第14話 筋肉は守るためにある
北部前線――左翼。
そこは、戦場の中でも最も激しい衝突が起きている地点だった。
怒号が飛び交う。
剣と剣がぶつかり、火花が散る。
魔法が空を裂き、爆音が大地を揺らす。
そして――
肉と肉がぶつかる、鈍い衝撃音。
ここはもう、日常ではない。
生き残るための場所だった。
*
ドゴォン!!
大地が砕ける。
トロールの拳。
振り下ろされた一撃が、獣王軍の巨体を容易く吹き飛ばす。
骨が軋み、肉が歪む。
それでも戦いは止まらない。
*
「前線維持しろ!!」
「押し返せ!!」
騎士団の怒号が響く。
冒険者たちの詠唱が重なり、火球や氷刃が次々と放たれる。
一瞬でも崩れれば、戦線は終わる。
ここは――踏みとどまる場所だ。
*
だが。
*
ズンッ。
*
その音だけで、空気が変わった。
*
現れた。
ひときわ大きな影。
異様な圧。
呼吸が重くなる。
*
獣王軍幹部――グレッグ。
*
その身体は、異常だった。
分厚い皮膚。
膨れ上がった筋肉。
そして――
壊れたはずの肉が、ゆっくりと戻っていく。
*
「……再生している!?」
冒険者が叫ぶ。
*
「ダメージが通ってないぞ!」
騎士の声に、焦りが滲む。
*
トロールが拳を振るう。
ドゴンッ!!
確かに壊れる。
だが――
*
ズズ……
*
肉が戻る。
骨が繋がる。
何事もなかったかのように。
*
「なんだあれは……」
誰も、答えられない。
*
その時だった。
*
前に出た影が、一つ。
*
トロール王。
*
静かに。
ゆっくりと。
だが確実に――前へ進む。
*
その目は、ただ一点を見ていた。
*
倒れた仲間。
傷ついた騎士。
流れる血。
*
「……グゥ」
低い唸り。
*
騎士が呟く。
「……あいつ……怒ってるのか?」
*
冒険者が聞き返す。
「分かるのか?」
*
騎士は、少しだけ迷ってから言った。
「……なんとなくだ」
*
トロール王が拳を握る。
筋肉が軋む。
*
一歩。
踏み出す。
*
ズンッ。
地面が沈む。
*
グレッグが笑う。
「いい体だ」
「だが――」
拳を構える。
「効かぬ」
*
次の瞬間。
激突。
*
ドォォン!!!!
*
力と力。
真正面。
*
トロール王の拳。
グレッグの腕。
ぶつかる。
*
衝撃が爆ぜ、周囲の兵たちが吹き飛ばされる。
*
騎士
「……正面から……!?」
冒険者
「無茶だ!!」
*
だが。
トロール王は、退かない。
*
一歩も。
*
ドゴンッ!!
もう一撃。
*
さらに。
ドゴンッ!!
*
殴る。
殴る。
殴る。
*
グレッグの肉が崩れる。
だが――
再生する。
何度でも。
*
「無意味だ」
グレッグが言う。
*
その瞬間。
トロール王の目が変わる。
*
怒りではない。
*
覚悟。
*
騎士が息を呑む。
「……あいつ……」
*
トロール王が踏み込む。
さらに深く。
*
距離を詰める。
逃がさない。
*
ガシッ。
腕を掴む。
*
グレッグ
「……!?」
*
引き寄せる。
力で。
無理やり。
*
至近距離。
逃げ場はない。
*
ドォン!!!!
*
全力の一撃。
*
再生する前に――
さらに。
ドン!!
ドン!!
ドン!!
*
連撃。
一切の隙を与えない。
*
騎士
「再生が……追いついてない……!」
*
冒険者
「押してる……!」
*
トロール王は止まらない。
*
ただ。
殴る。
*
守るために。
*
仲間を。
この場を。
*
ドォンッ!!!!
*
最後の一撃。
*
グレッグの身体が崩れ落ちる。
*
動かない。
再生も――しない。
*
沈黙。
*
トロール王は、その場に立ったまま動かなかった。
拳は、まだ握られている。
呼吸は荒く、重い。
肩が大きく上下する。
*
一歩、踏み出そうとして――止まる。
*
膝が、わずかに揺れた。
*
騎士が気づく。
「……あいつ……」
*
腕から血が流れている。
皮膚が裂け、筋肉が露出している。
*
それでも。
倒れない。
*
ただ、立っている。
*
騎士が、思わず呟いた。
「……あいつも限界じゃないか……」
*
トロール王は、ゆっくりと息を吐く。
重く、深く。
*
周囲を見渡す。
倒れた仲間。
傷ついた騎士。
*
そして――
小さく、頷いた。
*
その瞬間。
張り詰めていたものが、切れた。
*
ドスン。
*
トロール王の膝が、地面につく。
*
「……!」
騎士が駆け寄ろうとする。
だが――
*
トロール王は手で制した。
*
「……グゥ」
低い声。
*
大丈夫だ、と。
そう言っているようだった。
*
騎士は、足を止める。
*
そして、静かに言った。
「……勝ったのか……」
*
冒険者が呟く。
「今の……」
一拍。
「ただの殴り合いじゃない……」
*
騎士が頷く。
「……ああ」
*
視線の先。
トロール王。
*
「守るための戦いだ」
*
トロール王は何も語らない。
だが――
その背中が、すべてを語っていた。
*
遠くで、爆音。
*
戦場は、まだ終わらない。
だが――
確かにこの瞬間。
一つの勝利が、そこにあった。




