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第37話 補助神官ミリアと筋肉の洗礼

朝の神殿は、静かだった。

石造りの廊下には、まだ人の気配が少ない。

磨かれた床に差し込む光が、淡く反射している。

どこか張り詰めたような、凛とした空気。

それが、本来の神殿の姿だった。

その入口に、一人の少女が立っていた。

茶色の髪は肩にかかる程度。

整えられてはいるが、毛先がわずかに跳ねていて、どこか落ち着かない印象を与える。

小柄な体つき。

しかし、その胸元だけは不自然なほどに主張が強く、簡素な神官服の上からでもはっきりと分かるほどだった。

少女は荷物を抱えたまま、深く息を吸う。

(……よし)

小さく、自分に言い聞かせる。

彼女の名はミリア。

地方神殿から派遣されてきた、補助神官だった。

補助神官。

それは、まだ一人前ではない証。

回復魔法は扱える。

だが、応用は未熟。

結界も張れる。

だが、持続は短い。

一人で戦場に立つには、まだ足りない。

それでも。

(ちゃんとやらないと)

ここは王都。

選ばれた者だけが立てる場所。

自分がここにいる意味を、証明しなければならない。

そう思い、ミリアは一歩を踏み出した。

その瞬間。

「いち! に! さん!」

外から、妙に響く声が届いた。

ミリアの足が、ぴたりと止まる。

(……またこれ!?)

昨日、王都に着いたときにも聞いた声。

嫌な予感しかしない。

恐る恐る、外へと視線を向ける。

そこには――

やはり。

人間と魔族が、並んで筋トレをしていた。

(やっぱりおかしい!!)

心の中で叫ぶ。

昨日見た光景は、見間違いでも夢でもなかった。

魔族と人間が肩を並べ、同じ動き、同じ呼吸で腕立て伏せを繰り返している。

しかも、その動きは妙に揃っている。

(なんで誰も疑問に思わないの!?)

周囲を見渡す。

誰も気にしていない。

むしろ、穏やかな目で見守っている。

(無理……)

頭を抱えたくなる。

常識が、音を立てて崩れていく。

その時だった。

「どなたですか?」

背後から、落ち着いた声。

ミリアは跳ねるように振り返った。

そこに立っていたのは、青髪の神官――セリアーナだった。

その佇まいは、静かで、揺るがない。

ミリアは慌てて背筋を伸ばす。

「本日より配属となりました、補助神官ミリアです!」

深々と頭を下げる。

「お話は聞いています」

セリアーナは静かに頷いた。

「神官のセリアーナです」

その声音は穏やかだが、芯がある。

(……この人)

ミリアは直感する。

(すごい人だ)

ただそこに立っているだけで分かる。

積み重ねてきたものの重さが、違う。

「よ、よろしくお願いします!」

声が少しだけ上ずる。

だが、その直後。

「セリアーナ様!」

我慢できなかった。

「今の、あれは何なんですか!?」

指差す先は、もちろん外。

セリアーナは視線を向ける。

「鍛錬です」

「そうじゃなくて!」

思わず声が大きくなる。

「あれ、魔族ですよね!?」

「はい」

即答。

「なんで一緒に筋トレしてるんですか!?」

一拍。

セリアーナは、迷いなく答えた。

「筋肉です」

「だから理由になってません!!」

叫びが神殿に響き渡った。

静寂が、一瞬だけ崩れる。

そしてすぐに、何事もなかったかのように戻った。

(この人もダメだ……)

ミリアは悟った。

ギルド。

神殿から少し離れた場所にある建物。

ミリアはセリアーナに連れられ、その扉の前に立っていた。

(ここが……)

本来なら、依頼と報酬が行き交う場所。

冒険者たちが集う、実務の中心。

のはずだった。

扉を開ける。

瞬間。

熱気が、押し寄せた。

「おおおおお!!」

「まだいける!!」

怒号にも似た声。

視線を向ける。

そこにあったのは――

筋肉だった。

(なんで!?)

屈強な男たちが、なぜか鍛えている。

ギルドの中で。

(ここギルドですよね!?)

ミリアの常識が、さらに崩れる。

その中でも、一際目立つ存在。

トロール王。

巨大な体躯。

だが、その動きは無駄がなく、洗練されている。

その隣で、ザッコスが笑う。

「まだまだだな」

(トロールが普通に馴染んでる……)

ミリアは、遠い目をした。

「新しい依頼だ!」

ギルドの奥から声が響く。

空気が変わる。

ギルドマスターのガルドが、紙を掲げていた。

「王国僻地にて、商人襲撃が多発している!」

ざわめきが広がる。

「被害は拡大中!」

「原因は不明!」

「犯人も特定できていない!」

ミリアの表情が引き締まる。

(来た……)

これが、自分の仕事。

ようやく、神官としての役割が始まる。

その時だった。

ギルドの扉が、静かに開く。

空気が変わる。

ざわめきが、すっと消える。

振り向く者たちが、無意識に息を呑む。

そこに立っていたのは――

竹助。

そして。

魔王オーマ。

(え)

ミリアの思考が、止まる。

(魔王……?)

理解が、追いつかない。

だが、周囲は違った。

「よう!筋肉!」

「オーマさんも一緒か」

軽い声。

敵意はない。

それどころか。

歓迎に近い空気。

(……どうなってるの、この国)

ミリアは、ただ立ち尽くす。

理解できない。

理解できないことだらけだ。

だが。

ひとつだけ、確実に分かることがある。

(ここは、普通じゃない)

そして――

その中心に、自分は立っている。

後戻りは、もうできない。

ミリアは、小さく息を吐いた。

(……ちゃんと見ないと)

この国を。

この“筋肉”を。

その正体を。

彼女の視線は、まっすぐ前を向いていた。

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