第43話 筋肉を断つ糸
翌朝。
町は、昨日までの熱狂をまるで忘れたかのように、静かな日常へと戻っていた。
通りには、ゆっくりと人が行き交う。
荷を運ぶ者。
店を開ける者。
子どもたちの笑い声。
どれも、当たり前の風景。
だが。
その“当たり前”の裏側。
確かに、違和感があった。
目には見えない。
だが、確実にそこにある。
空気のどこかに、引っかかるようなもの。
静かすぎる。
整いすぎている。
それが、逆に不自然だった。
※
宿の一室。
まだ朝の光が柔らかく差し込む中。
四人が、机を囲んで立っていた。
竹助。
セリアーナ。
ミリア。
ダービル。
そして、その背後に控える数名の配下。
誰も、無駄な動きをしない。
息遣いすら、抑えられているような空気。
静かだが。
張り詰めている。
※
「今回の調査ですが」
最初に口を開いたのは、セリアーナだった。
声は落ち着いている。
だが、その瞳には迷いがない。
状況を見据え、整理し、判断している目だった。
「目立つ行動は避けるべきです」
一拍。
「敵の正体が不明な以上」
「こちらの情報を晒すのは危険です」
言葉を選びながら、しかし確実に積み上げていく。
理屈として、隙がない。
ダービルがゆっくりと頷く。
「……確かに」
低い声。
「集団で動けば、目立つ」
「目立てば、見られる」
「見られれば――狙われる」
短い言葉の連なり。
だが、その中に経験が滲む。
※
セリアーナは続ける。
「なので」
ほんの僅かに間を置く。
全員の意識を揃えるように。
「少人数で行動しましょう」
静かな提案。
だが、それはすでに結論だった。
竹助は、何も言わない。
腕も組まない。
ただ、立っている。
それで十分だった。
※
「いくつかのペアに分かれる」
ダービルが言う。
その声に、迷いはない。
「効率も上がる」
「異変にも気付きやすい」
無駄がない。
戦い慣れた者の判断。
セリアーナが、すぐに頷く。
「では」
一拍。
「勇者様と私」
自然な流れ。
そして。
「――ダービルさんとミリアさん」
ミリアの思考が、止まる。
「え?」
理解が、一瞬遅れる。
「わ、私と……ダービルさんですか!?」
声が裏返る。
予想していなかった。
いや。
避けたかった組み合わせ。
だが。
セリアーナは迷わない。
「補助神官として、支援をお願いします」
逃げ場のない、真っ直ぐな言葉。
ミリアは、一度視線を落とす。
胸の奥が、少しだけ重くなる。
だが。
「……はい」
小さく、しかし確かに頷いた。
※
配下たちも、無言で動き出す。
「我々も分散する」
「周囲を当たる」
町の外へ。
街道へ。
森へ。
それぞれが散っていく。
※
外に出る。
空は高く、青い。
風は穏やかで、暖かい。
一見すれば、何も問題はない。
だが。
どこか、引っかかる。
言葉にできない違和感。
だが――
ミリアには、それが分からない。
ただ。
隣を歩く存在が、気になって仕方なかった。
(この人と……二人……)
ダービル。
かつて敵だった男。
魔王軍四天王。
そして。
目の前にいるのは――
圧倒的な“力”の塊。
※
「……怖いか」
不意に。
低い声が落ちる。
ミリアの肩が跳ねた。
「え!?」
完全に見透かされていた。
「べ、別に……!」
反射的に否定する。
だが。
声が、わずかに震えている。
自分でも分かるほどに。
ダービルは、前を向いたまま言う。
「無理もない」
それだけだった。
否定も。
慰めも。
何もない。
ただ、事実だけ。
それが逆に、重い。
※
その時だった。
足元に、違和感。
ほんの、わずか。
砂の流れが、変わった気がした。
だが――
遅い。
ビシッ
空気が裂ける音。
視界の端で、何かが跳ねる。
次の瞬間。
糸。
無数の糸が、地面から一斉に噴き出す。
「え――!?」
避ける暇はない。
身体に絡みつく。
腕。
足。
胴。
締め付けられる。
一瞬で、自由を奪われる。
息が詰まる。
「っ……!」
動けない。
完全に、拘束されている。
隣を見る。
ダービルも同様だった。
だが。
動かない。
暴れない。
ただ、立っている。
まるで――
待っているかのように。
※
「……捕えた」
声が落ちる。
静かに。
だが、確実に。
影の中から、一人の男が現れる。
細い体。
無駄のない動き。
そして。
冷たい目。
感情が、感じられない。
その指先から、糸が伸びている。
まるで、空間そのものを縫い付けるかのように。
※
ミリアの呼吸が荒くなる。
心臓の音が、うるさい。
「あ、あなたが……!」
声が震える。
「商人たちを襲っている人ですね!?」
「何者ですか!?」
「目的は!?」
恐怖を押し殺すように、言葉を投げる。
男は、わずかに口元を歪める。
「質問が多いな」
一歩、近づく。
糸が、きしむ。
「だが、いいだろう」
一拍。
「私は」
「魔王シューベット五人衆の一人」
「糸使いのハードキー」
その名が、空気を変える。
重く。
冷たく。
圧のある響き。
「五人衆……!?」
ミリアの声が、かすれる。
※
ハードキーは続ける。
「腑抜けた魔王オーマを潰すため」
「我々は動いている」
淡々と。
感情はない。
「商人襲撃は第一段階」
「補給線を断ち」
「物資を奪い」
「領土を侵食する」
それは。
計画だった。
明確な、侵略。
※
その時。
ダービルの表情が、変わる。
ほんの僅か。
だが。
確実に。
※
「聞けば」
ハードキーは続ける。
「魔王オーマは」
「筋肉などという、くだらぬものに傾倒しているらしいな」
「魔王失格」
「魔王の恥だ」
※
――止まる。
音が。
空気が。
時間が。
すべて。
ミリアが、息を呑む。
何かが、まずい。
本能が、警鐘を鳴らす。
※
ダービルが、呟いた。
「……今」
一拍。
「何と言った」
その声は。
先ほどまでのものではない。
重い。
沈む。
底の見えない圧。
※
空気が、歪む。
糸が、わずかに震える。
ハードキーの指先が、ほんの僅かに動く。
違和感。
だが――
もう遅い。
※
何かが、変わる。
確実に。
そして――
戦いが、始まる。




