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このスキル、やばスギル。【ファステ・フェルンの来歴譚】~1話目合流まで~  作者: 明日乃風


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第2話 よく気のつく娘



 扉の向こうには、また扉があった。


 右へ続く廊下。


 左へ続く廊下。


 正面には階段があり、その奥にも別の通路が見える。


 ファステは、自分が開けた扉の前で立ち止まった。


 叔母と暮らしていた家なら、玄関から台所まで数歩で届く。


 ここでは、どちらへ進めば台所へ着くのかも分からない。


「ファステ・フェルン?」


 声に振り向く。


 濃い灰色の服を着た女性が、廊下の奥から歩いてきた。


 髪には白いものが混じっている。


 背筋は伸び、足音の間隔がほとんど変わらない。


「はい。本日から、お世話になります」


 ファステが頭を下げると、女性は案内役へ目を向けた。


「話は届いています」


「では、私はここまでで」


 案内役が帰っていく。


 扉が閉じた。


 ファステは包みを持ち直した。


「私はマルタ。この家で使用人の仕事を取りまとめています」


「よろしくお願いいたします、マルタ様」


「様はいりません。ここで働く者同士です」


「では、マルタさん」


「それで結構です」


 マルタは手元の紙を開いた。


「料理、洗濯、掃除。茶も淹れられる。簡単な記録と、家の在庫管理をしていた」


「はい。ただ、大人数のお食事や、扱ったことのない布については教えていただきたいです」


「聞いていたとおりですね」


 何が聞いていたとおりなのか、ファステには分からなかった。


「できないことまで、できるとは言わないと」


「知らないまま触れて、傷めてしまうわけにはまいりませんので」


「その考えを忘れないでください」


 少し厳しい声だった。


 ファステは、叔母からも似たことを言われたと思い出す。


「はい」


「条件を、もう一度確認します」


 マルタは賃金を告げた。


 食事と部屋は、この家が用意する。


 休日は十日に一度。


 体調が悪い場合や、家へ戻る事情がある場合は、できるだけ早くマルタへ伝える。


「賃金の一部を、叔母の家へ届けたいのですが」


「月に一度、町へ使いを出します。その時に預けられます」


「お休みには、叔母の家へ戻ってもよろしいでしょうか」


「もちろんです。半日で着くなら、一晩は向こうで過ごせるでしょう」


 十日に一度。


 棚へ残した二つのカップを思い浮かべる。


「ありがとうございます」


「まだ礼を言うところではありません」


 マルタが紙を閉じる。


「実際の仕事を見てから決めても構いません。説明と違うと思ったなら、今日のうちに帰れます」


「いいえ」


 ファステは廊下を見た。


 先ほど置かれていた荷物は、そのままだった。


 通り過ぎる使用人が、少し身体を傾けて避けている。


「働かせてください」


「分かりました」


 マルタはうなずいた。


「では、この家のやり方を覚えてもらいます」


     ◇


 初めに案内されたのは、台所だった。


 大きな調理台。


 壁際に並ぶ鍋。


 天井からは、乾燥させた香草がいくつも下がっている。


 火を使う場所だけでも、叔母の家の台所より広かった。


「ベルタ」


 マルタが呼ぶと、鍋の中を見ていた女性が顔を上げた。


「その子?」


「今日から入るファステです」


「包丁は使える?」


「はい」


「速さは?」


「比べたことがございません」


「正直だね」


 ベルタは、作業台の端を指した。


「最初は、あそこにある野菜の皮をむいて。薄くしすぎなくていい。食べられるところを捨てる方が困る」


「分かりました」


「分からなかったら聞く。勝手に香草を足さない。鍋の火にも触らない」


「はい」


 次は洗濯場だった。


 裏庭へ面した屋根の下に、大きな桶と籠が並んでいる。


 同じような籠が多い。


 中には衣服や寝具が入っていた。


「こちらはノエルです。洗濯と部屋の掃除を担当しています」


 ファステより若く見える女性が、濡れた手を前掛けで拭いた。


「よろしく。洗う物は、ここへ来る」


「よろしくお願いいたします」


