第38話 筋肉の旅立ち
ギルドのざわめきは、まだ収まっていなかった。
商人襲撃。
原因不明。
正体不明。
情報が足りない依頼は、人の足を止める。
判断材料がないということは、すなわち危険の輪郭が見えないということだからだ。
誰もが様子をうかがう中で――
一人の男が、前に出た。
竹助。
筋肉の勇者。
依頼書の前に立ち、わずかに視線を落とす。
そして、迷いなく言った。
「俺に任せておけ」
一拍。
「筋肉が導いてくれる」
静寂。
意味は、分からない。
だが。
不思議と、不安は薄れていた。
根拠はない。
それでも、この男がそう言うなら――
そんな空気が、場に広がる。
「……はは」
誰かが、肩の力を抜いた。
「筋肉が行くのか」
「それなら大丈夫だな」
空気が、わずかに軽くなる。
※
「すまない」
低い声が、場を引き締めた。
オーマだった。
「俺も一緒に行きたいが」
一拍。
「今は動けん」
「魔族の統制が必要だ」
その言葉には、揺るがない責任があった。
「ポウサンは研究。メギストラやゼロアークには別任務を任せている」
「構わない」
竹助が淡々と答える。
「筋肉がある」
それで十分だった。
※
「……ちっ」
ザッコスが舌打ちする。
「筋肉との旅か」
「俺も行きてぇな」
本音だった。
視線は依頼書に向いたまま。
「けどよ……」
言葉を切る。
「明日から、俺とトロール王は別任務なんだよな」
拳が、わずかに握られる。
悔しさが滲む。
「ガルドさん!そっち、誰かに回せないですか?」
食い下がる。
だが。
「無理だ」
ガルドが即答した。
「今やお前はギルドのエースなんだ」
「戦力を削げない」
それで終わりだった。
ザッコスは天井を仰ぐ。
「……くそ」
その一言に、すべてが詰まっていた。
※
「行きましょう!」
明るい声が響いた。
セリアーナだった。
その瞳は、強く、まっすぐに前を見ている。
「また皆さんを集めましょう!」
迷いのない言葉。
かつての彼女ではない。
指示を待つ存在ではなく、自ら動く存在。
ミリアは、その姿に目を奪われていた。
(……すごい)
ただ、それだけが浮かぶ。
※
だが、現実は変わらなかった。
カイシンを誘ったが、研究のため動けない。
積み上げている理論は、途中で止められるものではなかった。
フィオナもまた、動けない。
騎士団を離れるわけにはいかない。
未熟な団員たちを置いていくことは、彼女にはできなかった。
シエルは、そもそも所在不明。
情報収集のため、王国の外へ出ている。
呼べる状況ではない。
代わりはいない。
※
夕暮れの道。
三人で歩く。
静かな時間が流れる。
ミリアが、ぽつりと呟いた。
「……二人、ですね」
不安が、にじむ声。
「少なくないですか?」
当然の疑問だった。
だが。
「少ない方がいいです」
セリアーナは、迷わず答えた。
「集団で動けば、目立ちます」
一拍。
「相手が不明な以上、こちらの情報は隠すべきです」
理にかなっている。
「少数の方が、動きやすい」
静かな断言。
ミリアは、言葉を失う。
(……正しい)
正しいが、怖い。
それでも。
納得はできてしまう。
※
「……竹助」
低い声が落ちる。
振り向くと、オーマが立っていた。
音もなく、そこにいる。
「行くなら」
一拍。
「マッシュの町に向かうといい」
ミリアが首をかしげる。
「マッシュ……ですか?」
「遠く離れている」
「だが、行く価値はある」
視線が、竹助へと向く。
「行けば分かる」
それだけだった。
理由は語られない。
説明もない。
だが。
竹助は、何も問わない。
ただ、わずかに頷いた。
それで十分だった。
※
「行く」
短い一言。
それで、すべてが決まる。
※
ミリアの中で、何かが揺れる。
(このまま……?)
不安。
未知。
そして――
(……逃げたくない)
一歩、前に出る。
「……あの!」
二人が振り向く。
ミリアは、手を上げた。
「私も、行きます!」
声が、はっきりと響く。
「補助神官として、同行させてください!」
一拍。
セリアーナが頷く。
「分かりました」
それだけで、決まった。
※
翌朝。
三人は、王都を出た。
竹助。
セリアーナ。
ミリア。
たった三人。
だが。
その足取りに、迷いはない。
ミリアは振り返る。
王都。
筋肉の国。
そして――
まだ見ぬ町。
(……ちゃんと見よう)
この世界を。
この“筋肉”を。
その意味を。
理解するために。
彼女は、前を向いた。
風が、三人の背を押していた。




