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「その時間なら何曜日でも大丈夫です」
「じゃあ金曜日はどうだろう」
「はい、お願いします」
前に噂で聞いたことがある。笙楽に稽古をつけてもらっているのは30人ほど。有名どころは笙楽四天王と呼ばれる四人だ。
色を使った書の笙鼓、何畳もある用紙に大筆を振るう笙流、メディアに出て書を広げている笙歌、そして堅実な書の千尋だ。みな歳は藤乃とそう変わらない。
「そうだ今日はこの後、一人指導が入っているんだけど見ていく?」
千尋が煎れてくれ、すでにぬるくなったお茶をすすりながら鷹虎が提案した。
「はい、ぜひ」
「それまで君の方向性を少し聞きたいな」
藤乃は鷹虎の瞳を見つめた。明るくて色素が薄い。そういえば着物から覗く手足も色白だ。
「君は何がやりたい?色を使ってもいいし、太筆を使うもよし。君は『書家』なんだから」
「自由書をやりたいです。先生のような」
「言い切るね。本当に、どうしたらそんな才能をもったまま今まで隠れていられたんだろうねぇ」
「才能なんて」
藤乃が謙遜すると、鷹虎はふっと意味深に口の端をあげた。
「もしかしたら……これから君が予想しないことが起こるかもしれないけれど、君は自分を見失ってはいけないよ」
言っている意味が分からなかった。
藤乃は鷹虎からもらったゆっくり色紙に視線を落とす。力強いのに繊細。
予想しないことと言えばこの笙楽の指導を受けられることが、もう奇跡だ。
笙音書道会にはたくさんの支部がある。藤乃の実家の近所にも支部教室はあり、藤乃が入ったのは幼稚園の頃だった。ただ近所にあるというだけで、流派は総師範が誰かなんて藤乃も親ですら気にしたことがなかっただろう。手ごろな習い事としてお習字を始めただけだ。
順調に学童の部で最高位をおさめ、賞を取り、成人部でも順調に昇段していた。藤乃は書道が好きで、それなりの才能を自負していた。
集中すると周りの音が遠くなる。自分が深い泉に入ったように、精神が深い内に入っていくのがわかるのだ。そして息を一つ吸って、筆を滑らせる。書き終わって集中を解いた時の吐息。緊張が溶ける瞬間。それが何より好きだった。
高校一年の終わり、用事があって実家より都市部の百貨店に藤乃は母と出かけることがあった。何の運命のいたずらか、その日は百貨店で笙楽の個展が開催されていた。さすがの藤乃もこの頃には自分が笙音書道会という会の一教室に通っていること、その総師範代が北条鷹虎こと笙楽であるということは知っていた。