「そんなに固くならなくていいよ」


 ノエルは三つの籠を順番に示した。


「こっちは普段着。こっちは寝具。向こうは、お客様に使う物」


「籠は、どのように見分けるのでしょうか」


「置いてある場所」


「動かした場合は?」


「動かさないから大丈夫」


 ノエルはそう言った直後、一番端の籠を持ち上げた。


「これは、外へ出すから少し動かすけど」


「場所が変わっています」


「戻すから」


「はい」


 ファステは、それ以上言わなかった。


 物置には、食材、燃料、布、掃除に使う道具が置かれていた。


 入口近くには新しく届いた荷物があり、奥の棚へ入れられないまま積まれている。


「先ほど、玄関近くにあった荷物も、こちらへ運ぶ物でしょうか」


「そうです」


 マルタが答えた。


「ただ、先に棚を空けなければ入りません」


「私がお片づけしても?」


「まだいけません」


 答えは早かった。


「どれを残し、どれを別へ移すか、あなたには分からないでしょう」


「申し訳ありません」


「謝る必要はありません。気づいたことは伝える。それから、動かしてよいか確認する。それで十分です」


 マルタは、積まれた荷物を見た。


「今日は台所と洗濯場だけ覚えてください」


「ですが、お荷物が通路に」


「一日で、この家のすべてを整える必要はありません」


 自分が何を考えていたのか、見抜かれたらしい。


「はい」


「本当に分かりましたか」


「まず、教えていただいたことを覚えます」


「それなら結構です」


 マルタが先へ進む。


 ファステは、もう一度だけ物置を見た。


 何がどこにあるか。


 棚の空いている場所はどこか。


 覚えるだけなら、勝手に動かしたことにはならない。


     ◇


「ファステ、それはこっち」


 ノエルが、濡れた腕で籠を示した。


 午前のうちに、洗う物が新しく運び込まれていた。


 普段着。


 寝具。


 来客用の布。


 教えられた位置へ分けていく。


 ファステは一枚の布を持ち上げ、手を止めた。


 厚手で、端に土がついている。


 ほかの物より強く洗う必要がありそうだった。


「こちらも、お客様用でしょうか」


「その籠に入っていたなら、そう」


「ですが、ほかの布とは違うように見えます」


 ノエルが手を止め、近づいてきた。


 布を広げる。


「これ、庭仕事の上着だ」


「一緒に洗うと、よくないでしょうか」


「よくない。汚れが移る」


 ノエルの顔色が変わった。


「誰が入れたんだろう。私、朝は確かめたのに」


「運んだ方も、籠の違いが分からなかったのではありませんか」


「場所を見れば分かるよ」


「今は、少し動いています」


 洗った物を外へ出すため、籠の位置が入れ替わっていた。


 ノエルは三つを見比べた。


「でも、いつもはここなの」


「今日は、いつもと違ったのですね」


「……そうだけど」


 責められたと思ったのか、ノエルの声が小さくなる。


 ファステは布を元の籠へ戻さず、腕に掛けた。


「籠へ印をつけてはいけませんか」


「印?」


「違う色の布を、持ち手へ結びます。場所が変わっても、同じ色へ入れられます」


「そんな布、あったかな」


「補修にも使えない小さな端布でしたら、物置で見かけました」


「勝手に使ったら、マルタさんに怒られるよ」


「ですから、先に伺います」


 ノエルと二人でマルタを探した。


 話を聞いたマルタは、庭仕事の上着と来客用の布を確かめる。


「よく気づきましたね」


「布が違って見えましたので」


「端布は使って構いません。ただし、何色が何の籠か、全員へ伝える必要があります」


「はい」


「私が言って回ります」


 ノエルが急いで口を挟んだ。


「間違えたのは私ではありませんけど、籠を動かしたのは私なので」


「誰が間違えたかを探すより、次に間違えない方が大切です」


 ファステが言うと、ノエルがこちらを見た。


「怒ってないの?」


「私も、洗い方を教えていただきました。ノエルさんがいなければ、この布が違うと分かっても、どこへ入れるかは分かりませんでした」


「でも、見つけたのはファステだよ」


「知っていることが違っただけです」


 物置から端布をもらい、三つの籠へ結ぶ。


 普段着。


 寝具。


 来客用。


 結び目も変えた。


 色が見えにくい時でも、触れれば分かる。


