第5話 今時引っ越し蕎麦配る人はそんなにいない
「一時の感情で戦ったり、逃げたりするやつは、ずっと逃げてるやつよりも邪魔になるんだよ。関わらないと決めたなら、関わらない道を進め」
帰り道、私の頭の中では彼方の言葉がこだましていた。
私は怖くて。でも助けたくて。この感情が一時のものだと言われれば否定はできなくて。
「きゃっ!」
ボンヤリとして歩いていたら、家の近くの交差点で肌の白い女の人にぶつかった。
「あ、ごめんなさい」
その人は、蕎麦の丼を身体にひっくり返し、倒れていた。
しまった出前の人にぶつかってしまったか。
「あうぅ……引っ越し蕎麦がぁ……」
……引っ越し蕎麦?
茹でて、つゆに入れた状態のこれが?
今の時代普通乾麺で持ってこないか?
「えっと、近所に引っ越してきたんですか?すみません」
「あ、はい。ここから4つくらい向こうの交差点を右に曲がったところの家に引っ越してきました」
「……そんな遠くから引っ越し蕎麦を?」
「ど、どこまで配ればいいのか分からなくて」
「両隣で十分だと思いますよ」
「え、そうなんですか?みんなに配るために何往復もしたのに……」
「まず茹でて渡さないと思いますよ。引っ越し蕎麦」
私はなんだかバカバカしくなってその場から立ち去ろうとする。
するとその女の人に声をかけられた。
「あのっ……!」
私は声をかけられ正気に戻る。流石に弁償しなければまずいかと、今日のバイト代1300円で足りるだろうか。
しかしその人の言葉は思ったものとはまったくちがうものだった。
「よければ一緒に食べませんか?引っ越し蕎麦」
きっともう疲れていたのだろう。私は引っ越し蕎麦を食べることを承諾してしまった。
その女の人の後ろをついていくと、随分と立派な一軒家にたどり着いた。
「ここですか?」
「はい!いいお家でしょう?」
「……雪村」
「えっ?えへへぇ〜もう、ヒカリちゃんって呼んでくださいよ〜」
私が表札の名前を読み上げると、雪村は、いやまあヒカリちゃんでもいいか。
ヒカリちゃんはくねくねと照れながらそう言った。
というかここ事故物件じゃなかったっけ。まあ言わないほうがいいか。
「ここね、事故物件だから毎月不動産屋さんからお金貰って住めるんですよ。お金ないから助かっちゃいました!」
知ってて住んでるんかい。
というかお金ないのに引っ越し蕎麦あんなに遠くまで配ってたんかい。
「大丈夫なの?」
「うん!私強いからね!」
フンス!と声が聞こえそうな表情と的はずれな答えに私の力が抜ける。まあ変なのいたら私がぶん殴って除霊しといてやろう。
「どうぞ〜」
玄関を開け、家の中に入ると、私は思わす声を出してしまう。
「あ、うああ……」
そこにはおびただしい量の――――
茹でられる前の引っ越し蕎麦があった。
―――
ヒカリが蕎麦を茹でている間、私は家中をパトロールする。
妖の類はまったく確認できなかった。
一方で私と同じくらいの年齢で一人暮らしっぽいのはちょっと気になった。
まあいろいろあるのだろう。
「おーい!えーっと……おーい!お蕎麦できたよー!」
ヒカリに呼ばれ、私は台所へと向かう。
「えへへ、名前聞いてなかったね。名前教えて?」
「……田中あさひ」
「あさひちゃん!お蕎麦食べよ!」
テーブルに並んだ2杯のかけ蕎麦。片方が私のもので、片方がヒカリのものだ。
「そういえばヒカリさ。茹でて渡してたみたいだけどどんぶりはどうしてたの?」
「前のバイト先が潰れて、その時たくさん分けて貰ったんだ。引っ越し決まってたから引っ越し蕎麦作るために」
「まあ、要らなかったわけだけどね」
「えへへ」
私は会話を切り上げて、蕎麦をすする。しかし、ヒカリのおしゃべりは止まらなかった。
「そういえばさ、あさひちゃん」
「ん」
「なにか悩み事とかあるの?」
私の箸は止まる。
どうしてそれを、いや、こんなのただの世間話だ。
「会った時顔が暗かったし、家の中もなんだか何かを探すみたいに見て回ってたし、なんだか変だな〜って」
変な奴に変と言われてしまった。
いや、それよりも悩みがあることが見透かされていた。
「話したくないならいいんだけどね。知らない人だからこそ話せることもあるかもしれないから、一応ね」
私の口は蕎麦を食べるのをやめ、声を発し始めた。
「あ、えっと、その」
妖はその存在を知られると、力を増す。
すべてぶち撒けてしまいたい衝動に押されながら、一般人のヒカリにどこまでなら話してもいいのか、蕎麦の熱と春の陽気、そして動揺で熱くなった頭で考える。
「バイト先で、怒られてさ」
「そっか、辛かったね。なんて言われたの」
「戦うか、逃げるか、どちらかにしろって」
「戦う?」
ヒカリの素っ頓狂な声に、私はしまったと思う。
戦うなんて言われたら疑問に思うに決まっている。
「何かと戦ってるの?」
「た、戦ってないよ!何とも、戦ってない!」
私がそれだけ言って、食事を中断して席を立とうとする。
しかしヒカリの言葉は予想外のものだった。
「なら、戦ったほうがいいよ」
「……え?」
「怖いから逃げてるんだよね?でも逃げるのもきっと怖いんだよね」
「……うん」
私は席を立つ気にはなれず、ヒカリの言葉を聞いていた。
逃げるのが怖い。逃げて、その間にまた誰かが死ぬのが。
「逃げるのが怖いのは、きっとまだ戦ってないからなんだよ。戦って、戦って、本当に怖いと思ったなら、逃げるのはもう怖くない」
「そういうものなんでしょうか」
「うん。それに戦う前が怖くても、戦ってみたら案外平気なことも……ど、どうしたのあさひちゃん!一味!?一味が辛かった!?」
私は、いつの間にか泣いていた。
なんで泣いているのかも私にはわからなかった。
―――
「もう平気?」
「うん、もう大丈夫」
ひとしきり泣き、その日はお別れとなった。
その日は……
……
「その、ヒカリ、さん」
「ヒカリでいいよ。そう呼んでたでしょ?」
「うん。ヒカリ。また遊びに来ていいかな?」
「もちろん!お蕎麦茹でて待ってるからね!」
「……蕎麦以外も食べてよ?」
「う、うん。バイト代入ったらそうする」
私は少し笑い、家へと帰る。
この奇妙な出会いのおかげで私の悩みは、悩みの答えは決まっていて、とても晴れやかな気分だった。
家につくと、お父さんの分とお母さんの分の空のどんぶりがあった。
私はお父さんとお母さんにちょっととぼけた女の子と蕎麦を食べてきた話をした。




