第37話 腹の音
対バンライブまで一週間。
僕は、久しぶりに狸腹鼓保存会の練習に顔を出していた。
ぽんぽこ♡トリオのマネージャーになってから、保存会の活動にはほとんど参加できていなかった。でも、今日は気分転換に来てみようと思った。
サークル棟の一番奥。雨漏りの匂いがする部屋。
ここが僕たちの原点。片桐さんとの出会った場だ。
あの日から、どれくらい経ったんだろう。
「おお、清水!久しぶりやな!」
木村先輩が、笑顔で迎えてくれた。
「お久しぶりです」
「マネージャー業、順調か?」
「はい、まあ……」
僕は、少しだけ言葉を濁した。
「そっか。まあ、今日はゆっくりしていけや」
木村先輩は、腹を叩く姿勢を取った。
「久しぶりに、一緒に叩こうや」
練習が始まった。
久しぶりの腹鼓。
僕は、腹に手を当てて、軽く叩いてみた。
ぽん。
音が、鳴った。
でも、思ったより上手く鳴らない。リズムが取れない。
「清水、力入りすぎや」
木村先輩が、隣で声をかけてくれた。
「もっと、リラックスして」
「はい」
僕は、深呼吸をして、もう一度叩いてみた。
ぽん、ぽん、ぽん。
少しだけ、リズムが戻ってきた。
木村先輩も、隣で叩いている。
二人で、同じリズムを刻んでいく。
ぽんぽこぽん、ぽんぽこぽん。
その音が、部屋に響いていった。
しばらく叩いていると、体が温まってきた。
最初は硬かった動きが、徐々に滑らかになっていく。
リズムも、自然に取れるようになってきた。
ぽんぽこぽん、ぽんぽこぽん。
腹を叩く音が、心地よい。
この感覚、久しぶりだった。
「……なんか、腹の音変わったな」
木村先輩が、唐突に言った。
「え?」
僕は、手を止めて先輩を見た。
「前より、いい音してる」
木村先輩は、腹を叩きながら続けた。
「柔らかくて、温かい音や。最初の頃は、もっと硬くて、尖った音やったのに」
その言葉に、僕は少しだけ驚いた。
「そうですか?」
「ああ。マネージャーやってて、変わったんやろな」
木村先輩は、笑った。
「人を支えるっちゅうのは、そういうことや。自分だけのことを考えてる時とは、違う音が出る」
その言葉が、胸に染みた。
「……そうなんですね」
「ああ。いい音や。清水、成長したな」
木村先輩は、また腹を叩き始めた。
僕も、それに続いた。
ぽんぽこぽん、ぽんぽこぽん。
確かに、音が変わった気がする。
最初の頃は、ただ見よう見まねで叩いていた。片桐さんに近づきたいという下心だけで、保存会に入った。
でも、今は違う。
片桐さんたちを支えたい。ぽんぽこ♡トリオを成功させたい。
そう思いながら、マネージャーをやってきた。
その想いが、音に表れているんだろうか。
ぽんぽこぽん。
僕は、自分の腹を叩く音に、耳を傾けた。
練習が終わって、狸狸亭のカウンターに座っていた。
マスターが、烏龍茶を差し出す。
「お疲れさん」
「ありがとうございます」
木村先輩も、隣に座った。
「清水、ふたばがやめるんやってな」
その言葉に、僕は少しだけ驚いた。
「……聞いたんですか」
「ああ。マスターから聞いた」
木村先輩は、烏龍茶を一口飲んだ。
「寂しいな。でも、あいつらしい選択や」
「……はい」
「人にはな、それぞれ居場所がある。ふたばの居場所は、地元の保育園なんやろ」
木村先輩の声が、優しかった。
「清水、お前はどうや?」
「え?」
「お前の居場所は、どこや?」
その問いかけに、僕は答えられなかった。
僕の居場所?
ぽんぽこ♡トリオのマネージャー?
それとも――
「……わかりません」
僕は、正直に答えた。
「そっか。まあ、焦らんでええ。いつか、わかる時が来る」
木村先輩は、笑った。
「お前、いい音出すようになったからな。それだけでも、十分成長しとる」
その言葉に、僕は少しだけ救われた気がした。
マスターが、カウンターの向こうから話しかけてきた。
「清水、対バンライブ、頑張れよ」
「はい」
「ふたばにとっても、片桐たちにとっても、大事なライブや」
マスターは、グラスを拭きながら続けた。
「お前も、マネージャーとして、最後までしっかり支えてやれ」
「……はい」
僕は、頷いた。
「それと、清水」
「はい?」
「お前、片桐のこと好きやろ?」
その言葉に、僕は思わず烏龍茶を噴き出しそうになった。
「え、あの……」
「隠さんでええ。バレバレや」
マスターは、笑った。
「でもな、今はその気持ち、ちゃんとしまっとけ。マネージャーとして、やるべきことをやれ」
「……はい」
「気持ちを伝えるんは、それからや」
マスターの言葉が、胸の奥に染みた。
そうだ。
今は、マネージャーとして、最高のライブを作ることだけを考えよう。
片桐さんへの想いは、その後だ。
帰り道、僕は自分の腹を軽く叩いてみた。
ぽん、ぽん、ぽん。
確かに、音が変わっている。
最初の頃より、柔らかい音。
木村先輩の言う通り、温かい音。
でも、その音が何を意味しているのか、僕にはまだ完全にはわからなかった。
ただ、一つだけわかることがあった。
僕は、変わった。
片桐さんたちと出会って、ぽんぽこ♡トリオのマネージャーになって。
ふたばや理沙と過ごして、色々な経験をして。
その全てが、僕を変えた。
ぽんぽこぽん。
心臓が、静かに鳴った。
空には、半月が浮かんでいた。
夜風が、少しだけ冷たい。
僕は、ただ歩き続けた。
対バンライブまで、あと一週間。
ふたばの、最後のステージ。
そして――
片桐さんたちの、これからのこと。
全部、まだわからない。
でも、今は前を向いて進むしかない。
そう思いながら、僕は家路についた。
足音が、静かな夜道に響いていた。