「そこまでする?」


「濡れると、色が分かりにくくなるかもしれません」


「本当に、よく気づくね」


 ノエルは今度こそ、素直に笑った。


「午後の分は、間違えずに済みそう」


「私も、間違えないようにいたします」


「一緒にやるんだから、間違えたら一緒に直せばいいよ」


 一緒に。


 その言葉が少し嬉しかった。


 午後、新しい洗濯物を運んできた使用人が、籠の印に気づいた。


「これ、誰が考えたの?」


「ファステだよ」


 ノエルが答えた。


「入ったばかりなのに、すごいね。これなら間違えなくて済む」


「結び方を変えたのもファステ?」


「うん」


 ノエルは、皆へ色の違いを伝えて回ったことを言わなかった。


 伝えるほどのことではないと思ったのかもしれない。


 けれど、次の籠を持ち上げる時、結び目へ一度触れた。


「ノエルさんが皆さまへ知らせてくださったから、すぐに使えたのです」


 ファステが言うと、ノエルは少し遅れて笑った。


「私は、言って回っただけだよ」


「それがなければ、印があっても分かりません」


「……そうかな」


「はい」


 ノエルは返事をせず、籠を持って外へ出た。


 重い籠だった。


 ファステも反対側を持とうとしたが、「大丈夫」と先に言われた。


     ◇


 昼食に使うはずだった肉が届かなかった。


「今から?」


 ベルタの声が台所へ響いた。


「今から来ないと言われても、もう火は入ってるんだよ」


 荷を受け取る使用人が、何度も頭を下げている。


 道の途中で荷車が壊れたらしい。


 肉だけではない。


 今日届く予定だった食材は、早くても夕方になる。


「謝っても、鍋の中身は増えないよ」


 ベルタは鍋を見た。


「量を減らすしかないね」


 家族と来客の分は減らせない。


 残りを、使用人たちで分けることになる。


 ファステは台所の隅を見た。


 朝、皮をむいた野菜。


 その後ろには、使わなかった根菜が残っている。


 表面は乾き始めていた。


 物置には、固くなったパンもあった。


「ベルタさん」


「何?」


「物置にあった根菜と、固くなったパンを使ってはいけませんか」


「あれは明日の使用人用だよ」


「根菜は、明日まで置くと傷んだ部分が広がると思います」


「全部?」


「いいえ。二つは残せます。柔らかくなった物だけ、今日使った方がよいかと」


「パンは」


「そのままでは固いですが、汁を吸わせれば食べられます」


 ベルタが腕を組む。


「何を作るつもり?」


「薄く切った根菜と、残っている野菜を加えます。パンは最後に入れます。今のお鍋をすべて変える必要はありません」


「燃料は」


「火を強くしなくても、薄く切れば間に合います」


「味が薄くなる」


「乾燥させた香草を少し使えれば。ただ、どれを使ってよいかは分かりません」


 ファステはそこで止めた。


 決めるのはベルタである。


 台所の仕事を任されているのも、自分ではない。


 ベルタは鍋とファステを交互に見た。


「根菜を持っておいで。傷んだところは私が見る。香草も私が決める」


「はい」


「パンは、まだ入れないよ」


「分かりました」


 ファステは物置へ向かった。


 根菜を選ぶ。


 柔らかくなった二つ。


 明日まで残せる三つ。


 固いパンも必要な分だけ持つ。


 台所へ戻り、ベルタへ見せてから包丁を入れた。


 早く火が通るよう、薄くする。


 一枚目を切ったところで、ベルタが指先で持ち上げた。


「それでは薄すぎる」


「火が通りやすい方がよいかと」


「早くはなる。でも、煮崩れたら汁が濁る。客へ出す鍋から分ける前なんだよ」


 そこまで考えられていなかった。


「申し訳ありません」


「一枚で気づいたなら、まだ使える。次は、これより少し厚く」


「はい」


 ファステは最初の一枚を端へ分け、二枚目から厚みを変えた。


 速く仕上げることだけを考えてはいけない。


 誰が食べる分と同じ鍋なのか。それも先に確かめる必要がある。


 鍋へ入れ、火の通りを確かめる。


「ファステ!」


 入口からノエルが呼んだ。


「来客用の布、干す場所が足りない」


「今は手を離せません」


「そうだよね。ごめん」


「端の短い物でしたら、内側へ掛けても乾きませんか」


「やってみる」


 ノエルはすぐ戻っていった。


