出ると。
それは“仮定”ではなく“現実”になる。
脅威の輪郭が、はっきりと浮かび上がる。
※
「五人衆っていう幹部もいて……!」
ミリアの言葉が、少し早くなる。
焦りが、滲む。
「その一人と戦って……!」
言葉を切る。
視線が、ダービルへ向く。
「……勝ちましたけど」
だが、すぐに続ける。
「けど、相手は魔王ですよ!?」
その一言。
そこに、すべての不安が詰まっていた。
※
セリアーナは、ゆっくりと頷く。
「そうですね」
まず、受け止める。
否定しない。
軽視もしない。
「……まずは、報告を出します」
冷静な判断。
手元に、小さな紙を取り出す。
通信魔法。
簡易だが、確実に届く。
筆が走る。
状況。
敵の正体。
位置。
簡潔に、だが一切の無駄なく。
思考が整理されていく。
「これで、援軍は動くはずです」
紙が淡く光る。
そして。
音もなく、消えた。
※
ミリアの表情が、わずかに緩む。
「じゃあ……!」
希望。
すがるような声。
「援軍を待ちましょう!」
それが、正しい。
それが、普通だ。
相手は魔王。
個人でどうにかできる存在ではない。
それが、この世界の“常識”。
※
だが。
セリアーナは、考える。
ほんの一瞬。
だが、その中で結論は出ていた。
「……そうですね」
一度、肯定する。
だが。
「ですが」
ミリアの表情が、固まる。
「待っているだけでは」
「被害が増えるだけです」
現実。
逃げられない事実。
「相手は領土を広げようとしています」
「つまり、時間が経てば経つほど不利になります」
言葉は静か。
だが。
確実に重い。
※
「なら」
竹助が口を開く。
空気が、わずかに変わる。
「答えは簡単だな」
一拍。
「援軍を待ちつつ、敵も倒す」
※
ミリアの思考が、完全に止まる。
言葉が、理解できない。
処理できない。
そして。
「そんなむちゃくちゃな!?」
叫びになる。
当然だった。
論理として成立していない。
だが。
この場では。
それが“成立してしまう”。
※
「待て」
ダービルの声が落ちる。
重い。
場を、制圧する声。
全員の視線が向く。
「敵は魔王だ」
一拍。
「だが」
「こちらには勇者がいる」
視線が、竹助へ。
「それも」
「オーマ様と互角に渡り合った勇者がな」
※
ミリアの目が見開かれる。
「……え?」
理解が、追いつかない。
常識が、崩れていく。
※
「魔王シューベットの名は聞いたことがある」
ダービルは続ける。
「ずいぶん昔の話だが」
「オーマ様と戦って、敗れている」
※
「え!?魔王同士で戦ったんですか!?」
ミリアの声が弾ける。
想定外。
完全に、想定外。
※
「あぁ」
ダービルは頷く。
「領土を巡ってな」
「シューベットが挑んできて」
「オーマ様が返り討ちにした」
その顔には。
誇りがあった。
揺るがない。
絶対的な信頼。
※
セリアーナが、静かに整理する。
「……つまり」
「実力は、オーマさんより下」
「そういうことですね?」
※
「今は分からん」
ダービルは即答する。
曖昧にしない。
「だが、オーマ様は鍛練を重ねてきた」
「その差が埋まるとは思えん」
断言する。
そして。
「それに」
視線が竹助へ。
「オーマ様は、魔力をすべて筋肉に変換し」
「超筋肉を手に入れたのだろう?」
※
竹助が頷く。
「あぁ」
一拍。
「素晴らしい筋肉だった」
※
「また筋肉……!!」
ミリアが頭を抱える。
現実が、遠い。
※
「つまりだ」
ダービルが言う。
「そのオーマ様と互角の勇者がいる」
一拍。
「勇者は、シューベットにも勝てる」
※
セリアーナの目が輝く。
「なるほど!」
「そうとも言えますね!」
理解が早い。
適応が早い。
※
だが。
ミリアは違う。
「でも!」
「部下もいるんですよね!?」
「数で攻められたら……!」
※
「問題ない」
ダービルは即答する。
「五人衆とやら」
一拍。
「恐れるに足りぬ」
事実として言い切る。
「他に四人いようと」
「この俺が筋肉でねじ伏せる」
※
セリアーナが頷く。
「頼もしいです!」
※
ミリアは、震えながら呟く。
「……あの」
「それってつまり……」
※
竹助。
「理解した」
※
ダービル。
「俺たちで叩く」
断言。
迷いなし。
「部下が何人いようと、有象無象にすぎぬ」
※
ミリア。
「やっぱり……!!」
崩れる。
※
その空気の中で。
セリアーナが、前に出る。
「ダービルさん!」
「一緒に来てくださるんですね!?」
※
竹助。
「頼りにしているぞ」
※
ダービル。
「当然だ」
一拍。
「オーマ様を侮辱した」
「それを見逃せば、四天王の名が廃る」
そして。
「強者は、1人でも多い方がいいだろう?」
※
「決まりですね!」
セリアーナが笑う。
※
その時。
ダービルが、ふと呟く。
「……もう一人」
空気が止まる。
「強者に心当たりがある」
※
「え?」
セリアーナが首を傾げる。
※
「俺と同じくらい強い男だ」
「その男の田舎が、少し離れたところにあってな」
※
竹助の目が、わずかに細くなる。
「……ほう」
※
セリアーナが息を呑む。
「それって……もしかして」
※
ミリアは、空を見上げた。
完全に。
限界だった。
「……もう無理」
その声は。
誰にも拾われず。
静かに、風に溶けた。




