第17話 筋肉は本能と対峙する
獣王ケモーノは、覚えている。
かつて――
魔王オーマと、真正面からぶつかり合った日のことを。
*
炎が空を焼いた。
雷が大地を裂いた。
闇が世界を覆った。
*
あらゆる魔法が、理不尽なまでに叩きつけられる中。
ケモーノは――
ただ、前へ出た。
*
牙で裂き。
爪で砕き。
咆哮で空気を震わせる。
*
理も。
法則も。
全てを無視して。
*
あの日。
確かに――互角だった。
*
だが。
*
時が経った。
*
魔王は、変わった。
*
魔法は洗練され。
戦術は完成され。
力は――次元を越えた。
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ケモーノは、気づいた。
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「……届かぬ」
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真正面から戦うことを、やめた。
距離を置いた。
森へ戻った。
*
それでも――
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獣は、誇りを捨てなかった。
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そんな折だ。
*
報告が届く。
*
「魔王軍が……」
「筋トレを、始めたとのことです……」
*
沈黙。
*
ケモーノの瞳が、ゆっくりと細くなる。
*
「……は?」
*
筋トレ。
*
その言葉が――
本能を、逆撫でする。
*
魔王オーマ。
世界の頂点。
魔法の化身。
*
その魔王が――
筋肉を、鍛える?
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「ふざけるな」
低く、地を這う声。
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「魔法に溺れた者が」
「今さら、肉体に縋るだと?」
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そして、理解する。
*
魔王軍が警戒している存在。
*
――筋肉の勇者。
竹助内人。
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魔法なし。
スキルなし。
筋肉のみ。
*
「……笑わせる」
*
ケモーノは、立ち上がった。
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その体躯は、山のように大きい。
森のように重い。
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存在そのものが、自然だった。
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「筋肉など」
「獣王軍団で、滅ぼしてくれる」
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一歩。
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大地が、割れる。
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前線――
*
人間軍。
王国騎士団。
冒険者。
そしてトロール軍。
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三つの勢力が、辛うじて均衡を保つ戦場。
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その空に――
影が、落ちた。
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誰かが、顔を上げる。
*
空が、暗い。
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雲ではない。
翼でもない。
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“圧”だ。
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存在そのものが、空を覆っている。
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ドンッ。
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大地が沈む。
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降り立つ。
*
獣王ケモーノ。
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野性の極致。
本能の完成形。
*
その筋肉は、鍛えられていない。
だが――
生まれながらにして、完成している。
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誰も、動けない。
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騎士が剣を握る手が震える。
冒険者が息を止める。
トロールたちでさえ、低く唸るだけで動かない。
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ただ一人。
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竹助だけが、前に立つ。
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「……来たか」
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視線が、交わる。
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言葉は、ない。
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だが――
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筋肉が、反応する。
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空気が震える。
*
ケモーノは、理解する。
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(これが……)
(魔王を怯ませた、筋肉か)
*
竹助は、観察する。
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(野性……)
(鍛錬の痕跡がない)
(だが――完成している)
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互いに。
理解する。
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“同類ではない”と。
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ケモーノが、ゆっくりと口を開く。
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「人間」
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低い声。
それだけで、空気が震える。
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「その筋肉」
「借り物か?」
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竹助は、静かに首を振る。
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「積み重ねだ」
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一拍。
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ケモーノの目が細くなる。
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「……そうか」
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そして。
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吼える。
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世界が、震えた。
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大地が軋む。
空気が歪む。
*
「来い、人間」
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「本能を越えられるか――見せてみろ」
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竹助は、ゆっくりと構える。
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拳を握る。
筋肉が応える。
*
「……いいだろう」
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一歩。
踏み出す。
*
「俺の筋肉と、お前の筋肉」
*
一拍。
*
「どちらが上か――確かめよう」
*
静寂。
*
風が止まる。
*
誰も、呼吸をしない。
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野性。
対。
鍛錬。
*
本能の頂点と、努力の極致。
*
二つの筋肉が、世界の中心で対峙する。
*
その瞬間。
*
戦場のすべてが、止まった。
*
――筋肉の真理を賭けた戦いが、今、始まる。