 ファステは鍋へ視線を戻す。


 頼まれたからといって、今していることを途中にはできない。


 ベルタが、切った根菜を一つ確かめた。


「悪くないね」


「ありがとうございます」


「まだ食べてないよ」


 朝、叔母へ言ったことと同じだった。


 ファステは少し笑った。


 出来上がった昼食は、予定より質素だった。


 それでも、家族と来客だけでなく、使用人の分まで足りた。


「食べる者の数を、最初から分けて考えたのはよかった」


 ベルタは鍋の底を確かめながら言った。


「使用人の分も、お食事ですから」


「そのとおりだけど、足りない時は忘れる者もいる」


 ベルタが物置の方を指す。


「次から、傷みそうな物に気づいたら教えて。勝手には使わないこと」


「分かりました」


「頼んだよ」


 家庭でしていたことが、この家でも役に立った。


 ファステは、叔母へ話したいことが一つ増えたと思った。


     ◇


「お茶を淹れられるそうね」


 午後、ファステは女主人の部屋へ呼ばれた。


 窓際に立つ女性は、淡い色の衣服を身につけていた。


 セシリアと呼ばれている。


 この家で誰に仕えることになるのか、ファステはまだすべてを理解していなかった。


 ただ、使用人たちが彼女の予定に合わせて動いていることは分かる。


「はい。ですが、このお屋敷の茶葉は初めて扱います」


「分からないから、できない?」


「いいえ。いつもの淹れ方を教えていただければ、試すことはできます」


 セシリアが微笑んだ。


「何も知らないのに、できますと言う人ではないのね」


「茶葉を無駄にするわけにはまいりませんので」


「それなら、見てちょうだい」


 卓上には、冷めた茶が置かれていた。


 来客が予定より早く到着するという。


 先に淹れた茶は時間が経ち、香りが弱くなっている。


「いつもは、どのくらい蒸らしますか」


 ファステが尋ねると、マルタが答えた。


「ベルタが時間を見ています。今日は台所を離れられません」


「奥様は、濃い方がお好きでしょうか」


 マルタがセシリアを見る。


「私に聞くの?」


「召し上がる方のお好みを伺うのが、一番確かです」


「そうね。苦いものは好きではないわ。でも、薄すぎると香りがしないでしょう」


「では、茶葉を増やすのではなく、お湯を少し冷ましてみます」


「あなたが、そうした方がよいと思うなら」


「一度、少量で確かめてもよろしいでしょうか」


「ええ」


 許可を得て、ファステは茶葉を確かめた。


 叔母の家にあったものより、葉が大きい。


 香りも強かった。


 同じ淹れ方では、苦みが出るかもしれない。


 器を温める。


 沸かした湯を少し待つ。


 最初の少量は、自分で味を見た。


「いかが?」


「もう少しだけ、時間を短くします」


「私には、今ので十分に見えたけれど」


「私は、奥様より濃い味が好きなのかもしれません」


 口にしてから、ファステは少し驚いた。


 自分の好みを、知らない相手の前で答えている。


 セシリアは気を悪くしなかった。


「同じ茶でも、同じ味には感じないものね」


 叔母と同じことを言われた。


 ファステの肩から、少し力が抜けた。


 二度目は、蒸らす時間を短くした。


 カップへ注ぎ、セシリアの前へ置く。


 セシリアはひと口だけ飲んだ。


「これなら、最後まで飲めそう」


「ありがとうございます」


「どうして、私がいつも残すと分かったの?」


 ファステは冷めたカップを見た。


「先ほどのお茶が、ほとんど残っておりました。量ではなく、お味が合わなかったのかと思いまして」


「それだけ?」


「お砂糖も使われていませんでした。苦みを甘くして召し上がるのではなく、苦くならない方がお好きなのだと思いました」


 セシリアはカップの横に置かれた砂糖を見る。


「本当に、よく気のつく娘ね」


 褒められた。


 ファステにも、それは分かった。


 胸の奥が少し温かくなる。


 部屋の入口で、替えの布を持ってきたノエルが足を止めていた。


 セシリアの言葉が聞こえたらしい。


 目が合うと、ノエルは笑った。


「やっぱり、ファステはすごいね」


「ノエルさん」


「これ、マルタさんに頼まれた物。置いておくね」


 ノエルは布を置き、すぐに部屋を出た。


 仕事の途中なのだろう。


 ファステはそう思い、呼び止めなかった。


