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第35話 筋肉は受け継がれる

 あの戦いから、幾日かが過ぎた。

 王国は、静かだった。

 だがそれは、かつてのような緊張に満ちた沈黙ではない。

 どこか柔らかく、穏やかで。

 人々が“前に進み始めている”ことを感じさせる静けさだった。

 街では、変化が当たり前のように溶け込んでいる。

 市場では、商人たちが荷を運びながら自然と体幹を意識し、

 農夫たちは鍬を振るう前に軽くスクワットを行う。

 子供たちは、遊びの中で腕立て伏せを競い合い、

 その回数を誇らしげに報告していた。

 誰かに教えられたわけではない。

 それでも。

 あの日の“感覚”だけが、確かに残っている。

 王立学園。

 中庭には、多くの学生たちが集まっていた。

 魔法学の講義の時間。

 だが、黒板に書かれているのは術式ではない。

【基礎鍛錬:スクワット20回】

「姿勢を崩すな」

 教師が静かに言う。

「魔力は、肉体を通して発現する」

「体幹が抜ければ、魔法もまた不安定になる」

 学生たちは真剣だった。

 誰も笑わない。

 知ってしまったからだ。

 あの戦いの果てにある、“本質”を。

 神殿。

 静謐な空気の中。

 祈りの声が、穏やかに響いている。

 その中央で。

 カイシンが、ゆっくりと動いていた。

 片足を上げ、姿勢を保つ。

 そのまま、静かに沈み込み――戻る。

 無駄のない動き。

 呼吸すら、乱れない。

「……ふむ」

 小さく呟く。

「やはり、祈りと鍛錬は似ておるな」

 背後で見ていた神官たちが、息を呑む。

「集中し、己を見つめ、無駄を削ぐ……」

 カイシンは、静かに笑う。

「筋肉もまた、信仰の一つかもしれんのう」

 騎士団訓練場。

 金属音が、規則正しく響く。

 フィオナは、剣を振っていた。

 鋭く。

 速く。

 そして、重く。

 一振りごとに、地面がわずかに沈む。

 だが、止まらない。

 汗が流れ、呼吸が荒くなる。

 それでも。

 剣は、鈍らない。

「……まだ足りない」

 呟きと同時に、さらに踏み込む。

 かつての戦いを思い出す。

 あの、圧倒的な差。

 そして。

 乗り越えた瞬間を。

「……次は」

 一拍。

「もっと上へ行く」

 その目には、迷いがなかった。

 路地裏。

 人の気配が薄い場所。

 その影の中に、シエルがいた。

 ローブではなく、軽装の戦闘服。

 動きやすく、無駄のない装い。

 視線が、鋭く走る。

「……動きが甘いな」

 小さく呟く。

 視線の先。

 怪しい取引をしていた男たちが、一瞬で制圧される。

 音もなく。

 速さだけで。

 仕事を終え、ナイフを軽く振る。

「……まぁ、悪くない稼ぎだな」

 そして、ふと空を見上げる。

「……あいつ、今もやってんのかな」

 口元に、わずかな笑み。

 神殿の一角。

 セリアーナが、祈りを終えたところだった。

 かつての補助神官ではない。

 今は――正式な神官。

 その証の衣を纏い、ゆっくりと立ち上がる。

「……よし」

 小さく拳を握る。

 その身体は、以前よりもしっかりしていた。

 結界を張るための体幹。

 長時間の支援に耐える筋力。

 すべてが、積み上がっている。

「筋肉は……大事ですね」

 誰に言うでもなく、呟く。

 そして、少しだけ笑った。

 王城の中庭。

 陽光が、静かに降り注ぐ。

 その中央で。

 竹助と、オーマが並んでいた。

 同じ動き。

 同じ呼吸。

 スクワット。

 ゆっくりと沈み、静かに立ち上がる。

 その繰り返し。

「……いいフォームだ」

 竹助が言う。

 オーマが、わずかに笑う。

「当然だ」

「筋肉が、そう言っている」

 やがて、竹助が動きを止める。

 取り出したのは、透明な容器。

 白く濁った液体。

 それを、迷いなく飲む。

 オーマが、じっと見る。

「……何だ、それは」

「……プロテインだ」

 一瞬の沈黙。

 ポウサンの目が、鋭く光る。

「……なるほど……!」

 一歩前へ。

「筋肉に必要な栄養素を、最適比率で配合した補助食品……!」

 興奮が滲む。

「理論的に、極めて合理的です!」

 オーマが、即座に手を差し出す。

「……私にも飲ませろ」

「構わん」

 受け取り、口にする。

 ――ごくり。

 一拍。

「……飲みにくいな」

 率直だった。

 竹助が、肩をすくめる。

「試作段階だ」

 ポウサンが、静かに頷く。

「……つまり、改良の余地がある」

 その目に、再び火が灯る。

 オーマが、満足そうに言う。

「任せたぞ、ポウサン」

「お任せを」

 それは、新たな挑戦の始まりだった。

 王国のどこかで。

 誰かが、ふと口にする。

「……今日も、鍛えるか」

 その言葉に、誰もが頷く。

 理由は、いらない。

 なぜなら――

 筋肉は、裏切らない。

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