第46話 筋肉の誇り
静かだった。
あまりにも、静かすぎた。
つい先ほどまで。
怒号が飛び交い。
骨の砕ける音が響き。
地面が抉れ。
空気そのものが震えていたはずの場所。
それが今は――
嘘のように、止まっている。
風だけが、ゆっくりと流れていた。
折れた枝が転がり。
倒れ伏した魔族たちの身体が、無言でそこにある。
その中心に。
立っている者は、三人。
ダービル。
ミリア。
そして――ハードキー。
※
ハードキーは、動けなかった。
足が、前に出ない。
命じても。
命じても。
身体が、言うことを聞かない。
(……なんだ、これは)
思考が、鈍る。
視界が、狭くなる。
目の前の男。
ダービル。
ただ立っているだけのはずなのに。
近づいてくるわけでもないのに。
圧がある。
空気が重い。
呼吸が浅くなる。
胸が締め付けられる。
(……違う)
これは――
“力”じゃない。
“恐怖”だ。
※
喉が鳴る。
乾いている。
唾が、飲み込めない。
手が震える。
視線が、定まらない。
逃げたい。
だが。
逃げられない。
理解している。
背を向けた瞬間。
終わる。
※
その時。
ふと。
視界の端に、別の存在が映る。
ミリア。
少し後ろに立つ少女。
(……あれは)
細い。
未熟。
戦力にならない。
だからこそ。
(使える)
思考が、わずかに戻る。
冷静さが、かすかに戻る。
(あいつなら……)
(人質にできる)
最後の手段。
だが。
今の状況を覆すには、十分だった。
※
指が動く。
震えている。
だが、動かす。
糸を、繰り出す。
音もなく。
気配もなく。
一直線に。
ミリアへと――
※
「ひっ……!!」
ミリアの身体が硬直する。
目が見開かれる。
そして。
反射的に。
ぎゅっと、目を閉じる。
来る。
絡め取られる。
動けなくなる。
怖い。
どうしようもなく、怖い。
※
――だが。
来ない。
何も。
何も、来ない。
※
「……?」
ゆっくりと。
恐る恐る。
ミリアが目を開ける。
視界が、ぼやける。
焦点が、合う。
そして。
理解する。
※
目の前。
少し前方。
ダービルの背中。
その左腕に――
糸が、巻き付いていた。
※
「なっ……!!」
ハードキーの声が、裏返る。
ありえない。
狙いは、完璧だった。
あの距離。
あの角度。
あの速度。
避けられるはずがない。
それを――
割り込んだ。
受け止めた。
意図的に。
※
ダービルの肩が、わずかに震える。
違う。
震えているのではない。
抑えている。
感情を。
※
「……くだらんことをしおって……!!」
声が、落ちる。
低く。
重く。
空気を押し潰すような声音。
その瞬間。
温度が、下がった気がした。
※
ダービルが、顔を上げる。
その目。
怒り。
明確な怒り。
だが、それだけではない。
侮蔑。
失望。
そして。
“許さない”という意志。
※
「貴様には――」
一歩。
地面が、わずかに沈む。
「魔族の」
さらに一歩。
距離が消える。
「誇りがないのか」
その言葉は。
ただの怒りではない。
価値観。
信念。
それを踏みにじられた者の、断罪だった。
※
ダービルの左腕に、力が入る。
筋肉が、膨れ上がる。
糸が、張り詰める。
ギシッ
音が鳴る。
空間が、軋む。
そして――
引く。
一気に。
※
ハードキーの身体が、前へと引きずられる。
地面を削る。
足が浮く。
抵抗できない。
抗えない。
まるで。
“引き寄せられている”。
重力のように。
逃げ場なく。
「ば、ばかな……!!」
叫びが、遅れて出る。
「私は……!」
「シューベット五人衆――」
※
バン
言葉は、最後まで届かなかった。
ダービルの拳。
全力の右ストレート。
迷いのない一撃。
振り抜かれる。
※
直撃。
顔面。
衝撃が、炸裂する。
音が遅れて響く。
そして。
次の瞬間。
ハードキーの顔が――
消えた。
爆散。
原型を残さない。
完全な破壊。
※
静寂。
再び。
何も、動かない。
※
ミリアは、動けなかった。
ただ。
見ていた。
理解が追いつかない。
だが。
確実に分かることがある。
「……強い」
声が、震える。
「同じ幹部同士なのに……」
「ここまで差があるものなの……?」
格が違う。
存在が違う。
次元が違う。
※
その時。
ダービルが、ゆっくりと振り向いた。
ミリアの方へ。
身体を向ける。
ミリアの心臓が、大きく跳ねる。
(え……?)
何かが来る。
そう、直感する。
※
ダービルが、構える。
筋肉が、膨張する。
全身が、張る。
空気が、歪む。
そして――
一瞬の静寂。
※
渾身の。
モストマスキュラー。
※
時間が、止まる。
音が、消える。
風すら、止まったように感じる。
※
ミリアは、完全に固まっていた。
思考が停止する。
目の前の現実。
戦闘。
殺意。
破壊。
そして今。
このポーズ。
何一つ、繋がらない。
※
ダービルが、静かに言う。
「……どうだ?」
真剣だった。
本気で、問いかけている。
※
ミリアの口が、わずかに開く。
言葉を探す。
だが。
出てきたのは。
「……えぇ」
それだけだった。
理解は。
まだ、追いついていなかった。