「でも、私の好みだけを当て続ける必要はないわ」


「はい」


「気づいたことがあれば、言ってちょうだい。その方が、この家はもっとよくなるでしょう」


 ファステは、マルタを見た。


 勝手に変えず、先に確認する。


 教わったばかりである。


「マルタさんへ確認してからでも、よろしいでしょうか」


「もちろん。決めるのは、実際に仕事をする人たちだもの」


 セシリアは、もう一度茶を飲んだ。


 今度はカップを戻さず、そのまま窓の外を見る。


「次の来客の時も、あなたにお願いしたいわ」


「私でよろしければ」


「あなたが、やってみたいなら」


 紅茶を淹れることは好きだった。


 新しい茶葉の扱いを覚えることも楽しい。


「はい。やってみたいです」


「では、お願い」


 命じられたのではない。


 ファステが自分で答え、任された。


 そのことが、何より嬉しかった。


     ◇


 一日の仕事が終わる頃には、足が重くなっていた。


 それでも、嫌な疲れではない。


 覚えたことが多すぎて、頭の中がまだ動いている。


 洗濯籠の印。


 台所の食材。


 セシリアが好む紅茶。


 明日は、物置の場所ももう一度確かめたい。


「座らないの?」


 ノエルに言われ、ファステは我に返った。


 使用人たちの食事が卓上へ並んでいる。


 ファステは端の席へ座ろうとして、空いた器が目に入った。


「先に、こちらを」


「あと」


 マルタが止めた。


「ですが、食事のあとでは片づける物が増えます」


「増えたら、皆で片づけます」


「先に洗っておけば――」


「ファステ」


 マルタが椅子を示した。


「一日目から、立ったまま食べるつもりですか」


 叔母の声が、少しだけ重なった。


 座って、温かいうちに飲むところまで。


 今日は紅茶ではない。


 それでも、食事はまだ温かかった。


「失礼いたしました」


「謝らなくていいから、座って」


 ファステは椅子へ座った。


 自分の前にも、ほかの者と同じ量の食事がある。


「今日、助かったよ」


 向かいに座ったノエルが言った。


「午後は、違う籠に入れる人が一人もいなかった」


「ノエルさんが、皆さまへ伝えてくださったからです」


「印を考えたのはファステでしょう」


「両方です」


「そういうことにしておく」


 ノエルは笑い、食事へ手を伸ばした。


「昼の根菜も悪くなかった」


 ベルタが言う。


「ただし、明日の分へ手を出す時は、必ず先に聞くこと」


「はい」


「勝手にしないなら、気づいたことは言っておくれ」


「分かりました」


「一日で、随分いろいろ見つけたものですね」


 マルタが、少し呆れたように言った。


「申し訳ありません」


「褒めています」


「……ありがとうございます」


「本当に、一日目とは思えないよ」


 ノエルが言った。


「私なんて、籠の場所を覚えるだけでも、もっとかかったのに」


「私は、ノエルさんに教えていただきました」


「でも、一度で覚えたでしょう」


 褒められているはずだった。


 けれどノエルは、食事を口へ運ばず、匙で器の縁をなぞっている。


「まだ、すべては覚えておりません」


「明日には覚えてそう」


 ノエルは笑ってから、ようやく食事を口へ運んだ。


「ただし、全部を自分で直そうとしないこと」


 叔母にも言われた。


 できることを、全部引き受けないこと。


「はい」


 今度は、きちんと分かったつもりで答えた。


 この家には、自分以外にも働く人がいる。


 教えてくれる人がいる。


 一緒に間違いを直せる人もいる。


 ファステは、自分の食事を減らさずに食べた。


 温かいうちに食べ終えた。


 片づけは、全員で行った。


 その夜、使用人用の寝台へ横になってからも、なかなか眠れなかった。


 怖いからではない。


 叔母へ話したいことを、忘れないよう順番に考えていた。


 洗濯籠へ印をつけたこと。


 昼食が人数分足りたこと。


 初めて扱う茶葉で、セシリアが最後まで飲める紅茶を淹れたこと。


 自分がやってみたいと答えられたこと。


 十日後、二つのカップを出して話すことが、もうたくさんあった。


     ◇


 翌朝、洗濯籠の印はそのまま残っていた。


 運び込まれた衣服も、正しい籠へ分けられている。


 台所へ行くと、昨日使わなかった根菜には、先に使う物だと分かるよう印がついていた。


「ベルタさんが?」


「あんたが気づいたから、分けた方がいいと思ってね」


 ベルタは鍋の蓋を開けた。


「今日は、予定どおり届いた物を使う。あの根菜は夜だ」


「はい」


 自分が昨日したことが、今日の仕事へ残っている。


 それを見るのは嬉しかった。


「ファステ」


 マルタに呼ばれる。


「物置の在庫を、一度見てもらえますか」


「私が、でしょうか」


「本来は、私が確認する予定でした。ただ、午後の来客について変更がありまして」


 前任者が辞めてから、物置の確認が遅れているという。


「昨日ご案内いただいた範囲でしたら、確認できます」


「動かす必要はありません。数と、傷みのある物だけ分けて書いてください。分からない物は、そのままに」


「はい」


「無理なら、私が別の日に行います」


 無理ではない。


 置いてある場所は覚えている。


 数えるだけなら、台所の仕事が始まる前に一部を終えられる。


「できます」


「昨日入ったばかりの人へ、早すぎるとは思っています」


「分からない物は動かしません。すべて終わらなければ、どこまで確認したか残します」


 マルタは少し考えた。


「あなたなら、任せても大丈夫そうですね」


 胸の中に、昨日と同じ温かさが生まれた。


「ファステ」


 今度はノエルが洗濯場から顔を出す。


「朝の分が多いの。手が空いたら、一緒に見てもらえる?」


「ファステ、物置を見るなら、夜に使う根菜の状態も確かめておくれ」


 ベルタからも声がかかった。


 物置の在庫。


 洗濯物。


 夜に使う食材。


 一つずつなら難しくない。


 順番を決めれば、どれも間に合う。


 まず、洗濯物の量を確かめる。


 急いで洗う物だけ先に分ける。


 物置へ行き、根菜を見ながら在庫を数える。


 すべてを一度に終わらせる必要はない。


 できることを全部引き受けないこと。


 叔母の言葉が浮かんだ。


 けれど、これは全部ではない。


 今日、必要なことだけである。


「無理にとは言いません」


 背後から声がした。


 セシリアが、廊下の先に立っていた。


 使用人たちが姿勢を正す。


「聞こえてしまったの。入ったばかりの人へ、少し頼みすぎではない?」


「物置は、後日に回せます」


 マルタが答えた。


「洗濯も、急ぐ分だけなら私ができます」


 ノエルも言う。


 誰も、ファステへ押しつけようとしてはいなかった。


 セシリアはファステを見る。


「あなたは、どう思う?」


 セシリアは、ノエルではなくファステへ尋ねた。


 洗濯場の仕事を知っているのは、ノエルの方である。


 それでも、複数の仕事を引き受けるか決めるのはファステだった。


 できるか。


 できないか。


 決めるのは、自分だった。


 昨日も、自分で紅茶を淹れたいと答えた。


「順番を決めれば、できます」


「本当に?」


「はい」


「無理をしてはいない?」


「順番を決めれば、どれも間に合います。それに、物置を確かめれば、この家のことをもっと覚えられます」


「そう」


 セシリアは、ファステの答えを疑わなかった。


「なら、あなたが決めた順番でしてちょうだい」


「よろしいのですか」


「できると思ったのでしょう?」


「はい」


「それなら、任せるわ」


 信じてもらえた。


 まだ二日目なのに、自分ができると答えたことを、そのまま認めてもらえた。


 ファステは、三人の顔を順番に見た。


 頼まれたことを整理する。


 今なら、どれもできる。


「はい。任せてください」


 答えると、セシリアが微笑んだ。


「やはり、あなたはよく気のつく娘ね」


「それなら、私は先に洗濯場へ戻ります」


 ノエルが言った。


「ファステが来るまで、急ぐ分を分けておくから」


「私もすぐに参ります」


「急がなくていいよ。物置もあるんでしょう」


 声はいつもと変わらなかった。


 ノエルは洗濯籠を持ち上げる。


 昨日、二人で印をつけた籠だった。


 ファステが反対側へ手を伸ばす前に、ノエルは一人で運んでいった。


 ファステは頼られたことを嬉しく思いながら、最初の仕事へ向かった。

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